昭和16年12月8日の朝、ラジオの叫び声があった。
当時の私は、国民学校1年生であった。
その前に目覚めていたのか、そのラジオで起こされたのか、はっきりして記憶していない。しかし、あの叫び声は覚えている。
記憶が定かでないので、太宰治作「十二月八日」(昭和17年2月発表)の一部を、書き写してみよう。主婦の語り口で綴られた小説だ。
『きょうの日記は特別に、ていねいに書いておきましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう』
・・・・(略)・・・・
『十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の支度に気がせきながら、園子(今年六月生まれの女児)に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞こえてきた。
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光りのさし込むようにあざやかに聞こえた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。・・・(略)・・・日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。』
あの日から、違う日本になったのだろうか。
翌9日の讀賣新聞の記事の見出し。
『暴戻・米英に対して宣戦布告』という記事が載った。みんなが興奮状態にあったことは確かなようだ。
70年余も以前の今朝だった。
十二月八日ラヂオの叫び声 鵯 一平
歴史の必然だったのかどうか、今後の日本を創る上で、通る道筋だったのかどうか、今になっても、私は結論を出し切れていない。
ただ、多くの生命が失われたことは、厳然たる事実であった。
雨模様の今朝だが、これから快方に向かうようだ。
あの朝はもっと寒かったのではなかったろうか。
あの日から引き算ばかり開戦日 鵯 一平
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