久間防衛大臣が「原爆投下は、しょうがなかった」と言ったとかで、大騒ぎになり、辞任した。当然のことだろう。
国も人も、本音があり、それは絶対に他言してはいけない。
昭和20年の夏、追いつめられていた日本に、まったく勝機はなかった。本土決戦などと出来もしない世迷い言を唱えていた軍人はいたようだが、大方の戦争指導者は、「国体保持」を条件に、白旗を掲げようとしていた。
連合軍としては、勝利をとうに確信しており、最後のツメを考えていたところだったのだろう。やはり彼らの懸念としては、ソ連の参戦だった。ソ連が参戦する前に、日本の息の根を止めようとしたはずだ。
ところが日本は意志決定が遅く、イライラしたアメリカが原爆を使用した。
これも一つの文脈だ。
しかし、異なるストーリーもある。せっかく作った原爆を、日本で使ってみたいと思ってもなんの不思議もない。
つまりこの二つが、原爆使用の経緯だったのだろう。彼らにとっての必然性であり、言い訳だ。
我々としては、その言い訳について納得することも許すこともできないが、「そんな奴らの動きがあっても、不思議はなかったなあ」とは思う。しかしこれは、許したことでもなく、「しょうがない」と認めることでもない。
「そのような行動にでた彼らの心の内は想像できるが、我々としては、この非人道的な行為を許すことはできない。しょうがないとも思わない。心の焦りは理解出来るが、国際法で容認されている他の方法で対応すべきだったのだ」
と、強く言いたい。
逆の場合、つまり「だまし討ち」と言われている真珠湾攻撃についても、「実は大使館員の送別会でした」と言って納得してもらえるわけもなく、腹の中で、「国賊的外交官め!」と心の中で罵りつつも、言い訳には使えない。
本音やハラのうちをペラペラ喋っていいのは、家の中だけ。そのことをわきまえられない人は、政治家であって欲しくない。選んで欲しくない。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます