見習い職人フラピッチの旅

「見習い職人フラピッチの旅」(イワナ・ブルリッチ=マジュラニッチ/作 山本郁子/訳 二俣英五郎/絵 小峰書店)

イワナ・ブルリッチ=マジュラニッチは、クロアチアの名高い作家。
「昔々の昔から」は、あんまり素晴らしかったのでメモをとったおぼえがある。
「昔々の昔から」「昔々の昔から(承前)」

その「昔々の昔から」にくらべると、本書のほうがより親しみやすい。
視点が、主人公フラピッチの行動からはなれることはないし、児童書のもつイメージの範疇に物語がよくおさまっているし、宗教色や郷土色も少ない。
それに、ストーリーの面白さはずば抜けている。

訳者あとがきによれば、本書はクロアチアのひとならだれでも知っている物語だそう。
1913年に初版が出版されて以来、ずっと読みつがれているとのこと。

文章は、3人称のですます調。
ときどき作者が顔をだして語りかけるスタイル。
小学校中学年向けくらいの読者を想定しているといえるだろうか。

主人公は、靴屋の見習い職人フラピッチ。
両親のいないフラピッチは、ムルコニャ親方のもとではたらいている。
このムルコニャ親方は、昔、悲しいできごとがあったため、すっかり冷たい性格になってしまった。
親方の奥さんは逆に、もっと心のやさしい性格になったのだけれど。

さて、ある日のこと。
あるお金持ちが、自分の息子のためにブーツを注文した。
が、できあがったそのブーツがきついと、お金持ちはブーツを受けとらず、お金も払わなかった。
腹を立てたムルコニャ親方は、フラピッチにやつあたり。
フラピッチは怒鳴られたり、殴られたりする。

その晩、フラピッチは親方のもとをはなれ、旅にでようと決意。
火にくべろと親方がいった例のブーツをはき、置き手紙を書き、パンとベーコン、突き錐、糸、革の切れはし、ナイフといった仕事道具をカバンにつめ、いたんでいた帽子のまわりに、革の切れはしを縫いつけて、さあ出発。

夜、親方の家を抜けだしたフラピッチは、明け方には町はずれに。
そこで、苦労して牛乳配達をしている老人と出会う。
フラピッチは老人を手伝い、建物の4階まで牛乳をはこんでやり、配達先のお手伝いさんには、牛乳を下までとりにいくようにお願いする。

老人と別れて草むらで寝ていると、親方の家にいた犬のブンダシュがあらわれる。
ブンダシュも、親方のところから逃げてきたのだ。
フラピッチとブンダシュは道連れに。

その後も、フラピッチは愉快に旅を続けていく。
青い星のついた家で、お母さんと2人で暮らしている少年のために、見失ったガチョウをさがしたり。
石切工たちと出会ったり。
が、旅の3日目にして災難に。
雷雨をさけて橋の下にもぐりこんで寝たところ、大事なブーツが盗まれてしまった。
盗んだのは、先に橋の下にいた、黒い男。
たとえ10年かかってもブーツをとりもどすんだと、フラピッチははだしで出発。

しばらく歩いていくと、前に奇妙な女の子が。
女の子の名前はギタ。
きれいな格好をして、肩に緑のオウムをのせている。

話を聞くと、ギタはサーカスの団員。
病気をして、元気になったらあとからくるようにと、ある村に置いていかれた。
で、いまサーカスを追いかけているところ。
ギタもまた、フラピッチとともに旅をすることに。

古典的な児童文学の主人公らしく、フラピッチは勇敢でやさしく、非の打ちどころがない。
朝、ブーツが盗まれたことに気づいたフラピッチついては、こう書かれる。

《だれだって、あんなすてきなブーツを盗まれたら、泣きだしてしまうでしょう。はだしで長い旅に出なければならないとしたらなおさらです。
 でも、フラピッチは泣きませんでした。しばらく考えていましたが、とつぜん立ちあがり、ブンダシュを呼んでいいます。
「さあ、ブンダシュ、あの男をさがしに行こう。たとえ十年かかってもさがしだして、ブーツをとりもどすんだ。たとえ、王宮の煙突につるしてあったとしても」
 そういってフラピッチは、ブーツをさがしにはだしで出発しました。》

また、フラピッチとギタは農家で草刈りの仕事を手伝うことに。
でも、ギタはサーカスの仕事のほかはよく知らない。
すぐ飽きてさぼるので、農夫に追い払われてしまう。
そのとき、フラピッチはこう思う。

《「だれも仕事を教えてやらなければ、仕事がわからないのは当然だから、ギタが悪いんじゃない。いっしょに旅をしているからには、ぼくがギタのめんどうをみなければ。夕食も半分分けてやろう」》

このあとも、フラピッチの旅は波乱万丈。
火事にでくわし、火を消すのを手伝ったり、盗まれたブーツをとりもどしたり、市場で貧しいかご売りが、かごを売るのを手伝ったり。
そのときかぎりと思われた登場人物が、後半ふたたび登場したり。
思いがけないことがたくさん起こり、最後は大団円。
あれもこれもみんな伏線だったのかという展開には、思わず拍手をしたくなる。

訳者の山本さんは、この本を訳してるというだけで、クロアチアのひとにほめられたという。
なるほど、クロアチアのひとたちが自慢に思うだけのことはある作品だ。

絵は、二俣英五郎さん。
あたたかみのある絵で、物語をより親しみやすいものにしている。


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