「マラマッド短篇集」「喋る馬」「レンブラントの帽子」

バーナード・マラマッドは1914年、ユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれた。
亡くなったのは、1986年。

マラマッドの短篇集を読んだらやめられなくなり、立て続けに3冊読んだ。
読んだのは、
「マラマッド短篇集」
「喋る馬」
「レンブラントの帽子」
の3冊。
収録作は以下。

「マラマッド短編集」(加島祥造/訳 新潮社 1979)

「最初の七年間」 The First Seven Years
「弔う人々」 The Mourners
「夢に描いた女性」 The Girl of my Dreams
「天使レヴィン」 Angel Levine
「見ろ、この鍵を」 Behold the Key
「われを憐れめ」 Take Pity
「牢獄」 The Prison
「湖上の貴婦人」 The Lady of the Lake
「夏の読書」 A Summer's Reading
「掛売り」 The Bill
「最後のモヒカン族」 The Last Mohican
「借金」 The Loan
「魔法の樽󠄀」 The Magic Barrel

巻末の訳者あとがきで、加島祥造さんはマラマッドの作品を3つに分けて紹介している(加島さんによれば、ある批評家の分類とのこと)。

1.ニューヨークのユダヤ人もの
「最初の七年間」「弔う人々」「天使レヴィン」「われを憐れめ」「掛売り」「借金」「魔法の樽󠄀」

2.ユダヤ人の登場しないニューヨークもの
「夢に描いた女性」「牢獄」「夏の読書」

3.イタリアもの
「見ろ、この鍵を」「湖上の貴婦人」「最後のモヒカン族」

収録作のなかで好きなのは、まず「天使レヴィン」
それから、「弔う人々」「夢に描いた女性」「われを憐れめ」「夏の読書」

マラマッドの作品は、貧乏話が多い。
「喋る馬」の訳者あとがきで、柴田元幸さんがいうところの、《貧乏抒情》。

《貧乏なのに美しい、という背反でもなく、貧乏だからこそ美しい、という手放しの肯定でもない。貧乏と美が否応なしに、好むと好まざるとにかかわらず合体させられている。(否応なしに傍点)〉

でも、貧乏話でも、「掛売り」「借金」は、痛ましくて読むのが辛い。
その点、「天使レヴィン」「われを憐れめ」などは、ファンタジックな要素がある分、民話のような味わいがあり、読んでいて助かる。

イタリアものはあまり買わない。
少々冗長すぎる気がする。
貧乏話の凝縮さのほうが好ましい。

「喋る馬」(柴田元幸/訳 スイッチ・パブリッシング 2009)
カッコ内は、「マラマッド短篇集」でのタイトル。
初出情報も掲載されていたので、一緒に記しておく。

「最初の七年」(最初の七年間) 1950
「金の無心」(借金) 1952
「ユダヤ鳥」 The Jewbird 1963
「手紙」 The Letter 1972
「ドイツ難民」 The German Refugee 1963
「夏の読書」1956
「悼む人たち」(弔う人々) 1955
「天使レヴィーン」(天使レヴィン) 1955
「喋る馬」 Talking House 1972
「最後のモヒカン族」 1958
「白痴が先」 Idiots First 1961

この作品集では、「マラマッド短篇集」にあった3つの分類に加えて、さらに2つの要素がみられるように思う。
ひとつは、「ユダヤ鳥」「喋る馬」のような寓話的作品が加わったこと。
これらの作品では、物語の最後にファンタジーが恩寵のようにあらわれるのではなく、最初から鳥や馬がしゃべっている。

もうひとつは、「手紙」のようなスケッチ風の作品が加わったこと。
作品の頭と尻尾を切り捨てて、そのあいだだけをごろんと転がしたような作品。
切れる前の弦のような緊張感がある。

「レンブラントの帽子」(小島信夫/訳 浜本武雄/訳 井上謙治/訳 夏葉社 2010)

「レンブラントの帽子」 Rembrandt‘s Hat 1973
「引き出しの中の人間」 Man in the Drawer 1968
「わが子に、殺される」 My Son the Murderer 1968

「レンブラントの帽子」は、少し詳しくみていきたい。
主人公は、アーキンという名前。
ニューヨークの美術学校で教える、34歳の美術史家。
この作品は、3人称アーキン視点。

ある日、アーキンは学校で、ひとまわり年上の彫刻家ルービンがかぶっている帽子をほめる。
それ、とてもいい帽子ですね。
レンブラントの帽子そっくりなんですよ。

ところが、それからというものアーキンはルービンに避けられるように。
一体なぜ避けられなくてはいけないのか。
アーキンは訳がわからない。

2、3か月過ぎても、アーキンはルービンに避けられる。
気を揉むたちのアーキンは、ルービンになにか失礼なことをいったかと思い悩む。
そのうち、だんだん仲がこじれて、2人は互いを避けあうように。

そうなると逆に、2人あちこちの界隈で出くわすことになる。
2人はお互いを、うんざりするほど意識している。
ある日、一時限授業に駆けつけた2人は、校舎の前でぶつかってしまう。
かっとなった2人は、お互いをののしりあう――。

マラマッドは、気を揉むひとを書く。
たとえば、「マラマッド短篇集」に収録されている、「牢獄」
夫婦で生活用品などを売る店をやっている、その夫が、店のものを万引きする女の子をみつけて気を揉む。
あの子が菓子をくすねたって、たいした損じゃないだろ、くすねさせておけ、と思ったり、おまえはお人好しすぎるぞと、自分のことを叱ったり。
気を揉む様子が作品になるという作風。

「レンブラントの帽子」も、そんな作品のひとつ。
ただ、この作品の場合、彫刻家のルービンがなぜそんなに気分を害しているのかが、アーキンにはわからない。

校舎の前でぶつかってから、半年くらいたったころ、アーキンはルービンのアトリエに入る。そして、ルービンの作品をながめているうちに、アーキンはルービンの気持ちの一端がわかったような気になる。
また、ルービンの身になり、ルービンがどう感じたのかアーキンは考えてみる。

というわけで、アーキンがルービンの気持ちを理解する過程が、この作品となっている。
人情の微妙さを、ユーモラスで精妙な筆致でえがいている。
とにかく大変な完成度。
大筋のあいまに、過去のエピソードが挿入されるところなど、精密な部品がはめこまれたときのカチッという音が聞こえてくるよう。
この作風で、これ以上の完成度はもう望めないのではないか。

「引き出しの中の人間」
これは、イタリアものの変奏というべき作品。
イタリアもののひとつである、「最後のモヒカン族」では、画家の落伍者を自認する主人公のファイデルマンが、ジョット研究をしにイタリアにやってくる。
そこで、スキンドというイスラエルからきたユダヤ難民と出会い、悩まされる。

「引き出しの中の人間」の舞台は、イタリアではなくソ連。
妻を亡くし、ソ連に旅行にきた〈私〉は、タクシーの運転手であるユダヤ人、レヴィタンスキーと出会う。
運転手をしているものの、レヴィタンスキーは本来作家であり、国外で出版してくれないかと、〈私〉に原稿をみせる。
みせたのは、英語に翻訳された、4つの短篇。
〈私〉は、その出来映えに感心。
でも、ソ連体制下で原稿を国外にもちだそうとしたら、どんな目にあうかわからない。
かくして、〈私〉は煩悶するはめに。

ほかのイタリアもの同様、この作品も長すぎる気がする。
でも、4つの短篇のあらすじが紹介される最後の場面は忘れがたい。

「わが子に、殺される」
これはスケッチ風の短篇。
1人称と3人称が入り乱れ、会話にカギカッコがつかわれない。
内容は、心を開かない息子と、息子を心配する父親の話。

息子のハリィは22歳。
部屋に閉じこもり、煙草を吸い、新聞を読み、夜は戦争のニュースばかりみている。
職探しにでかけても、せっかくみつけた働き口を自分から断ってしまう。

父親のレオは息子のことが心配でならない。
勤め先の郵便局で2週間の休暇をとり、息子の部屋の前の廊下に立ち、話しかける。
ハリィに届いた手紙をこっそり読み、それがばれ、
《おれのことをコソコソ調べたりしやがって。殺してやる。》
などと、ハリィにいわれる。

息子が外にでると、父親はあとをつける。
ハリィが浜辺に立っているのをみつけたレオは、息子のそばに駆けよる。
「自分で自分を孤独にしてしまった息子」に、レオは語りかける。

《ハリィ、どう言ったらいいのかな。でも、人生なんて決して楽なもんじゃないんだよ。それだけしか、わしには言えない。……》

ここでは、《貧乏抒情》は影をひそめている。
代わりに、悲痛さと抒情がないまぜになったものがあらわれて、ひとを打つ。

本書の装丁は、和田誠さん。
バーコードが嫌いな和田誠さんらしく、ISBNのバーコードは帯に印刷されている。
カバーには、レンブラントの絵がえがかれているけれど、カバーをはずすと、少し困ったような顔をしたおじさんの絵があらわれる。
きっと、ルービンにちがいない。

また、巻末には、荒川洋治さんによる、「レンブラントの帽子について」という文章がついている。
そのなかで、荒川さんは「レンブラントの帽子」について、こんなことを書いている。

《四〇〇字詰の原稿用紙なら、三〇枚を少しこえるていどの短いものだが、人間の心の色どりと移ろいが、これ以上なく哀切に、精密に、劇的に、あたたかみをもって描かれている点で、マラマッドの短編の代表作であるだけでなく、二〇世紀アメリカ文学のなかでも屈指の短編であろうと思われる。》

《最後の場面は、胸にせまる。人間が放つ光を見た。そんな気持ちになる。》


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