八月に入ると、毎年のように、私は血が騒ぎます。
昭和20年の夏、当時は国民学校5年生だった私は、艦砲射撃や焼夷弾爆撃を経験しました。その挙げ句に、8月15日に終戦を迎えました。
私の人生は、そこから出発したようなものです。
日本の国も、多くのものを失った後、そこから歴史的な再出発をしたのです。
日本の再出発と自分の出発が重なってしまいました。強い語調で当時を語りたくなってしまいます。饒舌にすらなってしまうのです。
もともとこんな饒舌は、年寄りが陥り易い傾向でもあります。他人にとっては、聞きたくもない話なのに、熱を入れて長広舌をしてしまうのです。
そんな私を傍から見ていた後輩から、「いつまでもそんな話をしていていいのか?」と、かなり辛辣な批判を受けました。
一応、批判は批判として受けるにしても、やはり雀百まで踊り続けたい。
マッカーサー将軍から戴いた憲法にしがみつき、安全保障をアメリカに依存し続けている日本。(その場になったら、守ってくれないかも知れないのに)
一方では、「思いやり予算」や「国際貢献」の名のもとに、多額の血税を献上し、しかも感謝すらされていない日本。
その上、「グローバルスタンダード」とやらを押しつけられ、国柄までも変えてしまいつつある日本。
このままでは、アメリカ、中国、ロシアに挟撃され、日本の国は溶けて流れてしまうかもしれません。
われわれ日本人は、もう一度考え直して、国柄の建て直しから始めるべきです。
しかしながら、現在の政党や政治家には、期待はできそうもありません。
正直の話、どの政党に頼んでも相手にされもない。努力をしてくれそうな気配すらもないのです。
現在のような国家的な危機にあっても、しっかりした国家観を持った政治家は出てくれません。「この人なら……」と思っていた若手政治家ですら、(ナントカチャイルドとかナントカガールズでもないのに)、口に出る言葉は派閥次元の事柄が多いのです。
呆れたというより、とても悲しい。日本人は不幸だと、つくづく思います。
日本の国土や国民の生命・財産は、日本人の手で守る!
国家の基本であるこのようなことが、こんなに難しいとは思いませんでした。
北方領土はロシアに占領されたまま。
竹島は韓国によって、実効支配されています。
尖閣諸島もきな臭い問題をはらんでいます。
北朝鮮に拉致された被害者を連れ戻すこともできません。
そのくせ、ことある毎に、謝罪を繰り返しているのです。
これで国家と言えるのでしょうか。
「政治が悪い」、「政治家が悪い」、「官僚体制が悪い」と言いますが、根本は、国民に気概が欠けているからだと思います。
多くの国民は、「戦後民主主義」や「似非平和主義」に毒されてしまっております。
「溶けて流れてノーエ、溶けて流れてノーエ、溶けてサイサイ」の調子よろしく、日本丸は漂流しながら溶けて行くのでしょうか。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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もっと確固たる信念を持った、行動力のあるリーダーが何故出てこないのか、不思議でなりません。
外国に媚び、国民に媚び、はがゆい限りです。
ひよどりさんが、このようなメッセージを発信するのは意義あることだと思います。
まったく、日本は国家の態をなしておりません。
日本はすでに36回も謝罪をしています。
その度に、当事国からは不足だと批判され、周辺国からは、我が国のこんな問題についても、踏み込んだ謝罪をすべきかと言われております。
ほとほとイヤになりました。
体験した人々が声を張り上げて訴えなければ、そして、次に続く人々に伝えなければ、そのうち、消えて無くなるものなのですね。どのような物凄い事柄でも。
どういうわけか、8月だけはまだそのような声が聞こえてきますが、年々小さくなっています。
それだけ年数がたち、戦争を知らない人々が多くなったということなのでしょうか? 危機感を感じます。
先日、韓国併合100年にあたり、「菅談話」は発出されました。
民主党内にすら反対意見が強かったのに、総理と官房長官が強行をしたそうです。
今年は閣僚の靖国参拝はありませんでした。
急速に左傾して行っていると思います。
左傾を非難しているワケではありません。
ひたすら自己否定し、近隣諸国におもねっていることに危機を感じます。