「不景気、いつまで続くンでしょうか・・・?」
行きつけの床屋での話。
私の頭を整えながら、若奥さんに質問された。ありがたいことに、彼女は私の係。
「さあ、私も聞きたいねえ」
私に分かる訳がない。いかに年寄りでも、こんな経験は滅多にない。
「床屋さんの商売、あまり不景気の影響はないでしょう?」 失礼な質問だったかもしれない。
「そう言われればそうですねえ。バブル崩壊以来、ずーっと悪かったですから・・・」
「でも、多少懐が淋しくても、調髪はするでしょうから・・・」
「そう思われるでしょうが、ところがそうでもないのですよ。以前は、余分なご注文もいただきましたし・・・」
どうやらそのようなものらしい。髪が少ない私としては、もとより細工のしようがない。つまり、贅沢をしたくても、私にはできなかったのだ。
妙なところで納得できた。
何処へ行っても、誰と会っても、現在は景気の話に尽きる。その挙げ句は政治批判だ。
眼が肥えてきたはずの国民なのだが、政治を変える動きには繋がらない。諦めている。
そう言って嘆いている私も同じだ。行動を起こす気力がない。
「どうせ・・・」
このような淡泊さは、日本人の悪い美徳かもしれない。
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「どうせ・・・」
いい言葉ですねえ。
「どうせ一度はあの世とやらへ ・・・」
股旅演歌です。
私はこの十年ほど、散髪屋さんには行っていません。
その頃、私が子供の頃から通っていたご主人が亡くなられました。
昔からの散髪屋さんは、客と世間話をしたり、会話が楽しかったですね。
お客さんの話もよく聞いていました。
お客さん同士も、知り合いばかりで待ち時間が苦になりませんでした。
一種の社交場のような感じでした。
私も極端に毛が少なく、そのご主人が亡くなられてからは、他の所に行く勇気を失いました。
それからは、家内がその役目を果たしてくれています。
そういえば、白髪染めやヘアーアイロンなんて頼んでた時代があったナァ、と思い出しました。
私も毎月行くほどの毛髪はないのですが、義理と習慣で、出かけます。
世間話もそれなりに面白いです。
若奥さんも悪くないですね。
われわれが騒いだところで、どうなるものでもありません。
しかし、このままで子孫へ引き継ぐこともできません。
どのようにしたらいいのでしょうか。
床屋さんへ行かれてスッキリさっぱり
世の中は何事もさっぱりダメな状態ですね
どうなるものやら
不信だけが残っています
昨日の「おほほの水仙」が楽しいです
これから水仙を見る目が変わってきそうです
水仙は小悪魔少女。
そんな風に思っているのは私だけらしいですね。
でも、口を大きく開けて、屈託なく笑っている感じがします。
ドジな私を見詰める悪戯っぽさもありそうです。