緊張すると上がってしまう。
ドキドキして、汗がでる。動作がぎこちなくなる。言葉がうまく出ない。
つまりこれは、ストレスを感じたときの身体反応なのだろう。
子供のころから、私はアガリ癖があった。国民学校1年生の学芸会(今は何と言っているのかなあ)。私は開会の言葉をする羽目になった。
幾度も演習をさせられた。家でも親の前でやった。
親の前では平気なのに、学校ではうまくいかなかった。ほかの誰かに代わって貰いたくて、いろいろと言い訳を考えたりした。
そのような私の心境を察知していたのか、母親の特訓は厳しかった。
細かいことは覚えていないが、予行演習の日はうまくいった。
その日、ルンルン気分で家に帰ったら、
「うまくいったじゃないの!」と、母親に誉められた。予行演習は講堂でおこなわれたのだが、窓の外で、母親が見ていたらしい。心配だったのだろう。
学芸会の当日も、うまくやれた。
こんな古いことを覚えているのだから、当時の私にとって、大きなイベントだったのだろう。
アガリ癖はその後も続いた。
「六三制 野球ばかりが うまくなり」、という川柳が作られたほど、中学生時代から、私たちは野球に夢中になった。
学校対抗の試合も、地域対抗の試合もあった。
夢中になっていた割りに、野球でもアガリ癖が出た。特にバッターになった時がひどかった。ストライクを見逃して、ボールを振ったりした。身体が正常に反応してくれなかったのだ。
テレビで見る高校球児たちのプレーは、まるで奇跡に見える。よほど鍛えているに違いない。
中学生時代から柔道にも熱を入れた。高校時代、学校対抗の選手になったこともあった。
不思議なことだが、柔道ではあがったことを覚えていない。お互いに、襟と袖口を取りあって呼吸を計るのだが、あがって失敗した覚えはない。一対一で相対しているので、あがる余裕がなかったのだろうか。
大人になっても、アガリ癖はあった。しかし、なんとか凌いできた。大きな失敗は記憶していない。
大人数の前で話をする機会もあったが、なんとかことなくこなしてきた。それだけ図々しくなってきたのだろう。
ストレスの受け方や反応は、人さまざまなのだろう。
安倍首相は、国を預かる身として、大きな負担を感じていたに違いない。
だからといって、今般の身の処し方を、認めるわけにはいかないのだが……。
忘れは激しいです。
それに思い違いもあります。約束の場所を勝手に思い込んで、違うところで待っていたり……。
少しの救いは、直ぐに間違いに気づくところでしょうか。
順調に、健康的に老いていることの証しなのだと、自信満々なのが、また滑稽です。
あがるってことは、お互いにナイーブの証明かもしれません。
このごろあがらくなったのは、鈍感になったのかなと、喜び半分淋しさ半分の気分です。
私もあがり症です。
ぶっつけ本番ではあがらないのに
時間をかけて準備したときにかぎってあがるのです。
要するに開き直った方がうまくいくんですかね。
安倍さんに図々しさがあったらと思います。
子供の頃の記憶はまるで昨日の出来事のように覚えているのに!
昨日のことが50年前の事のように思い出せない!
困ったものです
もの忘れ防止の何かいい方法はないでしょうか?