タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
乱闘街
DVD「乱闘街」(1947 イギリス)
第2次大戦後の、まだガレキの山が残っているロンドンを舞台にした、ジュブナイル・ミステリ映画。
冒頭、クレジットが壁に書かれた落書き風にあらわれるのが、なかなか洒落ている。
下町で暮らす少年ジョーは、「トランプ」という新聞に連載されている、「名探偵セルヴィン・パイクの新しい冒険」という読み物を夢中になって読んでいる。
ジョーが読んでいるとき、その内容がマンガの吹きだしのようにジョーの脇にあらわれるのが可笑しい。
そうやって道を歩きながら読んでいると、小説にでてきた悪漢が乗っているトラックと、同じナンバーのトラックにでくわす。
――これはなにかある。
と、ジョーはトラックの荷物がはこびこまれた店に押し入る。
が、死体があると思った木箱には、毛皮があるだけ。
けっきょく、ジョーはやってきたフォード警部の世話で、警部の知人である青物商のナイチンゲール氏のもとではたらくことに。
遊び場になっている廃墟で、ジョーは仲間たちに会う。
車のナンバーを控えるのを趣味にしている少年が、けさ、ジョーがみたトラックのナンバーをみたという。
そんな番号は存在しないと、フォード警部はいったのに。
そこで仲間たちは活発に議論。
そのトラックは、車庫で死体をとりかえたのにちがいない。
いや、小説の「死体」というのは暗号かもしれない。
店のひとが悪いことをしてるなら、なぜ警察を呼んだんだ。
警察が、ジョーのいっていることを信用しないと踏んだのさ。
小説は、じつはボスからの指令で、悪党どもはそれを読んで悪事をおこなうのかもしれないぞ。
うんぬん。
こうなると、小説を書いている作家が怪しい。
ジョーたちは作家のウィルキンソンを訪ねる。
ウィルキンソンは、通りに架空の名前をつかうのが流儀。
しかし、掲載された小説には、実在の通りがつかわれていた。
加えて、ウィルキンソンが小説のなかでつかった暗号が、実際につかわれている模様。
怖くなったウィルキンソンは、私を巻きこむなとジョーたちを追いだす。
この結果を、ジョーはナイチンゲール氏とフォード警部につたえるが、2人ともとりあわない。
ジョーは、トランプを発行している出版社へ。
そこではたらいている、同じ年頃の少年ノーマンにわけを話す。
会社に物語を変えているひとはいないと、ノーマン。
しかし、まだ発行されていない来週号の暗号を解読してみると、入れ墨ジャックとその一味がデパートに押し入ることがわかる。
ここで視点が変わり、悪党たちが点描される。
今回は出番じゃないから映画にいけるわね、などという奥さんとのやりとりなど。
ジョーたちは警察に連絡。
そして、昼間デパートに入り、あちこちに隠れる。
夜、少年たちは大騒動のあげく、悪漢をとり押さえる。
と思ったら、警官を捕まえてしまい、大あわてで逃げだす。
包囲されるも、下水道をつかって脱出。
翌日、少年たちは仲間割れ。
すると、ノーマンがあらわれ新情報をもたらす。
上司の指示で、ノーマンはウィルキンソンのところに原稿をとりにいったのだが、ウィルキンソンは日曜日に郵送したという。
でも、郵便物は火曜日まで届かなかった。
それに、原稿はミス・デイヴィスが開けて、上司に渡していた。
となると、今度はミス・デイヴィスが疑わしい。
彼女は月曜日に原稿に手を入れたのち、会社に送り返しているのではないか――。
字幕の翻訳がいまいちのせいか、ストーリーがうまく呑みこめない。
少年たちは、ろくな証拠もないのに乱暴なことばかりして、みていてハラハラする。
少年たちがみんなはたらいているのも、戦後すぐという時期が反映しているのだろうか。
同じ時期を舞台にした、似た雰囲気をもつ小説として、「オタバリの少年探偵たち」を思いだした。
このあと、少年たちはミス・デイヴィスの家へ押しかける。
さらにいろいろあって、意外な黒幕が判明。
そこで、少年たちはウィルキンソンに悪党が全員登場する小説を書かせ、悪党たちを一網打尽にする計画を練る。
最後はタイトル通り、街中の少年たちがあつまって大乱闘。
ジョーは黒幕と一騎打ち。
少年向けの連載小説が、悪党たちの連絡手段だったというアイデアが、ジュブナイル映画として愉しい。
加えて、冒頭からラストまでテンポがよく、盛りだくさんの展開をみせる。
作家のウィルキンソンを演じているのは、アリステア・シム。
シムは、ヒッチコックの「舞台恐怖症」にも出演している。
山田宏一・和田誠の両氏による、「ヒッチコックに進路を取れ」(草思社 2016)という愉快な対談集のなかで、和田誠さんは、中学生のとき「乱闘街」をみて、変なおじさんだとアリステア・シムの名前をおぼえたと語っている。
第2次大戦後の、まだガレキの山が残っているロンドンを舞台にした、ジュブナイル・ミステリ映画。
冒頭、クレジットが壁に書かれた落書き風にあらわれるのが、なかなか洒落ている。
下町で暮らす少年ジョーは、「トランプ」という新聞に連載されている、「名探偵セルヴィン・パイクの新しい冒険」という読み物を夢中になって読んでいる。
ジョーが読んでいるとき、その内容がマンガの吹きだしのようにジョーの脇にあらわれるのが可笑しい。
そうやって道を歩きながら読んでいると、小説にでてきた悪漢が乗っているトラックと、同じナンバーのトラックにでくわす。
――これはなにかある。
と、ジョーはトラックの荷物がはこびこまれた店に押し入る。
が、死体があると思った木箱には、毛皮があるだけ。
けっきょく、ジョーはやってきたフォード警部の世話で、警部の知人である青物商のナイチンゲール氏のもとではたらくことに。
遊び場になっている廃墟で、ジョーは仲間たちに会う。
車のナンバーを控えるのを趣味にしている少年が、けさ、ジョーがみたトラックのナンバーをみたという。
そんな番号は存在しないと、フォード警部はいったのに。
そこで仲間たちは活発に議論。
そのトラックは、車庫で死体をとりかえたのにちがいない。
いや、小説の「死体」というのは暗号かもしれない。
店のひとが悪いことをしてるなら、なぜ警察を呼んだんだ。
警察が、ジョーのいっていることを信用しないと踏んだのさ。
小説は、じつはボスからの指令で、悪党どもはそれを読んで悪事をおこなうのかもしれないぞ。
うんぬん。
こうなると、小説を書いている作家が怪しい。
ジョーたちは作家のウィルキンソンを訪ねる。
ウィルキンソンは、通りに架空の名前をつかうのが流儀。
しかし、掲載された小説には、実在の通りがつかわれていた。
加えて、ウィルキンソンが小説のなかでつかった暗号が、実際につかわれている模様。
怖くなったウィルキンソンは、私を巻きこむなとジョーたちを追いだす。
この結果を、ジョーはナイチンゲール氏とフォード警部につたえるが、2人ともとりあわない。
ジョーは、トランプを発行している出版社へ。
そこではたらいている、同じ年頃の少年ノーマンにわけを話す。
会社に物語を変えているひとはいないと、ノーマン。
しかし、まだ発行されていない来週号の暗号を解読してみると、入れ墨ジャックとその一味がデパートに押し入ることがわかる。
ここで視点が変わり、悪党たちが点描される。
今回は出番じゃないから映画にいけるわね、などという奥さんとのやりとりなど。
ジョーたちは警察に連絡。
そして、昼間デパートに入り、あちこちに隠れる。
夜、少年たちは大騒動のあげく、悪漢をとり押さえる。
と思ったら、警官を捕まえてしまい、大あわてで逃げだす。
包囲されるも、下水道をつかって脱出。
翌日、少年たちは仲間割れ。
すると、ノーマンがあらわれ新情報をもたらす。
上司の指示で、ノーマンはウィルキンソンのところに原稿をとりにいったのだが、ウィルキンソンは日曜日に郵送したという。
でも、郵便物は火曜日まで届かなかった。
それに、原稿はミス・デイヴィスが開けて、上司に渡していた。
となると、今度はミス・デイヴィスが疑わしい。
彼女は月曜日に原稿に手を入れたのち、会社に送り返しているのではないか――。
字幕の翻訳がいまいちのせいか、ストーリーがうまく呑みこめない。
少年たちは、ろくな証拠もないのに乱暴なことばかりして、みていてハラハラする。
少年たちがみんなはたらいているのも、戦後すぐという時期が反映しているのだろうか。
同じ時期を舞台にした、似た雰囲気をもつ小説として、「オタバリの少年探偵たち」を思いだした。
このあと、少年たちはミス・デイヴィスの家へ押しかける。
さらにいろいろあって、意外な黒幕が判明。
そこで、少年たちはウィルキンソンに悪党が全員登場する小説を書かせ、悪党たちを一網打尽にする計画を練る。
最後はタイトル通り、街中の少年たちがあつまって大乱闘。
ジョーは黒幕と一騎打ち。
少年向けの連載小説が、悪党たちの連絡手段だったというアイデアが、ジュブナイル映画として愉しい。
加えて、冒頭からラストまでテンポがよく、盛りだくさんの展開をみせる。
作家のウィルキンソンを演じているのは、アリステア・シム。
シムは、ヒッチコックの「舞台恐怖症」にも出演している。
山田宏一・和田誠の両氏による、「ヒッチコックに進路を取れ」(草思社 2016)という愉快な対談集のなかで、和田誠さんは、中学生のとき「乱闘街」をみて、変なおじさんだとアリステア・シムの名前をおぼえたと語っている。
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