スピリット

「スピリット」(ティオフィル・ゴーティエ 沖積舎 1986)

訳は、田辺貞之助。

ひとことでいうと、青年が幽霊の女性と恋仲になるという話。
19世紀フランスの上流階級が舞台。
3人称、主人公の青年視点。

青年の名前は、ギ・ド・マリヴェール。
28、9歳の美男子で、土地から4万フランの年収があり、ゆくゆくは病弱な伯父の数百万の遺産を相続する予定という、けっこうなご身分。
社交界では、ギは裕福な若い未亡人のダンベルクール夫人と恋仲だと、もっぱらの評判。
夫人もそのつもりでいるのだが、ギにはちっともその気はない。
ときおり社交界から逃れるために、長期の旅行にでかけ、雑誌に旅行記や小説を寄稿する。

こんなギの身に、不思議なことが起こる。
ダンベルクール夫人に手紙を書こうとすると、いささかぶしつけな内容の文章を知らぬ間に書いている。
しかも、その筆跡は別人のもの。
また、夫人のもとにいこうとすると、かすかな溜息が聞こえたような気がする。

社交界にはフェロー男爵というスウェーデン人がいて、神秘の世界に詳しい。
フェロー男爵はいう。
「マリヴェールさん、いつか若い娘があなたに恋こがれて死んだことはありませんか」
ギにはそんなおぼえはない。

ギは、身のまわりにいるらしき精霊と交信してみようと決意。
鏡をみつめていると、美しい女性があらわれて消える。

前の日に雪が降り、心をしずめるためにギが馬にそりを引かせていると、鏡でみた女が上品なそりに乗ってあらわれる。
ギはあとを追うが、そりは消えてしまう。

夜、美しい女性の精霊(スピリット)は、ギの手をあやつり、自身の告白をしたためる。
修道院にいたころ、自分の妹を訪ねてきたギにはじめて会ったこと。
手に入るかぎり、ギの文章を読んだこと。
家柄は、ギの家柄に負けていないこと。
修道院をでてから、イタリア座にいったとき、ギをみかけたこと。
ギがあらわれそうな舞踏会に出席し、念願がかないギがあわられたものの、気づいてもらえなかったこと。
ギがダンベルクール夫人と結婚するという噂に胸を痛め、ふたたび修道院に入ったこと。
まもなく、やせ衰えて亡くなり、肉体の牢獄から解放されたこと。
そして、ギがだれも愛しておらず、永遠に自分のものになるかもしれないと悟ったこと。
その後、陰からギにはたらきかけていたこと。

ギはフェロー男爵のみちびきでスピリットの墓をもうでる。
スピリットの名前は、ラヴィニア・ドーフィドニといった――。

古い小説らしく、文章が優雅で冗長。
この古びたところが、趣きがあり読んでいて楽しい。
また当時の風俗についての描写や、うがった心理描写もうれしい。

一冊の長編とはいえ、ストーリーはシンプル。
ギとスピリットの関係だけで話は進む。
視点も、ギからはなれることはほぼない(筆記によるスピリットの告白や、物語の最後のほうは視点がギからはなれる。こんな風に場面転換が素早くないところも古風だ)。

文章はとても視覚的。
ためしにスピリットがピアノを弾く場面を引用してみよう。

《彼女の指は幾分薔薇色がかった蒼さで、白い蝶のように象牙の鍵盤のうえにかざされていたが、たださまようだけで、ろくに触れもしなかった。だが、羽毛の先を曲げるほどでもない、微かな接触から音を呼び起こした。調子はきらめかしい手が鍵盤のうえをさまようとき、まったくひとりでに湧き出した。長い真白なドレスはインドの織物よりも薄い理想的なモスリンで、その一巻きが指輪の穴を通れるほどであったが、ゆたかなひだを描いて彼女のまわりに垂れ、雪白の泡の花飾りをなして足元に沸き立った。……》

描写はまだまだ続く。
もうひとつ、スピリットの筆記から。
ラヴィニアがはじめて舞踏会に出席するにあたり、衣装をととのえる場面。

《わたしはいろいろ迷った挙句、二重になったスカートをはき、銀のラメをつけた薄紗の服を着ることにきめ、勿忘草の花束で引き立てようと思いました。勿忘草の青い色は父がジャニセの店で選んでくれたトルコ玉の装飾ととても調和しました。服に散らばる勿忘草の花に似せたトルコ玉が髪飾りになっていたのです。わたしはこういう風に武装して、あまり引け目を感じずに、華やかな衣装や有名な美人のあいだに出ていけると信じました。》

この舞踏会にはギもくると思っているから、ラヴィニアは気合が入っている。
少し前では、こんなこともいっている。

《舞踏会はわたしたちには勝つか負けるかの戦いです。薄ぐらい部屋のなかから出て来た若い娘は、そこで一気にあるだけの光に輝くのです。》

スピリットの墓を詣でても、話はまだ終わらない。
ギはスピリットと親しむように。
しかし、スピリットには肉体がない。
ギは思いあまって自死しようとするが、スピリットに止められる――。

本書を読んでいて思い起こしたのは、中国の伝奇小説のことだった。
キリスト教徒は幽霊と恋仲になるのに手間がかかる。
これが中国の、たとえば「聊斎志異」だったら、どんなに話が早いだろう。


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