病気というほどのことではないのだが、時折り何もしたくなくなる。
何をするのも億劫。考えても頭の中がまとまらない。
どこかが痛いわけでもなく、痒いわけでもない。
倦怠感とでも言うのか。
そうそういい言葉があったっけ。「不定愁訴」
朝から曇り空で、少しは雨がパラついた。
朝青龍が帰国することになった。高松親方と協会の医師が、一緒にモンゴルへ行くのだそうだが、ご苦労なことだ。監視役なのだろう。
それにしても最後まで、朝青龍からは、明解な説明も反省の弁もなかった。高松親方と医師が廊下トンビをやって、やっと帰国の運びとなった。
朝青龍の身勝手な我が儘に、相撲協会もフアンもすっかり振り回された。
一部の報道によれば、モンゴルでのビジネスが云々されているとか。
相撲協会や親方をはじめとする関係者には、いい反省のキッカケになればいいと思っている。
とくに高松親方には、猛省を促したい。
端っからの教育がなってなかった。親方自身、分かっていたのかしら。
大相撲は日本の大切な伝統的文化だ。中には滑稽なほど硬直的な仕来たりもあるが、それも一つの文化なのだ。変えなければいけないものは勇気をもって変えるべきだが、基本には、伝統を守る気概がなければならない。
朝青龍の相撲に、強い者の謙虚さといたわりの姿があったろうか。強いことがすべてだという奢りや慢心が、随所に見え隠れしていたように思う。
この度の騒動も、奢りと慢心が根底にあった。
強ければ何をやってもいいと思っていなかったか。
横綱一人ではなく、高松親方にも言えることだ。朝青龍の姿が、現役時代の朝潮関にダブって見えることもあった。
高松親方自身、伝統の厳しさを理解できていたろうか。
モンゴルでの日常がどのようなものになるのか、予測もつかない。
一件落着でもいいではないか。
モンゴルの人々の不興を買うかもしれないが、説明や教育が不足していたのだから、日本人も甘受せざるをえない。
文化や伝統は、にこにこ笑っていただけでは守れない。
大相撲には日本古来の文化と伝統が詰まっている。携わる人々の確固たる信念と実行に向けた強い意思が必要だ。
今回の騒動は、本来、起きてはならないものだが、起きてしまった場合、高松親方が横綱を破門すべきであった。大関以下ならそのようにすべきだったろう。
横綱は更に上の存在なので、相撲協会扱いとなるのかもしれないが。
身体が大きくて力持ちというだけで、入門をさせないほうがいい。
いい教訓になってくれればと思う。
スポーツの相撲競技と大相撲は違います!
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