鈴木宗男衆議院議員と佐藤優外務事務官による対談形式の著書「反省」を読んだ。
序文で佐藤氏は、「国民に対する説明責任を果たさないで、本当にすみませんでした。深く反省しています」と書いている。
また鈴木議員も、「過去に私たちが、外務官僚の大きな逸脱を黙認し、社会にとって守るべきでない人や組織を守りすぎてしまったことも、皆さまににお詫びしなければならない」と書いている。
鈴木宗男事件は、田中真紀子元外務大臣の非常識な行動や去就とも絡んで、世間の耳目を集めた。
その後佐藤氏は、鈴木氏を陥れるために図られた「国策捜査」のため、身に覚えのない事件をデッチ上げられたと主張。現在上告中。
両氏の対談では、外務省および外務官僚の能力低下、不作為、自己保身等の構造悪を指弾している。
今さらそのようなことを言い立てるまでもなく、太平洋戦争勃発時のアメリカ大使館員の意識欠如や不作為の例もあるとおり、日本の官僚機構における不作為や自己保身については、イヤになるほど見せつけられてきた。
両氏もそのような構造の一員として、ドップリ漬かっていたのではなかったのかと言いたい。いまごろきれい事を言ってほしくない。
「私は知りませんでした」ならまだ救いはある。しかし、「知っていながら見過ごした」と言っているのだから、両氏を含めた政治家や官僚機構に国の行く末を委ねている国民にとって、こんな悲劇はあるまい。そんな連中に、税金や政治献金が使われていたのだ。
しかも最も重大な問題は、そのような明け暮れの内に、国益を著しく毀損したのだ。「反省します」ですむ話ではあるまい。
もちろん、我が身の名誉をかえりみずに明らかにしたとなれば、勇気ある行動とも言えるのだろうが、「被告人としての法廷闘争」と解されなくもない。
外務省の機密事項を共産党にリークし、国会質問をさせたことが事実だとすれば、組織の解体的改革をしなければ、今後もまた同様な事態を引き起こしかねない。これでは国賊を飼っているようなものだ。
そうは言っても、佐藤氏は、異能の人とは言え中間管理職である。組織に対して何処まで影響力を行使できたかは疑問だ。
問題は鈴木議員だ。「見過ごした」ですむ話ではない。選んだ選挙民にも責任の一端はあるのだろうが、ほとんどは選良たる議員の責任だ。
外務省の腐敗の実態を知らなかったのであれば、「不明」を問われるし、知っていて見過ごしたのであれば、「背任」に近い。
もともと北方領土問題は難しい。なにしろ相手はロシアだ。一朝一夕に進まない。しかし、断固たる国民の統一的意思を示さなければ、国の誇りも実益も失われる。
彼らの行動や不作為は、そこを大きく損ねたのではなかろうか。
とにかく外務官僚の鼻持ちならないエリート意識と、閨閥を含めた一家意識は、国を危うくする。
北朝鮮X氏と田中均氏の経緯も、田中氏の独断ではなかったにしても、自信過剰のエリート意識が見え隠れする。「オレがやらなければ……」という気概に基づいた行動だったとしても、後々の言い訳がうっとうしい。
鈴木議員や佐藤氏についても、このような形でしか告発はできなかったのだろうか。日本外交のお粗末な実態が、これが実態だとすれば、外国の思うつぼだ。
「私たち二人がいれば、ロシア警備隊の射殺や拿捕はなかった」と、二人は言っている。外交や国防は、個人レベルの対応で終始していてはならない。そこに利権がなかったにしても、国対国のシステマテイックな対応に早々にレベルアップを図っておくべきだ。
安倍内閣による公務員改革が進められようとしている。天下り禁止に主眼を置いているようだが、あれでは天下りは改善されない。言い訳のシステムを作ったようなものだ。
しかしそれはさておき、官僚機構の見直しを図る意図については、是としたい。このままでは、官僚が栄えて国が滅びる。
「反省」を読んで、つくづく日本の将来に不安を感じた。
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