この季節は、「総会」やら「懇親会」が多い。
なかでも、仕事関係の延長線上にある集まりは多い。あれやこれやを数えると、両手が必要だ。しかしリタイアした今、何のこだわりもなく「欠席」に○をつける。
しかし、私が会長を仰せつかっている集まりだけは欠席できない。血の濃いのやら薄いのやらはあるが、否やを言える立場にない。欠席するくらいなら、初めから役目を受けなければいいのだ。
同窓会やクラス会も多い。みんな郷愁を感じる季節なのだろうか。
ある雑誌を読んでいたら、「同窓会不倫」というのがあるのだそうだ。お互いに家庭を持ち、それぞれにお城を構えている。そのような男女は、逃げ帰るお城があるので、冒険をしたがるらしい。同級生が相手なので、お里が知れている安心感も働く。
冒険心の多さと強さは、断然女性のほうだそうだ。常々抑圧されていたものが、気心が知れた安心感が働き、つい爆発するのだろうか。これは実体験ではない。書かれたものの受け売りだ。だから、真偽についての責任は持てない。
折角の機会だから、実体験に触れたい。
10年ほど前にご主人を亡くした親しい60代女性に、「恋人はできたかい?」と訊ねてみた。答えが奮っている。
「私に興味を示すのは、60代から上なのよねえ。嫌になっちゃうわ~」
見事に煙幕を張られてしまった。
煙幕を張られた私から見て、60代半ばの男性には、萎れたとは言え、まだ華がある。
言っちゃぁ悪いが、女性の場合だって60代そこそこまで。孫の話題で盛り上がっているようでは、華は萎れかねない。
孫の話を悪いと言っていない。「華がほしい」と言っているのだ。
「華って何?」という質問が出そうだ。これにはきっと、それぞれの尺度があるに違いない。私にとっての「華」は単純だ。「声をかけたくなる何か」がほしい。年齢でもない。孫の話でもない。声をかけたくなる何かなのだ。
男は身勝手なのだが、いつまでも女性には華があってほしい。
「お茶でもいかがですか?」と、ふっと声をかけたくなる気分にさせてほしい。
もっとも、こちらは爺さんだから、断れるのは承知の上なのだが。
もちろん、若さは重要な要素だが、もっと肝腎な何かがありそうだ。
カミさんにもそれを求めたい。
かく言う私自身は、萎れたどころか、形そのものが朽ちてしまった。
かなり身勝手な話を並べたてた。非難はもとより承知の上。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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声をかけたくなる・・・・そうですよねぇ。
さぁてと、今日は通院日だが、厚化粧でも・・・
ひよどりさんに同感です。
女性も男性も身だしなみがおろそかになってしまった方には魅力や清潔感が無く、見るのも嫌になってしまいます。
高齢の方でビシッと決まっている方に魅力を感じますね。
でも、真赤かの紅と強い香水は頂けません。
あははは♪
ご自分はさておき、妻にはいつまでも「女性」であって欲しいのですよね。
分かります。
私も夫にそれを言ったら「それじゃ、どこで気を抜けばいいんだ」と怒られました。
家庭内ではオトコとオンナでいるのは、、もう無理なのでしょうね。
一応、夫の休日には身綺麗にしていますけど。
意味深ですが分かるような気がします。
何か・・・なのですね。こころを惹かれるような・・・そんな女性でありたいとは思っています。
声をかけるのは難しい。
気合が必要なのですよ。
多少はスキをを見せてくれた方が近づき易いですね。
私の趣味は多少派手な女性がいいなぁ。
それからスキを作ってくれること。
初めから、押しても引いてもダメな感じでは声をかけません。
きつめの香水の方が、加齢臭よりはいいかな。
家庭でもオトコとオンナがいいですよ。
わが家はそんなわけには行きません。
しかし、お爺さんとお婆さんでは困ります。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、これは避けられませんね。
かく言う私は、実は老爺丸出しです。
その「何か」が大切なように思います。
あまり「オンナ」を丸出しでは、返って辟易します。
男の場合はどうなのでしょうか?
一週間ほど前の集まりで、幹事の計らいで21歳二人、22歳二人のコンパニオンを招きました(勿論有料ですが)。
実際、楽しめませんでしたね。
共通の話題がないと言うことかもしれません。
若い娘が良いと言う男の『惰性」みたいなものですね。
2年ほど前に50歳前後のコンパニオンが来た時は、容姿は別にして楽しかったです。
他の人は楽しんでいた様子ですので、私だけの僻みかもしれませんが。
ここ数日の忙しさでまとめ読みさせていただきました
うんうんとうなずいたり
なるほどとおもったり
歳時記では興味深く眺め読みしました
「華」の話は何時までも華でありたい願望だけはあります
が実際のところ精神的なものが必要です
読んで頑張ろうと思いました
今のところ(この気持はどこまで続くのか…不安)