kan-haru blog 2011 最後の晩餐(修復前)
< 総合INDEX へ
・地下3階展示場(続)
大塚国際美術館の地下3階展示会場では、実物大のシスティーナ礼拝堂やスクロヴェーニ礼拝堂などの環境展示の大きさと展示現画の忠実な再現の迫力には圧倒されました。居ながらにして、1,000点を超える数の多さの世界名画の美術館を、陶板名画の技術により観賞ができるとは予想できませんでした。
地下3階展示場では、古代の名画がギリシャの壺画、ボンベイの壁画やモザイク画などが約130点と、中世の名画がイコン、聖堂の壁画など約100点が、各環境展示場とギャラリーA、Bに系統別に展示されています。
前回記述の環境展示のエル・グレコの部屋には、大祭壇衝立の展示と共にスペインのマドリッドのプラド美術館にある「聖三位一体」(1577-79年)と「聖アンデレと聖フランチェスコ」などの名画の5点が展示してあります。また、エル・グレコの部屋の手前にはフェルメールの部屋があり、そこでは「真珠の首飾りの少女」(1665-66年頃)の再現名画の他に、4点の展示画を見られます。
エル・グレコの部屋[左]とフェルメールの部屋[中・右](左・中・右写真拡大)
環境展示の再現陶板を見た後、ギャラリーを足の向くまま歩いて陶板名画をみて歩きました。地下3階展示場は、古代と中世の名画を纏めてあり、十字架上のキリストの再現画が多いなかで、イタリアのラヴェンナにあるビザンティン建築のキリスト教建築の代表的な聖堂のサン・ヴィターレ聖堂中にある小さな色石を合わせたモザイク画を再現した、「皇妃テオドラと侍女達」 (写真の左)と「皇帝ユスティニアヌスと随臣たち」 (写真の左)が展示してあり、その展示場の床にも陶版画が描かれてありました。
地下3階展示場ギャラリーを歩く1(左・中・右写真拡大)
古代画展示ギャッリーAの中央部には、古代ギリシアの遺跡の町パエストゥムから出土したパエスト-ム国立考古学博物館の所蔵のエジプトの石棺画が展示されております。
中央には再現した「飛び込む男の墓」(石棺)が展示され、展示室の壁面には紀元前5世紀末の出土した、墓の蓋の絵の「飛び込む男」と、墓のの周壁に描く宴会を描く「饗宴」と「剣闘士の戦い」画の陶板画が展示されています。
石棺画(左:パエストゥムから出土した「飛び込む男の墓」(石棺)の再現、右:石棺の蓋の絵の「飛び込む男」)
・地下2階展示場
地下2階展示場はルネサンスとバロック時代の名画の展示場で、ルネサンスの再現陶板画がポティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロなどが約140点と、バロックの再現陶板画がレンブランド、ベラスケスなどの約110点が展示されています。
地下3階展示場からエスカレータを利用すると、すぐ前がルネサンスホールの入り口でギャラリーAとなっています。ギャラリーAには、イタリアのフィレンツェのウフィツィ美術館貯蔵のサンドロ・ボッティチェリが1482年頃描いた「春(ラ・プリマベーラ)」の名画や、同ウフィツィ美術館貯蔵の15世紀フィレンツェ派を代表する、巨匠サンドロ・ボッティチェッリ1485年頃の傑作作品の「ヴィーナスの誕生」の陶板画および、同ウフィツィ美術館貯蔵のヴェネツィア派の最盛期を代表する画家のティツィアーノ・ヴェチェッリオの1490年頃の作品「ウルビーノのヴィーナス」で、ヴィーナスのポーズはジョルジョーネ作の『眠れるヴィーナス』を下敷きにしており、西洋絵画における裸体表現の重要な作品と云われています。
ルネサンスの名画(左:春(ラ・プリマベーラ)、中:ヴィナスの誕生、右:ウルビーノのヴィーナス)
ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として、巨匠レオナルド1498年に描かれた「最後の晩餐」は、聖書に登場するイエス・キリストの最後の日の最後の晩餐の情景を描かれたもので、ルネサンス古典様式を代表する西洋美術史上の最高傑作と云われています。
しかし、1970年代までは、その芸術的価値もよくわからないほど画面は暗く形もはっきりしませんでした。ところどころにレオナルドらしくないタッチがあったりもしました。その損傷の理由は、レオナルドが漆喰の壁にはふさわしくないテンペラ(顔料に亜麻仁油と卵 を混ぜたもの)で描いたこと、教会の食堂の壁に描かれたために湿気をたえず吸収してしまったこと、1943年に連合軍の空爆によって建物が破壊されて構造 体が大打撃を受けたことなどです。そのうえ、18世紀以降、繰り返し描き直しや描き加えが行われてきました。
1977年に、ミラーノの文化財保存監督局が女性の修復士ピニン・ブランビッラさんに依頼して、科学的検査をもとに、画面に堆積した塵や加筆を細い筆で 取り除いてゆくという綿密細心な気の遠くなるような修復作業が開始され、それが20年も続きました。
汚れや加筆が取り除かれた結果、わたしたちははじめて レオナルドが描いたオリジナルの傑作に出会うことが出来、汚れや加筆が取り除かれた結果、修復された画面を修復前の画面と並べて大塚国際美術館が展示することができました(大塚国際美術館ホームページから)。
「最後の晩餐」は、ギャラリーAを時計方向に進み、ギャラリーBを通り超してギャラリーCの展示場に、修復前[左側]と修復後[右側]のそれぞれの「最後の晩餐」の縦が420cmで、横が910cmの展示場壁面いっぱいの陶板再現画が展示されています。
最後の晩餐(左:修復前と修復後、中:最後の晩餐[修復前]、右:最後の晩餐[修復後])
深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている、パリのルーヴル美術館に展示されている「モナリザ」は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが1507年頃描いた、絵画史上最も名の知れたあまりにも有名な肖像画で、ルネサンスホール最後のギャラリーDに展示されています。
ルネサンスホールギャラリーDの展示室を出ると、バロックホールのギャラリーAの展示室となります。その先のギャラリーBの前の通路の横窓からは1階下のシスティナ礼拝堂の2階の高さ部分の天井画がみられます。
また、ギャラリーを出て「グロッタ」の展示室では、オーストリアのウイーンのウイーン美術史美術館所蔵のアルチンボルド、ジュセッペノ「夏[四季より] 」の陶板名画が展示されています。
地下2階展示場を歩く(左:モナリザ、中:バロックギャラリーB前の通路窓からシスティナー礼拝堂を見る、右:夏[四季より])
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(1月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index 旅ものがたり総目次 へ
<前回 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その1) へ
次回 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その3)
< 総合INDEX へ
・地下3階展示場(続)
大塚国際美術館の地下3階展示会場では、実物大のシスティーナ礼拝堂やスクロヴェーニ礼拝堂などの環境展示の大きさと展示現画の忠実な再現の迫力には圧倒されました。居ながらにして、1,000点を超える数の多さの世界名画の美術館を、陶板名画の技術により観賞ができるとは予想できませんでした。
地下3階展示場では、古代の名画がギリシャの壺画、ボンベイの壁画やモザイク画などが約130点と、中世の名画がイコン、聖堂の壁画など約100点が、各環境展示場とギャラリーA、Bに系統別に展示されています。
前回記述の環境展示のエル・グレコの部屋には、大祭壇衝立の展示と共にスペインのマドリッドのプラド美術館にある「聖三位一体」(1577-79年)と「聖アンデレと聖フランチェスコ」などの名画の5点が展示してあります。また、エル・グレコの部屋の手前にはフェルメールの部屋があり、そこでは「真珠の首飾りの少女」(1665-66年頃)の再現名画の他に、4点の展示画を見られます。
エル・グレコの部屋[左]とフェルメールの部屋[中・右](左・中・右写真拡大)
環境展示の再現陶板を見た後、ギャラリーを足の向くまま歩いて陶板名画をみて歩きました。地下3階展示場は、古代と中世の名画を纏めてあり、十字架上のキリストの再現画が多いなかで、イタリアのラヴェンナにあるビザンティン建築のキリスト教建築の代表的な聖堂のサン・ヴィターレ聖堂中にある小さな色石を合わせたモザイク画を再現した、「皇妃テオドラと侍女達」 (写真の左)と「皇帝ユスティニアヌスと随臣たち」 (写真の左)が展示してあり、その展示場の床にも陶版画が描かれてありました。
地下3階展示場ギャラリーを歩く1(左・中・右写真拡大)
古代画展示ギャッリーAの中央部には、古代ギリシアの遺跡の町パエストゥムから出土したパエスト-ム国立考古学博物館の所蔵のエジプトの石棺画が展示されております。
中央には再現した「飛び込む男の墓」(石棺)が展示され、展示室の壁面には紀元前5世紀末の出土した、墓の蓋の絵の「飛び込む男」と、墓のの周壁に描く宴会を描く「饗宴」と「剣闘士の戦い」画の陶板画が展示されています。
石棺画(左:パエストゥムから出土した「飛び込む男の墓」(石棺)の再現、右:石棺の蓋の絵の「飛び込む男」)
・地下2階展示場
地下2階展示場はルネサンスとバロック時代の名画の展示場で、ルネサンスの再現陶板画がポティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロなどが約140点と、バロックの再現陶板画がレンブランド、ベラスケスなどの約110点が展示されています。
地下3階展示場からエスカレータを利用すると、すぐ前がルネサンスホールの入り口でギャラリーAとなっています。ギャラリーAには、イタリアのフィレンツェのウフィツィ美術館貯蔵のサンドロ・ボッティチェリが1482年頃描いた「春(ラ・プリマベーラ)」の名画や、同ウフィツィ美術館貯蔵の15世紀フィレンツェ派を代表する、巨匠サンドロ・ボッティチェッリ1485年頃の傑作作品の「ヴィーナスの誕生」の陶板画および、同ウフィツィ美術館貯蔵のヴェネツィア派の最盛期を代表する画家のティツィアーノ・ヴェチェッリオの1490年頃の作品「ウルビーノのヴィーナス」で、ヴィーナスのポーズはジョルジョーネ作の『眠れるヴィーナス』を下敷きにしており、西洋絵画における裸体表現の重要な作品と云われています。
ルネサンスの名画(左:春(ラ・プリマベーラ)、中:ヴィナスの誕生、右:ウルビーノのヴィーナス)
ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として、巨匠レオナルド1498年に描かれた「最後の晩餐」は、聖書に登場するイエス・キリストの最後の日の最後の晩餐の情景を描かれたもので、ルネサンス古典様式を代表する西洋美術史上の最高傑作と云われています。
しかし、1970年代までは、その芸術的価値もよくわからないほど画面は暗く形もはっきりしませんでした。ところどころにレオナルドらしくないタッチがあったりもしました。その損傷の理由は、レオナルドが漆喰の壁にはふさわしくないテンペラ(顔料に亜麻仁油と卵 を混ぜたもの)で描いたこと、教会の食堂の壁に描かれたために湿気をたえず吸収してしまったこと、1943年に連合軍の空爆によって建物が破壊されて構造 体が大打撃を受けたことなどです。そのうえ、18世紀以降、繰り返し描き直しや描き加えが行われてきました。
1977年に、ミラーノの文化財保存監督局が女性の修復士ピニン・ブランビッラさんに依頼して、科学的検査をもとに、画面に堆積した塵や加筆を細い筆で 取り除いてゆくという綿密細心な気の遠くなるような修復作業が開始され、それが20年も続きました。
汚れや加筆が取り除かれた結果、わたしたちははじめて レオナルドが描いたオリジナルの傑作に出会うことが出来、汚れや加筆が取り除かれた結果、修復された画面を修復前の画面と並べて大塚国際美術館が展示することができました(大塚国際美術館ホームページから)。
「最後の晩餐」は、ギャラリーAを時計方向に進み、ギャラリーBを通り超してギャラリーCの展示場に、修復前[左側]と修復後[右側]のそれぞれの「最後の晩餐」の縦が420cmで、横が910cmの展示場壁面いっぱいの陶板再現画が展示されています。
最後の晩餐(左:修復前と修復後、中:最後の晩餐[修復前]、右:最後の晩餐[修復後])
深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている、パリのルーヴル美術館に展示されている「モナリザ」は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが1507年頃描いた、絵画史上最も名の知れたあまりにも有名な肖像画で、ルネサンスホール最後のギャラリーDに展示されています。
ルネサンスホールギャラリーDの展示室を出ると、バロックホールのギャラリーAの展示室となります。その先のギャラリーBの前の通路の横窓からは1階下のシスティナ礼拝堂の2階の高さ部分の天井画がみられます。
また、ギャラリーを出て「グロッタ」の展示室では、オーストリアのウイーンのウイーン美術史美術館所蔵のアルチンボルド、ジュセッペノ「夏[四季より] 」の陶板名画が展示されています。
地下2階展示場を歩く(左:モナリザ、中:バロックギャラリーB前の通路窓からシスティナー礼拝堂を見る、右:夏[四季より])
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(1月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index 旅ものがたり総目次 へ
<前回 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その1) へ
次回 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 世界の名画と古代礼拝堂などを再現した大塚国際美術館(第2日目その3)