俳句の季語に、「春愁」と「秋思」がある。
花が咲き、小鳥が囀り、心が浮き立つ春なのに、ふと心を誘うもの思い。
とらえどころのない憂いやそこはかとない哀しみ。
明るさや希望の中で感じてしまう哀愁が「春愁」。
極言すれば、贅沢な気の迷いみたいなものかもしれない。
「春愁」には、そのようなニュアンスを感じている。
一方で「秋思」は、盛りから衰えに向かう季節にあって、人生の寂寥や生存の悲しみみたい な、もの。
つまり、より根源的な悲しみなのではなかろうか。
80年のよわいを重ねた私が、「今」感じている「思い」は、「秋思」なのだろうか?
立つ波と砕け散る波わが秋思 ひよどり
私は時折、このようなことを書いてしまう。
決まって若い友人から、お叱りのメールが届くことになるのだ。
意気軒昂とはいきませんが、なんとか元気なフリをしようと思っています。
そのためには何をなすべきか?
何をしてはいけないか?
今のところ、塩分を控え目とお酒の1合まで。
おおよそ守っています。
年齢は頂くもので、頂いたからとてそのように生きられるものでもありません。
元気いっぱい、最期まで元気でいられるような力強さがありますね。