巨人戦九連敗

2012-09-14 14:27:41 | 塾あれこれ
今季も巨人などには弱いカープです。
横浜くらいにしか勝てない様ですね。
(余りに情けないので本日2本目の投稿です)

最近は新聞のスポーツ欄もほぼ読まなくなったし
ましてTVの野球中継など見ません。ダルイ。

いつごろからか(オーナーの所為も大いにありそうですが)
広島は巨人の子分になったかのようなところが見えますね。
昔は「巨人にだけは負けるな」でしたけれども。

四月五月はまだマジメにやっていたようです。
六月末に大竹が勝ち、七月十一日がマエケンで勝ち、
そのあと引き分けを挟んでの九連敗はミジメです。

今井、野村、大竹、バリントン、福井、今井、バリントン
戸田、今井  これが連敗中の先発です。
救援は、相手が泣いて喜ぶ今村

勝てそうもない投手が多く並んでいますね。
我慢して育ててるんだか、潰しにかかっているのか。

マエケンや野村が少ないでしょ?

ローテーションの関係ってスタッフは云うでしょうね。
はたしてそれだけか。

巨人戦には一回から点を差し上げるバリ先発でも客が入る。
横浜戦ならマエケン・野村でも出さないと客が入らない。

また、勝ち星の計算もあるでしょう。
勝ちやすいところへ良いピッチャーをまわし
勝ちという数字を伸ばすのです。

良い試合を見せよう、ではなく監督が自分のために
数字を残そうとしているだけに思えます。
ファンはどうでもよいらしい。


コーチも悪いね。若手投手が伸びない。
伸びているのは資質があるものだけです。
(Oさん、全日本のコーチをやっても失敗しているし。
 ヒトは好さそうなんですが)

ま、N監督が一番問題ですね。
選手起用その他の責任者ですから。

負けて選手のセイにするのが気に入りません。
バントもできない、と嘆きますが、その前に
出来る選手に育てておくのが監督の責任です。
技量がそうなっていないのならまず監督が自分を恥じなきゃ。


何だか、あちこちに悪口を言うだけのブログになりました。

TEDの学校教育批判

2012-09-14 09:31:56 | 塾あれこれ
KEN ROBINSONの学校教育批判です。

TEDですから元々は欧米の教育をイメージしているので
しょうが、日本にも共通する内容でした。
というか「欧米でもやはりそうなんだ。なら日本は・・・」

先日NHKの『プレゼン』で紹介された"Schools kill creativity"
という、ケン・ロビンソンのプレゼンテーションは
2006年6月にウェブサイトにアップされて以来、
今日までに1200万回以上再生されているようです。
支持をうけている証拠でしょう。

『塾や学校では「読み書き算盤」の教育でよい』という
私の意見とは、一見180度違う話のように思えますが
そんなことはなく、まったく同感するプレゼンでした。


元来、全ての子供には創造性=クリエイティビティが備わるが
大人(教育)がそれを潰している、と主張されます。

大人が失敗を「負」と評価するので創造性が摩耗してゆくのです。

世界中の学校が、数学や語学を重視し、アートを下に見ます。
大学入試のために教育をしているからそうなるのです。

「数学や語学は社会に出て有用であるが芸術では喰えない」

私だって一般論ではそう言うでしょうね。
本音は少し別のところにあっても、とりあえずは、そう言う。

よほど才能があるのならともかく、それほどでもないならば
数学や語学に力を入れる方が、将来性を確保しやすいというのが
「常識」でしょう。

逆に言うと社会がそれを望み、政治が従っただけです。

私も誰か生徒から相談をうければ、現実はこう、と常識を
アドバイスするのが先です。
(それでも、というのなら話は別になります。
 よほど才能がある人は周りが止めても止まらないでしょうし。)

他人の生涯に亘っての責任を持てない人間=私としては
(この社会での安全)が優先されますから常識先行。
CREATIVITYよりLITERACYにね。

そういう読み書き算盤重視が創造性を殺す、とケンは
云うのですが、きっと短いプレゼンでは完全には云いづらい
ところもあったのではないでしょうか。

ギャグやヒューモアに富んだとても楽しい話ですから尚更。


ケン・ロビンソンの主張を続けましょう。

歴史的にも社会的にもリテラシーがクリエイティビィより
重視されてきたわけですが、さて現代はどうか。
大卒は町にあふれているではないか。
リテラシーだけではとても不十分、
地球は激変し、人口も爆発している、そんな中
これからは創造性に富む人間でないと通用しないであろう。

知性とはあらゆる感覚を使って考えることではないか。
「体を動かすことでモノを考える」ということも、アリなのです。

そういう面にそった学校教育が望まれるのに
創造性を「殺す」教育ばかりである、と言われます。

次いで、ジリアン・リンという女性の話を紹介されました。
ミュージカル『キャッツ』の振付師です。(今85歳だとか)

ジリアンは小さい頃、学習障害があるとされていました。
お母さんが悩まれて、或るスペシャリスト(訳では専門家)に
相談されたのだそうです。

一定の話が済んで彼女を部屋に一人で残し、大人が退室
その時にラジオをつけて出たのだそうです。
勉強では落ち着きのなかった彼女は部屋で一生懸命踊ってた。

で、スペシャリストが
"Gillian is't sick. She's a dancer."

もしここで「落ち着いて勉強させる方法」などが押付けられてたら・・・

すべての子供には未来があります。
大人に出来ることは「それにむけ何か手助けをすること」
carefullyにwiselyに。


まったくその通りですね。

付け加えますが、厳しさがないと逆に自由に伸びません。
甘やかし礼讃、ではありませんので念のため。
もちろん、これはケンの御高説ではなく、私の意見です。


それでは、現在の学校で芸術を沢山教えればそれでよいか?
私には大いに疑問があります。
ケン・ロビンソンさんは楽観的なように見えましたけれど。

やはり創造性を摩耗させるだけではないか、と思えます。
何を、に問題があると言うより、どう、に問題があるからです。

リテラシーを教える「から」創造性が摩耗するのかどうか?
ならば言語を使う芸術はどうなるんでしょう。

音楽・絵画・舞踊・・今の学校で教えれば創造性が保てますか?
やはりズタズタにされるでしょう。特に日本では。

問題は学校の在り方。
国家が教育することに問題の根源があります。
もう上手くいかないのです。

(組合が悪い?・・私にはよく分かりません)

解決策は、ごく簡単に云うと、学校では読み書き算盤だけ。
(ほんとうは学校もなくし、塾がやればよい。
 自由競争の導入です)

野球クラブ、ダンススクール、ピアノレッスン、美容学校
茶道、などなど、官制学校から離れて好きなことに励み、
それにお金と単位認定を出せばよいのです。
就学年齢も形態も自由に。
(結局、江戸時代の手習い・寺子屋に戻って、再構築です)

経済界や官僚、現国家機構を握っている人からは
そんな自由なシステムは認められそうもないですがね。

しかし、学習する権利は個人にあります。
それをあんな国家が握りこんで良いものですか!