ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

武寧王生誕祭in加唐島

2005-06-11 16:03:49 | 百済王伝説
加唐島(佐賀県唐津市)に行ってきました。
今回の目的は武寧王生誕祭。
加唐島には朝鮮の王さま(百済25代の武寧王)が誕生したという伝説があります。
1971年に韓国の公州で武寧王陵の墓誌石が発掘され、
日本書紀にある武寧王の記述が年代的にかみ合ってきたことから、
その伝説が注目され、
日韓の研究者の間でもおおよそこの島なのではないかということになっているようです。

私が注目しているのはその真偽ではなく、
武寧王伝説を加唐島の方たちがどのように語って来たのか、
そして現在語っているのか、今後語ろうとしているのかという、
地域と伝説との関係です。まあそれは論文に書くことにして、
今、お世話になった方たちに礼状を書いているところです。

今回、わずかな時間でしたが、加唐島の方々、また生誕祭に向けて尽力されてる方々にお会いし、
その想いに触れることができたことは、大きな収穫でした。
しかし、調査なのですから、一時でも長くペンを走らせるべきところなのでしょうが、
加唐島に渡った途端、不思議な安堵感に包まれてしまい、
加唐島に流れている時間の刻みに自分の身を預けてしまうと、
日頃の慌しさにどれほど疲れていたかに気付かされました。
振り返ってみれば、私は今回、加唐島でゆっくりと休ませていただいて、帰ってきたような気がします。
(いや本当に、深く深く眠りました。)

海鮮バーベキューは今までに見たこともない量のサザエや獲れたてのアジ、
「でも朝獲ったのを昼食べるんだから」とまるで新鮮でないようにおっしゃるのには驚きました。
海の幸、そしてなによりも人の幸、
泊めてくださったS本さん家族の本当に暖かなおもてなし、
夏みかんを手渡してくださって、「島のこと思い出して」と言ってくださる方、
本当にみなさんありがとうございました。
加唐島小・中学校のみなさんの歌や踊りに観光客が本当に感激していたのを見て、
この武寧王伝説にはこの子どもたちが欠かせないと思いました。

あっという間にいつもの慌しい毎日にもどりましたが、
加唐島のことを思い出し、ゆっくりと時間を刻むことの大切さを
忘れないようにしたいと思っています。
加唐島のみなさん、ありがとうございました。
コメント (2)
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創作劇「徐福伝説と徐福音頭」を演じた人々

2005-06-11 15:57:05 | 徐福伝説
今春、名古屋市高年大学を卒業された18期地域学科のみなさんからお誘いを受け、
初めての同窓会を、私の補講の日にしていただき、続けて懇親会にまで参加させていただきました。
(なぜ補講かは、2月19日の記事をご覧下さい。)

もう半年以上も前の文化祭を、今でもみなさん懐かしく思い起こされて、
私にも、「私は始皇帝です。」「徐福です。」などと話されるのが実に愉快でした。
そしてようやく、以前いただいていた千草さまの文章にあったお一人お一人にお会いすることができ、
ブログへの掲載許可もいただきました。
始めに相談を受けたとき、徐福で劇を作るなんて…と反対したのですが、
今改めて、みなさんにとってきっと徐福でなくてはならなかったのだなという思いを強くしたのは、
この文章を読んだからです。


  クラスメイト  
        十八期地域学科 千草悦子
  二年生に入りM氏が五ケ月程の闘病について話された。
  治療方法の選択、病室での過し方、入院費用、等々。
  又揺れ動いた心の内も丁寧に話して下さった。
  冷静に痛いと向き合われての闘病には、感心しました。
  今は卸元気になられてうれしい事です。
 
  Mさんは御夫婦で、机を並べて講義を受けられていた。
  何とか卒業させてあげたい、との願いも適わず、
  御主人を亡くされました。
  
  文化祭で、徐福伝説の劇をするにあたり、
  先の御二人が、泰始皇帝と王妃に選ばれたのは、
  文化委員、脚本の方等々の、元気になって、との
  やさしい応援だったとききました。
  Mさんは、こんな時に私が派手な事を、お断りしなければ…と
  本当の大和撫子でした。
 
  主役である徐福役のK氏も、
  「衣装が出来る度、徐々に心も徐福になって行く」と
  衣装担当のUさんを労らう事も忘れない方でした。
  
  踊りの練習を始めた頃、
  Sさんが「劇で衣装を付けてる人も、
  そのまま皆で踊りましょう」と言って下さり、
  その輪に入りました。
  手作りの劇と踊りでしたが、大成功に終ったのも、
  そのベースに、やさしさと思いやりのある仲間から生れた事と
  確信しています。
 
  クラス代表の静かで、穏やかなT氏は、目立たない所で、
  一人一人の個性に合った、気くぼりを、されてみえました。
  鯉城での、こんな友との出会いは、私の財産です。

  最後になりましたが、
  一番お若い田中先生【注:担任の先生】の笑窪の出来る笑顔は素敵でした。
 (『鯱城』第56号、2005年3月、名古屋市高年大学鯱城学園学生会、15-16頁)


みなさんが、「今度はみなで熊野に行きましょう」と決めていらっしゃるのにも
驚きました。今回の補講、新宮と熊野をとりあげたのは、全くの偶然でした。

親子ほどの年の差でありながら、すっかり仲間に入れていただき、
楽しい時間を過ごさせていただきました。
秋には熊野旅行ということで、まだまだみなさんとはお会いすることがありそうです。
どうぞそのときまで、みなさん元気で!
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歴史ロマン!金印ロマン!!

2005-06-11 11:17:49 | シホのホ(雑記帳)
加唐島の帰り、佐賀県立図書館で文献資料にあたりました。
佐賀県民の声に応えて、春から月曜休館を火曜休館にしたとのこと、週末を使って調査に出かけるときに図書館にも寄って来れるのは助かります。

お昼に徐福が縁でお世話になっているS岡さんとお会いする予定でしたが、
もともと佐賀の徐福と出会うきっかけとなった村岡さんもお忙しいなか図書館まで迎えに来てくださり、
佐賀の金立S.A.にある徐福長寿館に勤めるY口さんも御一緒に、
わずかな時間でしたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。
筑後川の鰻、そしてスメ(味噌のうわずみ)で炊いた鮒の昆布巻き、
同じ佐賀でも昨日までは玄界灘、そして今日は有明海を前にして、美味しいものばかりいただきました。感謝!

さて、村岡さんは佐賀で有名なお菓子屋さんで、
お土産に写真の「金印ロマン」というお菓子を持たせてくださいました。(「丸ぼうろ」も美味しかった!)
これ、実は買って帰ろうと思っていたんです。息子ワタルが小6で歴史の授業が始まりました。
学年のテーマは「歴史はロマン!」だそうで、ノートのはじめに大きく書かれています。
この間、志賀島の金印の話もしていました。
村岡屋には「徐福さん」というお菓子もあるのですが、このお菓子きっと喜ぶと思ったのです。

案の定、ワタルは「あー金印だあ」と叫びました。
そう、このお菓子、写真からはわかりませんが、しっかり底の部分に「漢委奴国王」って書いてあるんです。本当にタイムリーなお土産でした。

それにしてもワタルたちの社会科の授業、なかなか楽しそうです。ワタルのページに社会科の宿題が載っています。

佐賀県立図書館
徐福長寿館
村岡屋「金印ロマン」
コメント (4)
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