春はもの思いに耽る季節でもありますね。
万事にガサツな私でも、「春愁」とかいう季語に心惹かれます。
「秋思」が「根源的なもの思い」であるのに対し、「春愁」はむしろ「オセンチっぽい思い」かな?
かなりひどい思い込みかも知れません。
さみししさの形さながら花なづな ひよどり 一平
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虐待死、自死など。
どうしてこのような仕儀に到るのでしょうか。
学校、児童施設、親が、ほとんど無責任に近いコメントです。
あらゆる大人に腹が立ちます。
あまりにもかわいそうな子供たち。
虐待死。
子供の自死。
なんで? なんで?なんで? 大人は何をしているのだ。
泣けています。
あのように大勢で咲いているのに、
なんとも撮りにくい花ですね。
今日も撮ったのですが、不満足なのです。
どんな詠み方をしてこ照れずに済むところが俳句のいいところですね。
無手勝流で作って、臆面も無くアップしています。
ペンペングサとも呼ばれる花でしたっけ?
こういう小さなモノは写せないです。
御句に唸っています。
本当、春はおセンチになりますね。
別れあり、新しい出会いありの時期だからでしょうか。
こうしてみると、花なづなは、そんな気持ちにピッタリですね。
みごとな取り合わせの写真俳句と拝見しました。
腹這いになるのはいやですし、
身体を低くして撮ったので、うまく行きませんでした。
かなりの年齢のジイサマが、
ペンペングサに取り組んでいる図は妙でしょうねェ。
この薺、なんとも弱々しい感じでした。
如何にもペンペングサという雰囲気でした。
この花を写真に収めるのは至難の業です(ワタシには)。
風が少しでも吹くと…。
春愁の度合いが高まるようです♪
春愁はセンチ・・確かにそんな感じがしますね。
この頃私も何となくセンチになってきているようです。
薺が咲き始めたのですね。これを見てこねば・・。