古いヤツだと・・

2009-10-17 14:28:09 | 本の話
中野孝次著『中国古典の読み方』日経ビジネス文庫

中に触れてある古典とは
論語、史記、十八史略、老子、荘子、春秋左氏伝・・

それらを部分的に紹介しながら、およそどんな古典か
全体像も感じられるという名人芸です。

古典への誘い。

もちろん中野さんの考えやサリゲナクご自慢も披瀝。

(読み方)とはいえ、どうすれば読めるかハウツー
というものではなく、深い部分に届く「読み方」です。

じつは中野さん、私の好みではありません。
それほど好きな日本語じゃないのです。
考え方も違うところがあるし。

しかし流石に偉いかたはツボの押さえ方が違います。

細かいところはさておき、古典も読まねばという気に
なるから不思議ですね。


「若い時分には手も足も出なかった古典の言葉が
 年を取るにつれていきいきと・・」

「行き詰ったかに見える西洋文明式社会に対して
 最も根源的な処方箋」

などと書いておられます。

短い引用では平凡に聞こえますが、実は奥行きの
深い言葉でもあります。

古来、日本人はかくあるべしと皆が考えていた
それを今は多くの人が忘れている、
もしくは否定しているのです。

「物」ではない「心」だ、
「情報」ではない「姿勢」だ、と説かれます。

昔の人間のほうが人生に直接向かい合う必要があり
その分、思索が深かった、生き方が純粋であった。

そして
「人間は文化の伝統に学んで初めて人間となる」
・・このことを二千五百年前に孔子が言っている
中野さんはこれを言いたいのです。

言われて私は
(そーだよなー)(でも難しーなー)

古典にはさんざん手を出しかけて挫折しています。
「意味ワカラン」「何でこれが良い?」
最後まで読めないのですから情けない。

そんな私でもそろそろ古典か、と思う次第です。


中野さんはもう新書は読まないと書いておられます。
そこまで達観はできないけれど、書評とかランキング
とか気にする私ではなくなってきました。
現役じゃないって事ですねえ。


読んでいて、ガーンと殴られた部分があります。

『老子』紹介中
「ぺらぺらしゃべる人で本当に物事を知る人のない」
という部分です。

塾などでの私の仕事
聞きかじり、読み流し、ブログで恥かき・・
これを厳しく指摘された気分です。

もともと、ひとさまの成果を勉強してそれらを
あとの世代に噛み砕いて適宜伝える仕事です。

ところがあたかも自分が考えたかのごとく
威張っちゃったりしていますねえ。

ピタゴラスが偉いのに、三平方の定理を教えて
「どーだ感心するだろう」とかね。
知ったかぶりと言おうか、一つ間違えば落語の
『薬缶』のご隠居です。

あ~あ。