この湖にボート禁止

「この湖にボート禁止」(トリーズ 学習研究社 1976)

児童書。
訳者は、田中明子。
原書の刊行は、1949年。

主人公ビルによる、〈ぼく〉の1人称。
ビルは、お母さんと妹のスーザンと3人暮らし。

ある日、お母さんのいとこのフェイが亡くなったと知らせがくる。
ずっと疎遠だったけれど、フェイはお母さんに湖水地方の山荘〈せせらぎ荘〉を遺してくれたという。
ただし、条件がある。
5年間、毎年9か月はそこに住むこと。

ビルとスーザンの学校のこともあるし、引っ越しにはなかなか思い切れない。
でも、3人はせまい部屋を間借りして暮らしており、大家さんは意地悪。
けっきょく、お母さんが大家さんに啖呵を切り――大家さんがビルとスーザンのことを「ちびのよたもの」などといったから――3人は山荘に引っ越すことに。

引っ越し当日は大雨に降られてさんざん。
でも、山荘は旗の湖(うみ)という湖のそばにあり、なんとボートもある。
このボートも亡くなったフェイおばさんのもの。

ビルとスーザンはさっそくボートに乗り、湖の島まで探検にでかける。
ところが、その日の夕方、アルフレッド・アスキュー卿という大男が、せせらぎ荘を訪ねてくる。
アルフレッド卿はこの辺りの地主で、湖も、湖の島もアルフレッド卿のもの。
今後、湖にボートをだしたり、島にいったりしてはいけないと、アルフレッド卿は命じる。
あの島は鳥類保護場なのだ、と。

せせらぎ荘の隣りに住むタイラーおじさんによれば、アルフレッド卿はインド帰りの人物。
威張っているので、この村の嫌われ者。

せせらぎ荘にお茶を飲みにきた女性も、森を散策していたところアルフレッド卿に怒鳴られたという。
この女性は喫茶店とまちがえてせせらぎ荘にきてしまい、ビルとスーザンは女性が恥をかかないように、喫茶店のふりをして、お茶をだしたりしてあげた。
ビルが、鳥獣保護場のため島には入れないという話をすると、女性は笑う。
こんなに周りに山や林があるのに、なぜ島だけ保護場にしなければいけないの。
いわれてみれば、その通り。
アルフレッド卿には、島にひとを入れたくない理由でもあるのだろうか。

ともかく、これがきっかけで、お母さんは本当にせせらぎ荘で喫茶店をはじめることに。
ビルとスーザンは学校がはじまる。
ビルはグラマースクールに通い、謹厳実直なキングスフォード校長先生に出会う。
また、ティムという友だちができる。
ティムの将来の夢は刑事になること。
ちなみに、ビルの夢は作家になることだ。

一方、州立女学校に通うスーザンには、ペニーという友だちができる。
ペニーは女優志望だったけれど、けがのため足を少し引きずるようになってしまった。
でも、才気煥発で負けん気が強い。

こうして友だちになった4人は、徐々にアルフレッド卿と島の秘密に近づいていくことに――。

本書は、地方に引っ越した町の子が冒険にでくわすという、典型的なスタイルの児童文学。
このあと物語は、ヴァイキングをめぐるこの地方の歴史とからみ、宝探しの様相を呈してくる。
物語には2回、検死審問の場面がでてくる。
つまり、少年少女たちは歴史と社会にぶつかるので、これは優れた児童文学にそなわった特長といえるだろう。

本書は、何度か版元を変えて出版されている。
読んだのは、学習研究社版の、田中明子訳。
さすがに訳は古びているけれど、これで読んだので愛着がある。

新しい訳としては、多賀京子訳がある(福音館書店 2006)。
田中明子訳とくらべると、きびきびしている。
例として、ビルとスーザンがはじめて湖にボートを浮かべ、乗っても大丈夫だろうかと確認する場面を引用してみよう。

田中明子訳。
《「なかになにか重いものを入れてみなきゃ。ほんとうにだいじょうぶだとはいえないよ。」ぼくがいった。「喫水線のあたりに、ひょっとしたら穴があいているかもしれないよ。でもこれじゃあんまり浮きすぎているから、わかんないな。」
「じゃ、お乗んなさいよ。わたしがしっかり持っててあげるから。」スーザンがけしかけた。》

多賀京子訳。
《「まだ安心はできない。乗ったとき喫水線のあたりで水がはいってくるかも知れない。この状態だと、ボートが浮きあがりすぎていてよくわからない」
「じゃあ乗ってみてよ。しっかり綱を持っているから」》

福音館書店版には、原書のさし絵も収録されている。

印象的な大人が登場するのも、優れた児童文学の特長のひとつ。
本書の場合は、キングスフォード校長だ。
この村で育ち、旧弊で、曲がったことが大嫌いで、少々子どもっぽく、地域の歴史に詳しい。
最初こそ、ビルはキングスフォード校長の古い考えかたにうんざりするけれど、校長先生の率直な態度と、歴史への熱意に一目おくようになる。
類型的だけれど、生き生きと書かれているのがうれしい。

最後、島での宝探しの場面。
アルフレッド卿が、「その島は私有地だぞ」と怒鳴ると、キングスフォード校長はこういいかえす(ここは田中明子訳で)。

《「わしは、子どものころ、この島であそんだのじゃ、50年まえのことだ。」キングスフォード先生がやりかえした。「そして、わしは――これからだって、その気があれば、ここでつづけてあそぶぞ!」》

福音館書店版の訳者あとがきには、作者のトリーズがこの作品を書くきっかけとなった、2つの出来事が紹介されている。
ひとつは、寄宿学校の生徒を主人公にした本はたくさんあるけれど、ふつうの学校に通う子どもたちの本はだれも書いてくれないと、訪ねた学校の少女たちにいわれたため。

もうひとつは、歴史小説を書いていたトリーズに、娘のジョスリンが、たまには現代の物語を読みたいといったため。

加えて、本書の着想には、物語の後半で触れられる「ミルデンホールの宝物」についての出来事も影響しているのではないかと思う。
1942年、トラクターで畑をたがやしていたところ、すきになにか引っかかり、調べてみるとローマ時代の銀の大皿などがみつかったという、実際にあった出来事。
ロアルド・ダールがこの出来事を取材して文章を書いており、その文章にダイナミックな絵をつけた本が、「ミルデンホールの宝物」(評論社 2000)として出版されている。


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