さだまさしの曲に、「関白宣言」がある。私はこの曲が好きだ。
人によっては、「女性蔑視の曲」だと言うらしい。
しかし私は、そのようには思わない。これは妻に献げる「愛の詩」だ。
♪ 子供が育って年をとったら
俺より先に死んではいけない
例えばわずか一日でもいい
俺より早く逝ってはいけない
何もいらない 俺の手を握り
涙のしずく ふたつ以上こぼせ
お前のお陰で いい人生だったと
俺が言うから 必ず言うから
・・・(略)・・・ ♪
子育て現役時代、だいぶカミさんに苦労をかけた。苦労をしていることに、さして気付きもしなかった。いや、気付かないフリをしていた。
そんな私だったが、死ぬときにはしっかりと、「お前のお陰で、とてもいい人生だった」と、これは必ず言うつもり。
死ぬときに言うくらいなら、今すぐに言えばよさそうなもの。ところが、なかなかそうは運ばない。カミさんにしても、私が急に感謝をしようものなら、とてもビックリするに違いない。病気になったと思われるかもしれない。つまり、双方とも、不慣れなのだ。
このような不器用さは、私世代の特徴かもしれない。「感謝の気持ち」や「愛の告白」など、素直に言えないのだから困ったものだ。
実のところ、「不器用」で済ませられることではない。意思の疎通が不十分なのだ。だから誤解を受けたり、気持ちが伝わらなかったりして、時には困る事態に陥ったりする。
私の場合、この不器用さは、カミさんに限ったことだ。ほかの人には、素直にすんなりと感謝の言葉が言える。まったく困ったことではないか。
ひょっとしたら、この不器用さは、世代の問題ではなく、私個人の問題かもしれない。急に自信がなくなってきた。
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