新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

友が退院

2010年08月23日 16時14分13秒 | 身辺雑記

 午前中、入院していたH.I君の奥さんから、突然に電話をもらった。

 H.I君が退院したという報せだった。手術時間に14時間を要したのだが、その後、順調に回復し、8月20日に退院できたとのこと。とても嬉しい話だった。

 当初の想定より順調だったらしく、思っていたより早い退院だったように思う。

 本人とも話すことができた。手術が喉の附近にまで及んだせいか、今の段階では、声に張りがなかった。「どんどん話すように」と、医師から指示されているとのこと。

「お盆の月のお見舞いは避ける」

 昔から私の故郷では、そんな風習があった。月遅れのお盆なので、「8月は病気見舞いをしない」ということになる。9月に入ったら、顔を見に行きたいと思っている。

 今日も猛暑日で、ウンザリしていた。しかし、H.I君の声を聞いたとたんに、力が湧いてきたように感じだ。 不思議なものだ。

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ビリになってやる!

2010年08月22日 06時51分08秒 | 身辺雑記

 子供の頃から、私はこだわりが多かった。何事によらず、こだわりを持った。そのこだわりも、いい方向に向いたものならまだいい。ところが、褒められない妙なこだわりがかなりあった。

 たとえば、中学校時代のマラソン大会。「絶対にビリになってやる!」と、愚かなことを公言し、頑張ったことがあった。「ビリになる頑張り」というのも不思議な言い方だが、実際にビリになった。

 実はその前段があった。入賞するため、近所の同級生たちと、密かに練習をしていたのだ。

 うろ覚えだが、マラソン大会は2月ごろ。練習は、星がきらめく冬空の下で行った。とにかく寒かった。今でもその寒さは覚えている。

 ところが、短い距離の練習なのに、私は完走できなかった。途中でイヤになってしまうのだ。辛くなると、歩き出す。少し楽になると、走り始める。しかし、また苦しくなる。また歩くということを繰り返した。

 こんなことでは、とても練習にはならなかった。自信をなくすために、寒い星空を走ったようなものだった。

 この練習を提案したのは私だった。付き合ってくれた同級生たちの手前、もはや「止めようや」とは言い出せず、とんでもない一計を考えた。「一度ぐらいは、恰好のいい順位でゴールしたい」という思ったからだ。つまり、コースのショートカットを目論んだのだ。

 練習コースは、小川に並行している農道。上流に向かって2キロほど走り、上流で橋を渡って向こう岸の道路を戻ってくるコースだ。途中に橋がなかったので、狡いことはできない仕組みとなっていた。

「一度くらいは早く戻ってきたい」と思った私の一計は、川幅の狭いところを飛び越そうとしたのだ。仲間が走り去ったあとで、しかも戻ってくる前に、ピョンと飛び越す算段だった。

 ある練習の夜、その一計を実行することにした。幸い月はなく、星明かりの寒い夜だった。仲間たちが走り去ったので、狭いと見当をつけた場所で、ピョンとやっつけた。

 バシャン!と、見事に落っこちてしまった。手は向こう岸の篠を掴んだのだが、片足が小川を飛び越せなかったのだ。

 やがて上流から、仲間たちの跫音が聞こえ始めた。出るに出られず、通り過ぎるのを待ってから、とぼとぼとゴールを目指した。その時の寒かったこと。

 その夜以来、私はマラソンの練習をやめた。「ビリになってやる」と公言したのは、その夜以降だった。

 マラソン大会当日、案の定、私はビリになった。頑張って走ろうにも、足が動かなかったのだ。「意図的なビリ」ではなく、「正真正銘のビリ」だった。中途半端な遅れではなかったので、心配になった教師が、自転車で迎えに来てくれた。

 自転車に乗っかってゴールに戻ったのは、私のほかにもう一人いた。H.H君だった。一緒に練習をしていた同級生だった。

 H.H君は数年前に亡くなった。肝臓ガンであった。

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夕べは通夜

2010年08月21日 09時21分33秒 | 写真俳句・エッセー

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 昨日、後輩のH.M君に、残暑見舞いを書こうと思って、机に向かっていた。

 今年の正月、彼から年賀状がなく、2月になって、寒中見舞いが届いていた。その葉書には、昨年12月に、本人と奥さんが、癌のため別々の病院に入院し、治療に専念していると書いてあった。

 私はその後の病状が気にかかり、葉書を書くつもりだった。

 葉書を机の上に取り出し、他の用事もあって、ある後輩に電話をした。その電話の折り、H.M君が前日に亡くなったことを知った。

 通夜は昨日の18時、千葉県市原市で執り行われるとのこと。

 驚きとともに、大いに慌てた。やはり虫の知らせだったのだ。

 通夜の開式に、やっと間に合った。後輩のS.T君、M.K君、H.Sさんも列席していた。また、Y.S君の奥さんもいて、初対面の挨拶した。H.MさんやY.S君の奥さん、故人の奥さんは、以前からの仲間だったらしい。

 悪性リンパ腫だった奥さんは、快方に向かって退院し、遺族席で列席していた。

 丁重なご挨拶をいただいた。

   露けしや突如報さる友の通夜   鵯 一平

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生き急ぐなよ

2010年08月17日 05時49分29秒 | 写真俳句・エッセー

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 秋に入ったというのに、とてつもなく暑い。温暖化現象なのでしょうか。

 エアコンを運転し続けても、温度は一向に下がらない。

 しかし、そのような状況でありながら、公園などの木立で鳴く蝉の声に、時には秋の気配を感じたりもします。

 法師蝉の声などに、一瞬の秋を感じます。願望がそう思わせているのかもしれませんが。

 夏の盛りを過ぎて聞く蝉の声には、生命の限りを鳴き尽くそうとしている一途さがあります。 

 それがまた、哀歓を誘うのでしょう。

 今日もまた暑そうです。

 暑いながら、午後には雷雨が来そうだとも言われています。

 夏の甲子園も、いよいよベストエイトが出揃います。

 子供たちの夏休みは、まだまだ10日間以上も残っています。

 きっと宿題の焦りはないでしょうね。

 秋蝉の声に、残暑さを感じるか、移る季節への哀れを感じるか、果たしてどちらでしょうか。

    ことさらに生き急ぐなよ秋の蝉  鵯 一平

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八月十五日に思う

2010年08月14日 11時07分20秒 | コラム・エッセー

 八月に入ると、毎年のように、私は血が騒ぎます。

 昭和20年の夏、当時は国民学校5年生だった私は、艦砲射撃や焼夷弾爆撃を経験しました。その挙げ句に、8月15日に終戦を迎えました。

 私の人生は、そこから出発したようなものです。

 日本の国も、多くのものを失った後、そこから歴史的な再出発をしたのです。

 日本の再出発と自分の出発が重なってしまいました。強い語調で当時を語りたくなってしまいます。饒舌にすらなってしまうのです。

 もともとこんな饒舌は、年寄りが陥り易い傾向でもあります。他人にとっては、聞きたくもない話なのに、熱を入れて長広舌をしてしまうのです。

 そんな私を傍から見ていた後輩から、「いつまでもそんな話をしていていいのか?」と、かなり辛辣な批判を受けました。

 一応、批判は批判として受けるにしても、やはり雀百まで踊り続けたい。

 マッカーサー将軍から戴いた憲法にしがみつき、安全保障をアメリカに依存し続けている日本。(その場になったら、守ってくれないかも知れないのに)

 一方では、「思いやり予算」や「国際貢献」の名のもとに、多額の血税を献上し、しかも感謝すらされていない日本。

 その上、「グローバルスタンダード」とやらを押しつけられ、国柄までも変えてしまいつつある日本。

 このままでは、アメリカ、中国、ロシアに挟撃され、日本の国は溶けて流れてしまうかもしれません。

 われわれ日本人は、もう一度考え直して、国柄の建て直しから始めるべきです。

 しかしながら、現在の政党や政治家には、期待はできそうもありません。

 正直の話、どの政党に頼んでも相手にされもない。努力をしてくれそうな気配すらもないのです。

 現在のような国家的な危機にあっても、しっかりした国家観を持った政治家は出てくれません。「この人なら……」と思っていた若手政治家ですら、(ナントカチャイルドとかナントカガールズでもないのに)、口に出る言葉は派閥次元の事柄が多いのです。

 呆れたというより、とても悲しい。日本人は不幸だと、つくづく思います。

 日本の国土や国民の生命・財産は、日本人の手で守る!

 国家の基本であるこのようなことが、こんなに難しいとは思いませんでした。

 北方領土はロシアに占領されたまま。

 竹島は韓国によって、実効支配されています。

 尖閣諸島もきな臭い問題をはらんでいます。

 北朝鮮に拉致された被害者を連れ戻すこともできません。

 そのくせ、ことある毎に、謝罪を繰り返しているのです。

 これで国家と言えるのでしょうか。

「政治が悪い」、「政治家が悪い」、「官僚体制が悪い」と言いますが、根本は、国民に気概が欠けているからだと思います。

 多くの国民は、「戦後民主主義」や「似非平和主義」に毒されてしまっております。

「溶けて流れてノーエ、溶けて流れてノーエ、溶けてサイサイ」の調子よろしく、日本丸は漂流しながら溶けて行くのでしょうか。 

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