ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

徐福伝説は海を越えて・・・

2005-06-29 10:14:39 | 徐福伝説
徐福伝説は海を越えて・・・って、徐福そのものが中国から海を越えて日本に来たんじゃないの!?という方があるかもしれませんが、それとはまた別の話。
最近、中国との距離を近く感じることがいくつかありました。
その1つは、中国江蘇省連雲港市の徐さんという方から、いただいたメールです。

  始めましてよろしくお願いいたします。
  私は徐○と言います。カン楡県の出身で、今は連雲港市○局で働きます。
  1988年徐福祠が落成した際、私はまだ高校生です。
  家系である従兄弟の徐○さんが勧めてくれて、連雲港徐福研究会の会員になりました。
  その後は、国内の徐福研究専門家の羅○教授や於○先生などと何年間お手紙で連絡いたしました。
  シホさんのことは市委宣伝部の○処長さんから聞きました。○さんと張○さんは仲良しみたいです。
  いろいろ調べてから、シホさんの研究成果がこんなに豊かなことも初めに分りました。
  凄く感動します。
  私は今はお仕事で毎日忙しくて、徐福研究に熱心がずっと持ってるのに、
  いろんな原因があったから、全然出来ませんでした。今はせめて徐福研究ファンですかな。
  (中略)
  徐福の関係で、日本と日本語に興味が出ました。
  (中略)
  何時かまた中国に来たら、案内してあげますね。
  徐福ファン 徐○より

こうして若い(同世代?)の方が、徐福をきっかけに日本や日本語に興味を持ってくれること、
私の研究にも目を通してくださっていること、本当に嬉しく思います。
徐福の故郷と呼ばれ、その子孫といわれている方とも従兄弟の関係でありながら、
「徐福ファン」「徐福研究ファン」というのも、現状がわかり面白く読みました。
中国で出版されている、中国語の徐福研究の本に、拙文をいくつか載せていただいているのですが、
そのせいか、中国天津の大学に現在留学中のH君から、

  自分の○大学の語学パートナーはシホさんの名前を知っていました。
  徐福を勉強したことがあるそうです。中国と日本を身近に感じた瞬間でした。

徐福研究が、海を越えて自由に行き来を始めているのかもしれません。
そういう流れをこれまで私たちが民間レベルで、多くの先輩方にお世話になりながら
実際に出かけていって作ってきたわけですが、
それがすこしずつでも次の世代に、当たり前のこととして伝わりはじめているようで、とても励まされました。

今年2005年8月末に中国青島の海洋大学で「徐福国際シンポジウムin青島」が行なわれるということで、
御招待いただくことになり、現在、その打ち合わせをしているところです。
こうした研究機関と私がお世話になってきた多くの地域の方たち、研究家の方たちの橋渡しができるようになりたいと考えています。
コメント (3)
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