死のかげの谷間

「死のかげの谷間」(ロバート・C・オブライエン/著 越智道雄/訳 評論社 1985)

原題は“Z for ZACHARIAH”
SOSシリーズ第5巻。
2010年には、「海外ミステリーBOX」とシリーズ名を変え、新装版が出版されている。
1976年の、エドガー・アラン・ポー賞受賞作。

これは児童書。
といっても、児童書の範疇から、少しとびだした児童書。
内容は、ひとことでいえば、核戦争後に生き残った少女がサバイバルする物語だ。

主人公は、アン・バーデン。
作中で16歳になる少女。
将来の夢は、国語の先生になること。
本書はアンの1人称で、日記形式でしるされる。
その冒頭はこう。

《五月二十日
 こわい。
 だれか来る。》

この作品の舞台は、核戦争後のとある谷間。
この谷間は、たまたま放射能を逃れているが、ほかは全滅。
わずかな期間の戦争のあと、アンのお父さんと弟のジョセフ、いとこのデイビッドは近所のオグデンの町をみにいったのだが、そこはすっかり廃墟と化していた。
次の日には、店のクラインさん夫妻も加わり、アンを残した全員で、もっとはなれたディーン町にでかけていき、そして帰ってこなかった。
家畜の世話をするために、留守番をすることになったアンは、ただひとり残されたのだ。

ラジオ局は一局ずつ消え、ついにはなにも聴こえなくなる。
電気は停まり、ガスボンベは2本あるものの節約したい。
アンは、たきぎをつくり、暖炉で煮炊きをして冬をすごす。
ニワトリや牛の世話をし、野菜畑をつくる。

電気が停まったために井戸水がくみ上げられない。
そこで小川からくんでくる。
谷間を流れる小川のうち、ひとつは汚染されているが、谷間の泉を源流とするもう一本は大丈夫。
この小川は池にそそぎ、池の魚は大切な食糧となる。

こういう生活をしていたアンのところに、冒頭の一文のような事態が。
最初にみつけたのは、焚火の煙。
それが、日を追って近づいてくる。
一体どんなひとがあらわれるのか。

万一を考え、アンは家畜を追い立て、野菜畑を掘り返し、ひとがいた形跡を消す。
22口径のライフルをもって、山腹の洞穴へ。
洞穴にはあらかじめ、水や保存食も準備しておいた。
ここから、あらわれた男を観察する。

男は、だぶだぶとしたウェットスーツのようなものを着ている。
背中には空気ボンベ。
ワゴンを引き、のろのろと歩いている。

男は緑の木々に驚く。
なにかの器具であちこちを測ってから、マスクをとり、歓声をあげる。
ひさりぶりに人間の声を聞き、アンもびっくり。

男はアンの家をのぞく。
が、家のなかで寝たりしない。
テントを張り、そこで眠る。
あのテントは、放射能をさえぎるものにちがいない。

こうして、ひそかに男を見張っていたアンだが、翌日、男は不注意にも汚染されている小川のほうで水浴びをしてしまう。
じき、男は体調をくずし、テントにもぐりこんだままに。
アンは意を決し、洞穴からでて男のもとにいく――。

男の名前は、ジョン・R・ルーミス。
のちにアンに話すのだが、ルーミスは化学者で、磁気を帯びたプラスチックによる防護服の開発に着手していた。
水のろ過装置や空気清浄機も開発し、生産にこぎつけようとしたところ、戦争が起きてしまった。
ルーミスは、シェルターで何カ月もすごしたのち、開発した防護服を身にまとい、外の世界を歩き続けていたのだった。

本書の登場人物は、アンとルーミスのみ。
ルーミスは、アンの看病とお祈りのかいあって、徐々に回復していく。

本書の科学的記述がどれほど正確なのかは、知識がないためわからない。
いま読むとリアリティをそこなっている記述があるかもしれない。
でも、サバイバル生活については詳しく書かれており、そこに迫真性が生まれる。

機械に強いルーミスの指示で、アンはガソリンポンプからガソリンを得ることに成功。
トラクターをつかい畑をたがやすことができるようになった。

アンは娘らしく、10年後には子どもを連れて野草をつみにきているかもしれないなどと想像する。
が、ストーリーはそんな風には展開しない。
2人のサバイバル生活は紆余曲折のすえ、再びアンひとりのサバイバルへともどっていく。
その物語の緊迫感は相当なもの。

アンは大変なしっかり者で、かつはたらき者。
店にいけば、野菜や果物の種があるけれど、アンはその発芽率についても心配する。

《種だって一年くらいならいいけど、二年も放っておけば発芽率は落ちるだろうし、三年四年たつうちにすっかり使いものにならなくなってしまう》

またアンは、勇気があり、けっしてへこたれることがない。
こんなアンが、理不尽な目にあうのは痛ましい。
読後、どこかで国語の先生になれたらいいのにと思わずにはいられない。
それにしても、なんとまあきびしい児童書だろう。

原題の、“Z for ZACHARIAH”については、作中に説明がある。
アンが子どものころ読んだ「聖書の文字の本」が、このタイトルの元。
この本は、「AはアダムのA」ではじまり、「Zはザカリア」のZで終わっていた。
アダムが最初の人間だから、ザカリアとは最後の人間にちがいない。
そう、子どものアンは思っていた。

つまり、この原題は、「最後のひと」という意味なのだろう。


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