装飾庭園殺人事件

「装飾庭園殺人事件」(ジェフ・ニコルスン/著 風間賢二/訳 扶桑社 2011)

ホテルの一室で、ある中年男性が死体となって発見される。
男はTVにも出演している著名な造園家、リチャード・ウィズデン。
発見された状況は、自殺以外にありえない。

が、リチャードの美しい妻リビーは、夫の死を自殺とは考えていなかった。
死体の第一発見者であるホテルの警備員ジョン・ファサムに、リビーは事件の調査を依頼する――。

という場面から、この作品はスタート。
本書は、1人称多視点。
つまり、語り手が次つぎと変わる形式をとっている。

こういう形式の場合、たいてい語り手の人物は何人かに決まっている。
3人だとしたら、3人が交互に物語を語っていくというのが定石。
ところが、この作品はそうではない。
最後まで、次つぎと新しい語り手があらわれる。
また、ある語り手は途中から姿をあらわさなくなったりする。

語り手の一部は以下の面々。
ファサムと同様、リビーから事件の調査を依頼される、リビーの友人であり医師であるモーリン・テンプル。
リビーの依頼でリチャードの著書を読むことになる、英文学教授ダン・ラウントリン。
物語の途中でけがをする、リチャードとその愛人アンジェリカとのあいだの息子である少年デイヴィット。
銀行家にして性的な秘密結社の書記官であるバジル・ショー。
リチャードの著書のために写真を撮ったことのある、いまはネヴァダ砂漠にいるカメラマンのエヴァ・サゲンドルフ。

ほかに、エヴァが泊っているホテルのフロント嬢、ローズマリー。
リビーにリチャードの真似をさせられる売れない俳優、ポール・コンラッド。
リチャードの先生であり、最初の経営パートナーであったハーブ園芸家のエスター。
などなど。

話はどんどん広がり、散らかっていく。
一体この小説はちゃんと着地することができるのだろうかと、読んでいて不安になってくる。
結果的にいうと、まあ着地はする。
が、読んだひとの一部は怒りだすのではないかという着地の仕方。
この本は面白かったと、ひとに薦めるのがためらわれるような結末だ。

この小説では登場人物たちがすっかり駒と化している。
小説というものにあるはずの、作品全体を流れる感情的なものが欠けている。
そのため不条理さが際立つことになる。

作者の着想と、それを実現させた根気に敬意を払うことができれば、面白く読める小説だと思う。


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