♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■幸いな人-悲しんでいる人 /福井 誠

2011年02月17日 | Weblog
2011/2/17放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 悲しんでいる人」です。

それではマタイの福音書5章4節から読んでみましょう。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(新改訳聖書第3版)

 悲しんでいる人が幸いだなんてどうしたものでしょうか。悲しんでいる人は不幸そのものではないでしょうか。事実、誰もかれも悲しくなるようなことは避けて人生を生きているではありませんか。

 しかしどんなに気をつけていても、悲しみに迷い込んでしまうことがあるものですねえ。そしてもはやこの世のものでは何をしても自分の悲しみを埋めるものはない。どん底に落ちた悲しみを味わうこともあるでしょう。

 ある深い悲しみの中にあるお金持ちの婦人が言いました。「お金を持っているというのは、ごまかしが効くということである」と。「悲しいときには飲んで食べて買って、自分をごまかせる」と。「しかし、ごまかしはごまかしに過ぎない」と言いました。

 人はこの世の慰めでは慰めきれない深い悲しみを味わうことがあるのですねえ。実際ここで「悲しみ」と訳されたことばは断腸の思いを意味することばです。自分の惨めさを思い知らされ、もはやあらゆる人の慰めも尽きてしまった。望みがない、という悲しみですねえ。

 しかし聖書はそのような悲しみを味わう人は幸いなのだと言います。というのも、そこに単なる人間的な慰め以上の神の慰めがあるからだという訳です。

 聖書にはこんなことばがあります。
 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇 34篇18節 新改訳聖書第3版)

 心が打ち砕かれ、魂が打ち砕かれた絶望的な状況にある人と共に神がおられるのです。この天地万物をお造りになったまことの神、全能の神が共にいてくださいます。

 私たちは望みを捨ててはいけないのですねえ。人の慰めが尽きた所に神の慰めを期待しなさい、と語ってくださる神様を素直に信じて行きたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.17放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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