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kan-haruの日記

風景・風物詩 神田連雀町を歩く 江戸っ子伝統の「かんだ藪蕎麦」と「甘味処竹むら」で昔の味を食する

2009年09月17日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009

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遠い昔によく通った連雀町界隈
神田連雀町とは、万世橋と須田町一丁目、淡路町二丁目に囲まれた界隈の旧町名です。町名の由来は、行商人が背負う荷籠の連雀に因んでいると云われ、尺が雀に変わり連雀町となったそうですが、この町名は昭和の初めに無くなりました。この記事では、万世橋、須田町と淡路町の三町界隈を総合して呼べるので都合が良いので、老舗の街並みを連雀町と仮称して記述しました。

・連雀町小史
連雀町の周辺は、大戦で空襲に遭いましたが運良く焼け残って、都心部としては数少ない地域なのです。

 昭和22年秋葉原・万世橋・神田周辺航空写真(goo地図から)

この須田町から万世橋にかけての連雀町界隈は子供の頃から縁が深い地域で、ここの万世橋には小学生の頃から中学生時代にかけ、鉄道に憧れて交通博物館に何回ともなく通った懐かしいところで、JR中央線に赤レンガの想いでの万世橋駅がありました。
また、戦前から戦後時代には、現在のJR品川駅から上野駅まで都電が通っており、須田町交差点から万世橋、秋葉原を径由し、ゆっくりと町並の流れを見ながら、乗車時間がかかるのを意識して利用していた優雅な時代でもありました。

戦後の、1947年(昭和22年)の工業系中学生の頃には、ラジオや電気部品の露店が、神田駅北口から中央通りの西側歩道上と須田町交差点からは靖国通りの南側歩道上に多数の露店が競い合い店を並べており、ラジオの組み立てをするため通った場所で、当時は真空管の時代でした。1949年(昭和24年)には、GHQの露店撤廃令により露天商が秋葉原に移動すると共に、今度は秋葉原通いと変わりました。秋葉原は電気街として発展して、現在の賑わいのある街に変革したのです。
1952年(昭和27年)には、大学工学部に入り校舎(当時の校舎写真)が小川町交差点近くの本郷通りにあったので、散策には秋葉原や須田町が庭みたいな所であり、大学生時代にも連雀町とは縁の深いところでした。

老舗の街連雀町界隈を歩く
今回は、小学から大学生の時代に足繁く通った連雀町を久方振りに歩き、戦災で残った風情のある老舗街のお店を見に9月5日の土曜日に行ってきました。

 神田の食通老舗地図

須雀町への経路は、京急と都営に乗り継いで神保町から靖国通り北側歩道を東に進み、小川町交差点を過ぎて淡路町交差点に着くと須雀町界隈です。交差点から外堀通り北方には、1902年(明治35年)に開店した本場の海苔を使用した老舗の「神田志乃多寿司」(神田淡路町2-2 地図⑨)のお店が見えます。
さらに進むと靖国通りはやや右に折れて3差路交差点となり、細い道路を直進すると直ぐ左手に、明治初期に開店して小説家の池波正太郎が下駄ばきで通った、江戸の手打ちそばを名物にした「神田まつや」(神田須田町1-13 地図⑤)がありますが、そこでの食味は次の機会とします。神田まつやの建物は、平成15年に千代田区景観まちづくり重要物件に指定されています。
まつやの前の道路を進み交差点を左折して、先の十字路の左手には1987年(明治30年)の頃より鳥のすきやき一筋に、備長炭と鉄鍋で昔ながらの味を落とさずに営業をしている「ぼたん」(神田須田町1-15 地図④)の建物が見え、昭和初期に建造した景観街づくり重要物件です。

 神田須田町の食味老舗1(:神田まつや、:ぼたん)

・かんだ藪蕎麦
続いて、十字路を直進しすると左手にある、1900年(明治13年)に営業開始の「かんだ藪蕎麦」(神田淡路町2-10 地図①)のお店で昼時なので、近くに住んでいる孫・親子の3代で共にして藪蕎麦の昼食をとることにしました。

 かんだ藪蕎麦(写真拡大)

着いたのが12時半頃で、門を入ると先客が一杯で脇の待合所に座って待ちましたが、重要物件指定の古き良き日本家屋の佇まいから板塀に囲まれた前庭を眺めたり、創業者の胸像を見ている間に、蕎麦食なので回転が速くほどなく選んだお座しき席に通されました。お店の構えは、玄関を入ってのところが椅子席で、左奥がコの字型に座敷が配されており右側の一番手前の席に着いてお蕎麦の注文です。

 神田須田町の食味老舗2(:創業者胸像、:前庭、:テーブル席)

百有余年の歴史のあるお店には私の父も良く通い、昔の人はお蕎麦屋さんでお酒をとりお蕎麦を食するのが楽しみの時代でした。そこで、昔を食するため日本酒を注文するとお味噌が付いてきましたが、おつまみに店自慢の昔から好まれた芝海老かき揚げの「天たね」と天麩羅を注文して明治時代を偲びました。
お蕎麦を味わうには何と言ってもせいろうです。青みがかかった蕎麦は創業者の七兵衛が新蕎麦の青みを出そうと工夫したそうで、厳選の玄蕎麦を熟練した職人が引き製麺したもので細く滑らかな舌触りのお蕎麦を、昆布、鰹節で濃厚な出汁をとり、濃口醤油、味醂などで味を調えたやや辛目のそば汁で2枚たいらげました。

 昔の食味やぶ蕎麦(:お座敷席、:酒のつまみの味噌、:おそばは何と言ってもせいろう)

食事を終え藪蕎麦の店を出て角を左折すると昭和初期の雰囲気の喫茶店「ショパン」(神田須田町1-19 地図⑥)がありますが、蕎麦の後にはコーヒーは合わないので次の機会とし、そこには寄らないで「ぼたん」のある十字路まで戻り、そこで左折すると角道の右に創業が1830年(天保元年)の江戸情緒が残るあんこう料理の「神田いせ源」(神田須田町1-11-1 地図③)のお店ですが、重要物件指定の建物だけを見て楽しみは今度の機会とし、対面にある1字違いのあんこの甘味の店に入りました。

 あんこ料理の神田いせ源(写真拡大)

・おしるこ竹むら


竹むら(神田須田町1-19 地図②)は神田には本格的な汁粉屋がなかったので、1930年(昭和5年)に開業したと云う老舗で、北海道の小豆を原料として自家製の餡を使用して伝統の味を売りにして、あんみつ、氷しるこ、揚げまんじゅうなどが楽しめますので、各自思い思いの品を注文して昔の味を味わいました。

 おしるこ竹むら(:おしるこ竹むら、:千代田区景観まちづくり重要物件の証額)

こしあんは、しっとりとした程よい甘味で好まれる味でした。店の造りは千代田区景観まちづくり重要物件で、1階がテーブル席で2階に固室があるようです。

 昔の想い出の味(左:おしるこ、中:あんみつまめ、右:あんずみつまめ)

この他、連雀町には洋食松栄亭(神田淡路町2-8 地図⑦)、近江屋洋菓子店(神田淡路2-4 地図⑧)などがありますが、この次の機会に譲り神保町から都営線で帰宅しました。

千代田区景観まちづくり重要物件
区民に親しまれてきた歴史的な価値のある建造物を景観まちづくり重要物件として指定し、保存していく事業を行い、区内に残る歴史的な価値を有する建造物等を千代田区景観まちづくり条例に基づき、景観まちづくり重要物件として指定しました。
千代田区では、千代田区景観まちづくり重要物件を9地区の界隈に分けて指定し、本文の連雀町界隈関連の建物は、御茶ノ水・駿河台界隈として11件の建物を平成15年6月9日に指定し、第1KSビルの1件を平成15年8月8日に指定しました。


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風景・風物詩 高円寺阿波おどり おどれセシオン2009

2009年09月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009

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高円寺阿波おどり
高円寺の阿波おどりは、今年で第53回の開催となりますが今までに2回ほど見に行き、前回は4年前のブログ開始時の2006年第50回阿波踊り(「風景・風物詩 夏の風物詩 高円寺阿波踊り」参照)を見ました。

 高円寺阿波おどり50周年記念誌

高円寺の阿波おどりは、本場徳島に次いで東日本では最大の阿波踊大会で、約12,000人の踊り手が笛、太鼓、三味線のお囃子にのって170連以上が繰り出して、2日間にわたり商店街を踊りぬきます。今年の第53回阿波おどりは、8月29、30日の18時から21時まで開催しましたが、2日目は開始早々に雨が降り出して最後まで止みませんでしたが、見学者は終了まで応援して盛り上げたと報道されていました。

 第53回高円寺阿波おどり大会(説明拡大)

久し振りに阿波おどりを見たくなり、今年は夜の時間が都合つかないので演舞会場では無く、セシオン杉並の舞台での「おどれ高円寺セシオン 2009」の1日目の8月29日の第2部14時開演を見てきました。

 「おどれ高円寺セシオン 2009」29日第2部公演チケット

おどれ高円寺セシオン 2009
おどれ高円寺セシオン 2009は、NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会の主催で、本大会阿波おどり開催日の8月末の土・日曜日の2日間にわたり、第1部が11時30分と第2部が14時開場の2回開催されます。

 おどれ高円寺セシオン 2009 29日公演阿波おどり(出演連拡大)

セシオン杉並(杉並区梅里1-22-32)には、自宅から京急電鉄品川で乗換えの、JR山手線の新宿で東京メトロ丸の内線に乗換えて新高円寺駅下車、青梅街道を新宿方面に進むと徒歩7分で環状七号線の手前の道路を右折したところにあります。開場の座席は、前から2列目の中央の席で、席についたら間も無く開演です。

・天狗連
天狗連は、1965年(昭和40年)に前身の「きらく連」を母体にして有志を募り結成して、1971年(昭和46年)には本場の徳島の「平和連」と姉妹連となりました。鳴り物衆がテンポや曲を変えて踊り子達を魅了させます。(女踊り)


・しのぶ連
しのぶ連は、1972年(昭和47年)に梅里地区の若者を中心に結成して、今年で37周年を迎えました。連員は杉並地区に留まらず広範囲から集まり、年齢も様々。最近では親子二代で踊りやお囃子を楽しむ家族も増え、裏方のお父さん、お母さんを含め、連全体が“大家族”の様に一丸となり、明るく楽しく頑張っています。お囃子は、連独自の"音"にこだわりと誇りを持ち、日々研究と精進を重ねています。(女踊り) 


・仕留波阿連
仕留波阿連は、1970年(昭和45年)に高円寺シルバー商店会の有志連「シルバー連」として発足しました。1978年(昭和53年)により美しく、より本格的な阿波踊りをめざして、その携帯を町会連から独立連とし、名称を阿波の志を留める連の意味を込めて「志留波阿連」として再スタートしました。平成元年には、本場徳島の有名連である徳島県阿波踊り協会所属「みやび連」と姉妹連として提携をむすび、現在約100名の連員を有しています。今年のテーマは月でした。(仕留波阿連お囃子)


・飛鳥連
飛鳥連は、1970年(昭和45年)に東京高円寺阿波おどりの発足に携わった高円寺パル商店街の商店主たちが、今までの黒子から今度は汗を流した分、喜び合える連を作ろうと結成したのが飛鳥連です。当初は子供達を含めて30名に満たないスタートでした。現在は、地域や年齢を超えて集まった約130名の連員を擁し、徳島阿波おどりの最高峰・娯茶平の姉妹連として、自由で美しい踊りと情緒豊かな鳴り物を目指して活動しています。
水の流れにも似た女踊りの笑顔と指先、男踊りの低い姿勢と足の運び、さくらのきれいにシンクロした組み踊り、そしてそれらを、踊る阿呆の踊り手をより阿呆らしく踊らせる鳴り物ががっちりとまとめ上げます。(子供踊り)


・吹鼓連
吹鼓連は、「皆で元気づける」という意味の「鼓吹」と言う言葉が由来です。また、笛を吹き、太鼓をたたくという意味もこめられています。平成13年7月に、 杉並区在住のメンバーを中心に結成して活動する連員が80名のグループです。徳島とのつながりは深く、結成初年度から毎年「徳島・阿波踊り」に 一連で参加しています。平成14年からは徳島で4月に開催される「はな・はるフェスタ」に 県外招待連として出演しております。また、徳島の「ぐるーぷ藍吹雪」から指導をいただき、正調を極めんと取り組んでいます。平成20年1月には、徳島市阿波おどり振興協会所属「天水連」と姉妹連として連携しています。女踊りは全体の和の 美しさを表現することをモットーにし、男踊りはテンポに合わせてバラエティー豊かに、子供踊りは元気よく、そして、鳴物はメロディを奏でる三味線や笛を中心に、ややゆったりした テンポで「正調」を基本としています。


・江戸歌舞伎連
江戸歌舞伎連は、平成7年に結成して、今年で14年目を迎えます。現在連員は高円寺の近くに住んでる人や他の県からの参加者を含めて70人程在籍!職業や学校もいろいろです。
江戸歌舞伎連の阿波踊りは本場徳島県の正調阿波踊りを基本にしています、飛んだり跳ねたりの踊りではなくって「これがホントの阿波踊り」を目指しています。
お勧め、見どころはしなやかな女踊りと渋い男踊り、そして本場徳島でも評価してもらっている奴踊りと、笛と三味線を中心にした心地よい お囃子です。(寄り合踊り)


・葵新連
葵新連は、1967年(昭和42年)に設立したグループで、連員が約100名おります。うちわの名手、女子だけの子ども踊り、優雅にしてしとやかな女踊り、若さいっぱい粋のいい男、女ハッピ踊り。踊り手が繰り広げる路上パフォーマンスを、葵新連独特の鳴りものとともに楽しめるバランスのとれた連です。


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風景・風物詩 上野公園不忍池 弁天堂近くで開花した蓮の花の観賞

2009年08月22日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009

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東京に長年住んでおり上野公園の不忍池にはよく行ますが、今までに蓮の開花時期の早朝に訪れたことはありませんでした。
蓮は仏教に関連する花で、お盆の時期の日本人には馴染みの深い花です。今年は、開花がやや遅く満開時期は8月に入ってからの様でしたが、7月30日の朝不忍池に蓮を観に行ってきました。

 上野公園不忍池

不忍池の蓮の花
朝8時に不忍池に着くと、池の傍で開催の恒例の骨董市もまだ開店準備前で人ひとりおりませんが、蓮の花を見に来たかなり人がカメラを抱えて蓮の花の撮影に勤しんでいました。蓮は弁財天の南側の池一面が緑の蓮の葉で埋まり、北側の池の蓮は東岸側に多く植えられています。

 不忍池航空写真(拡大地図goo参照)

不忍池南岸から北を見ると、まるで弁天堂が蓮の上に浮いているように見えます。
弁天島の南側の不忍池の蓮の花の開花は、ちらほらと花が開き始めた状態で見頃はこれからの様に見られました。
蓮の葉が勢いよく育っているので、蓮の花は葉の隙間から遠慮げに茎を伸ばして咲いているように見えます。蓮の花は始めて近くで見ましたが、不忍池の蓮の花はピンク色の花です。

 一面蓮の葉が茂る不忍池(写真拡大)

不忍池の弁天島は、1625年(寛永2年)に、天海僧正は比叡山延暦寺になぞらえて寛永寺を創建しました。不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島に因んで池中に中之島(弁天島)を築き、のちに竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請し、弁天堂を建立しました(「風景・風物詩 初詣風物詩 上野五條天神社、不忍池弁天堂と飯田橋東京大神宮」参照)。
弁天堂の参道には、「不忍池」大碑が建てられており裏側に不忍池の由来が書かれてあります。

 不忍池周辺(:不忍池傍の恒例の骨董市会場、:不忍池弁天、:「不忍池」大碑再掲090104撮影)

不忍池の歴史
不忍池は、上野観光連盟が建てた「不忍池」大碑の裏側に書かれている由来を抜粋すると、池は「忍ヶ丘」(しのぶがおか)に連なり都心一の山水美を誇り、江戸時代以来大火・大地震・大戦などの災禍が起こるたびに避難場所として都民に慕われてきました。大昔に深く食い込んでいた東京湾の入江のその一部が取り残されて、西暦紀元前数世紀頃から池となり、それ以来「不忍池」の名で呼ばれるようになったと云われています。
1943年の大戦の激動期には、食糧増産のため池の一部に稲が植えられ不忍田圃の異名がついたこともありました。また、この8月15日には64年目の終戦日を迎えた戦後の食糧難の時代には、池の鯉よりも主食のお米が足りなくて少しでもお米の生産にと、不忍池を田園とした悲しい時代を乗り越えてきた歴史があります。

 昭和22年不忍池の田園航空写真(goo地図提供) 

弁天堂北側の不忍池の蓮は見頃時期
不忍池南の蓮の花は、ちらほらと開花したところでしたが、弁天堂北側の不忍池の蓮は見頃時期を迎えておりました。幾多の歴史を乗り越えて、弁天堂近くの不忍池の蓮の花は満開に近い状態で咲き誇っていました。

 見頃を迎えて開花した蓮の花1(写真拡大)

始めて見る蓮の花に感動して心が安らぎ、上野駅構内で朝食をとり帰路に着きました。

 見頃を迎えて開花した蓮の花2(写真拡大)

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風景・風物詩 羽田神社例大祭 13基の神輿を3千人がヨコタ担ぎで練り歩く町内神輿連合渡御

2009年08月16日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009

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羽田神社
通称「羽田まつり」と呼んでいる羽田神社夏の例大祭は7月最後の土・日曜日に行われ、今年は26日の日曜日に町内神輿連合渡御を見てきました。
羽田神社(大田区本羽田3-9-12)の羽田総鎮守の氏子地域は、昔は漁師まちであったところで、現羽田空港から多摩川辺り一体と広く、本羽田、羽田、羽田空港の各町会を擁し、その他に羽田神社の兼務神社のある荻中、西糀谷、東糀谷の各町会と氏子の領域はかなりの広域です。

 羽田神社神輿連合渡御ルート

・糀谷地区兼務社
羽田神社の兼務社の数は多く、羽田地区が6社、糀谷地区が7社、荻中地区の1社を管轄しています。糀谷地区7社の例祭日は9月第1の土・日曜日で、この地区での祭の糀谷祭(「風景・風物詩 糀谷祭 糀谷神社・浜竹天祖神社・西仲天祖神社の宮神輿連合渡御」参照)を一昨年に見に行きました。
・羽田神社の由緒
羽田神社の由緒は、神社の御由緒によると1861年(文久元年)に天然痘が蔓延した際に、徳川将軍が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒祈願の参詣が多いと云われ、御祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」と「稲田姫命(いなだひめのみこと)」の二柱をお祀りしており、「縁結び」「勝負事」のご神徳で知られています。その由来は、羽田浦の水軍領主の行方与次郎が牛頭天王を祀ったことからとされてます。
1869年(明治元年)に自性院境内に祀られていた牛頭天王は八雲神社として独立して、1909年(明治40年)に羽田神社と改称して現在に至り、1988年(昭和63年)に新社殿を竣工し、平成18年には塗り替え工事が完了しました。

 例祭ポスター(写真拡大)

・羽田神社祭りの境内
羽田神社へは、京浜急行線の大鳥居駅を下車して、駅前の産業道路を南に進んで六郷川の橋の袂にあります。本殿は、手水舎の先の三の鳥居を潜った先にあります。

 例祭の羽田神社(:羽田神社本殿、:例祭の羽田神社境内、:羽田神社大神輿)

本殿の左方には羽田富士があり、富士山に憧れた当時の人々が明治初年に造られた築山で、大田区の文化財に指定されています。

大田区文化財の羽田富士(写真拡大)

・神輿連合渡御
羽田神社の参拝が終わると町内神輿がスタートする3時を過ぎていましたので、神社を出て産業通りを大鳥居方向に戻り、荻中公園の四つ角を渡り神輿連合渡御ルートの道を、逆行して高速通りのガードへと向かいました。
高速道の交差点から東側の道路上では、奉納舞踏グループが「よさこい」踊りを披露していました。その道路を先に進むと、当日の天気は祭日に適した快晴で気温が高く熱い日で、氏子の航空会社のJALとANAが団扇を見物者に配り、冷たい飲み物のサービスなどを行っていました。ほどほどに行くと、神輿連合渡御の先導の手押しの山車が進んで来ましたので、この辺りの場所で見物と決めました。

 神輿連合渡御のスタート(:奉納舞踏のよさこい踊り、:神輿渡御ルートでは冷たい飲み物のサービス、:神輿連合渡御 の先頭は手押しの山車が先導)

先導の山車に続いて神官や役員の行列の後ろには、町会神輿連合渡御の先頭の神輿が進んできます。今年の神輿の発興順序は、先頭が寿会で、以下仲七、稲荷前、上田、中村、仲東、上東町会以下の計13町会の神輿が続きます。

 町会神輿連合渡御1(:神輿連合渡御の神輿の前には神官と役員が続く、:寿会町会神輿のヨコタ担ぎ、:仲七町会神輿のヨコタ担ぎ)

羽田神社の通称「ヨコタ担ぎ」は独特な担ぎ方で、左右の担ぎ手の一方がしゃがみ、反対側の担ぎ手がはねあがって、神輿を左右に90度振らしながら担ぐもので勇壮な担ぎ方です。

 町会神輿連合渡御2(:稲荷前町会神輿のヨコタ担ぎ、:稲荷前町会神輿のヨコタ担ぎ、:上田町会神輿のヨコタ担ぎ)

神輿をローリングさせるのは、数十メートル進むと停止して組頭の唄の合図に従い神輿をヨコタ担ぎで5、6度左右に揺らします。

 町会神輿連合渡御3(:中村町会神輿のヨコタ担ぎ、:仲東町会神輿のヨコタ担ぎ、:上東町会神輿のヨコタ担ぎ)  

神輿連合渡御の町会の神輿のヨコタ担ぎは、さらに続いて西町、大東、横町、旭町、前河原、仲羽田と大行列です。なお、仲羽田町会では、神輿を新調して今回から初めての連合渡御への参加です。

 町会神輿連合渡御4(:西町会神輿のヨコタ担ぎ、:大東町会神輿のヨコタ担ぎ、:町会神輿のヨコタ担ぎ)

ヨコタ担ぎで神輿が揺れると、周囲の見物人から大きな拍手が湧きます。そこからは、神輿を平坦に担いて先に進みます。神輿の担ぎ方が激しいので、担ぎ手だけで3千人を超し、3万人以上の見物客が訪れる大変賑やかな夏の風物誌です。

 町会神輿連合渡御5(:旭町会神輿のヨコタ担ぎ、:前河原町会神輿のヨコタ担ぎ、:仲羽田町会神輿のヨコタ担ぎ)

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風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その2

2009年04月11日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009 旧呑川緑地の桜

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大田区内の桜
・池上本門寺の花祭り
4月8日は池上本門寺(大田区池上1-1-1 地図参照)の花祭りです。花祭りは、釈迦の生誕を祝福する古代インドの行事で、推古天皇の時代に聖徳太子の提唱で、元興寺で行われたのが最初と云われています。
花祭りの行事は、花で飾った花御堂(はなみどう)に金属製の幼仏像を祀り、参拝者がその誕生仏に柄杓で甘茶を灌(そそ)ぎます。花御堂は釈迦が生まれたところルンピニ園の花園を表しており、花祭りは甘茶を潅(そそ)ぐ行事なので「潅仏会(かんぶつえ)」と云います。甘茶は、ユキノシタ科のアマチャやウリ科のアマチャヅルを煎じた飲料で、参拝者に振舞われます。

 花祭り風景(:花祭りは釈迦の生誕日、:花御堂の誕生仏に甘茶を灌ぐ、:甘茶接待)

今年は桜の満開が遅かったので、花祭りの本門寺7万坪の境内にある約300本の桜(「風景・風物誌 花見のはしご 開桜小花まつり・池上本門寺・千鳥が淵・飛鳥山・大岡川の桜 その1、2」参照)は見頃でした。

 本門寺境内の桜(左:此経難持坂の桜、:此経難持坂上参道の桜、:五重塔と桜)

本門寺の桜には、笹部桜や枝垂れ桜など種類も豊富です。

 本門寺の桜は種類が豊富(:笹部桜、:枝垂れ桜、:本門寺の山は花のオンパレード)

また、本門寺参道総門の周辺の寺院の花も手入れが届いて綺麗でしたので歩いてきました。

 本門寺周辺の桜(写真拡大)

・旧呑川緑地
呑川は、世田谷区、目黒区、大田区の3区にまたがる二級河川で、本流は新玉川線桜新町駅付近から発し、支流の1つは駒沢公園付近から流れてくる駒沢支流が東横線都立大学駅付近で合流し、2つ目の支流は目黒区東が丘(旧芳窪町)付近から流れてくる柿の木坂支流と合流しています。また、九品仏のある浄真寺付近から流れてくる九品仏川と合流しています。さらに、新幹線より下流の道々橋付近で、洗足池から流れてくる洗足用水と合流しています。

 旧呑川緑地は昔の呑川本流です(写真拡大)

道々橋付近から第二京浜国道にかかる池上橋までを流れ、西蒲田の双流橋から蒲田駅手前のJR鉄橋と流れて、以前は第一京浜国道にかかる夫婦橋の少し下流の大田区立東蒲田中学校のすぐ東側から、呑川は北東の方向へ蛇行しながら東京湾に流れていました。

 旧呑川緑地の桜1(写真拡大)

旧呑川緑地は、この大田区立東蒲田中学校の脇から産業道路を横切り、海の近く昭和島の手前まで、実に約1.8kmに及ぶ旧呑み川が埋め立てられて緑地となり、桜の木が約260本植えられている細長い公園です。なお、産業道路から東方の旧呑み川は、大森町に属しており大森町界隈の戦後の懐かしい地域でした。

 旧呑川緑地の桜2(写真拡大)

現在の新呑川は、夫婦橋の下流から一直線に真東に東京湾に注いています。

 旧呑川緑地の終点は水門(写真拡大)

旧呑川緑地(地図参照)を大森東4丁目付近から同5丁目を経て、水門までを4月8日に歩いてみました。この日は風もなく暖かな良い天気で、桜の花弁がさらさらと散って、路面は花びらの雪が積もり、今年の東京の桜も終わりを告げていました。

 東京では桜が終わる(・中:散った花弁が積もる、右:桜が終わると端午の節句)

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風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その1

2009年04月09日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009 

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花見のはしご
今年の東京の桜は開花が早かったのですが、満開になるまでの日数がかかり4月4日頃となりました。ちなみに、昨年・一昨年の満開は3月30、31日頃でした。
恒例の花見のはしごは、今年は法事などと重なったため区外の花見の機会がつくれず、大田区内東部地域の桜を見て廻りました。

大森町界隈の花見
・開桜小学校桜まつり
第5回開桜花まつり(「風景・風物誌 花見のはしご 開桜小花まつり・池上本門寺・千鳥が淵・飛鳥山・大岡川の桜 その1、2」参照)が3月28日の11時から開桜小学校(大田区大森西2-26-3 地図参照)で開催されました。
今年は昨年の満開の桜の樹の下での花祭りとは異なり、花は開いておりませんが、花祭りに先立ち小学校南側の内川の二之橋から諏訪橋間に完成した護岸工事遊歩道で桜植樹祭が10時半から行われました。

 第5回開桜花まつりが案内

開桜小学校前の護岸工事(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2008.11.11)」参照)遊歩道は、2007年度に小学校西側の諏訪橋から工事が行われ、2008年3月に全体の1/2が完成しました。

 内川護岸工事遊歩道(:08年に半分完成の内川護岸工事遊歩道080323撮影、:残り半分の遊歩道工事着工081113撮影、:内川護岸工事遊歩道竣工0328撮影)

残りの二之橋までの半分は2008年度に着工して、今年の3月末の竣工に合わせて大田区長出席のもとで桜の植樹が行われました。内川を案内する案内板や標柱が建てられ、新名所が生まれました。

 桜植樹祭が行われた内川新名所の遊歩道(:大田区長出席の桜植樹祭、:内川案内板も建てられました0328撮影)

開桜花まつりは、ゲームコーナー、飲食物や商店街の1店1品、フリーマーケットなどの模擬店が出店して、今年70周年を迎える大森学園高校のソーラーカーなどの展示や、くすのき連の踊り、よさこいソーラン、和太鼓などが演じられる賑やかなイベントです。
 
 準備中の開桜花まつり

花まつりの時には桜の花が見られませんでしたが、4月6日には小学校の桜は満開となり、植樹祭で植えられた桜にも花がついていました。これからは、内川端で新旧の染井吉野桜の咲き比べが楽しみです。

 並んで花が咲く開桜小の桜(写真拡大)

・大森西交通公園の桜
大森西交通公園(大田区大森西3-4-19 地図参照)は、信号機や横断歩道のある公園で樹齢24年の染井吉野が25本ほど植えられており、護岸工事遊歩道の諏訪橋を渡り100mほどの近くにあります。公園では春は花見(上記風景・風物誌 花見のはしご参照)に、夏は盆踊りで近燐の人達が集まる憩いの場所で、4月3日には桜がほぼ満開となり、老人クラブの方の花見会が行われていました。
また、公園に進む道の対面には諏訪公園があり、大田福祉作業所と入れ替わりに転地して昨年の花見時期後にオープンした公園で、移転前には樹齢24年ほどの桜がありましたが、移転後は1本の桜のみとなり今年始めて咲きました。

 近隣が憩いの西交通公園(満開0406撮影・0403撮影・写真拡大)

・平和の森公園
平和の森公園(大田区平和の森公園2-1 地図参照)は1982年5月22日に開園し、平和島運河を埋め立てて造られた公園で、大田区立公園として最大の面積の約99,000平方メートルを有しています。公園内には広場や池のほかに、テニスコートなどのスポーツ施設があります。公園内には広場や池のほかに、テニスコートなどのスポーツ施設があり、有料のフィールドアスレチック協会公認のフィールドアスレチック(「大森町界隈あれこれ イベント 平和の森公園フィールドアスレチック」参照)があります。

 見晴らし広場の桜(写真拡大)

公園の中心にある見晴らし広場やひょうたん池周辺に(公園配置図参照)に約80本の桜が植えられています。

 ひょうたん池周辺(写真拡大)

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風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2009

2009年01月28日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009 

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川崎大師初詣り
川崎大師は毎年新年にはかかさずお詣りに行き、今年1年の一家の健康と安全を祈願して、お札とお守りを受け、古いお札やだるまを納めてくるのがしきたりになっています。
川崎大師は、今年の3ガ日の初詣りの人出が296万もあり毎年全国3位と信望が高く、菩提寺と同じ宗派の真言宗智山派であり、大森町から京浜急行だけで30分で行ける身近なお寺様なのです。

 京浜急行大師線(:川崎大師駅、:京浜急行大師線電車)

戦時色が強くなった小学生の頃、ハイキングなどままならない時代の休日に、父親に連れられて川崎大師をお参りした後、大師の傍の公園で遊んだことのある想い出の懐かしいい場所であったので、とても馴染みの深いお寺なのです。
時代が代わり、私の子供が小学生の時に、川崎大師に連れて行く度に、いまでは全然見かけなくなりましたが、だるまおこしが好きで買い与えていた時代も思い出します。(子供の頃の大師の想い出「風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2008」参照)

今年は例年に比べやや遅い18日の日曜日に行ってきました。ブログを見ると、昨年は13日の日曜日に行っており、2007年は7日に行きました。
川崎大師の参詣は人出で混みあい、混雑すると参道を規制して、仲見世の参道は参拝が済んだ人だけの通行として、参拝者は並行した別の通路を迂回して境内に進みます(参詣順路地図再掲参照)。

・初詣り風景
18日の日曜日は人出もそこそこで、参詣道路の規制がなく京急川崎駅前の厄除け門から大師入口門までの表参道は、車の通行止めの規制も行われていませんでした。また、参詣道の仲見世通りも、往路の規制がなく仲見世をみながら大山門へと進みましたが、道幅が狭いため大山門付近の仲見世通りは大変な混みようでした。

 川崎大師参道風景(:表参道は交通規制なし、:仲見世参道も規制なし、:大山門付近は大変な混雑)

大山門をくぐり境内に入って見ると、昨年と比べて遅いせいもあり人出は大変と少なく、楽にお参りができましたが、大護摩祈願者の行列は不況のせいか、例年に比べると大変と多いように感じられました。

 大師参詣風景(:ゆったりとした大本堂の参詣者、:いつもより多く見られた大護摩祈願者の行列)

・護摩
お護摩とは、川崎大師のサイトによると、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表します。このお護摩によって、皆様の煩悩を焼き浄め、大厄を消除し、すすんで家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願をおすすめいたします。
また、お護摩は、一般に厄年(男性が25才と42才、女性が19才と33才)と厄年の前後の歳には厄除け祈願をして、大厄を消除して貰います。

・お札、お守り、縁起物
お参りが済んだら、境内のお札・お守り授け所で様々なお守りを授けて頂きますが、お守りは各人用に身代わりお守りと、災難除け(家内安全)のお札を毎年授けて頂いております。

 川崎大師お札・お守り・縁起だるま

1年間お世話になったお札やお守りは、納札堂にお礼の気持ちをこめて納めます。

 お世話になったお札・お守りは納札堂にお礼納めます

川崎大師の縁起物の厄除・開運だるまは、江戸時代に、厄除け・家内安全・商売繁盛などの祈願の縁起物として庶民の間ではやり出し、1年ごとに一廻り大きなだるまに買い替えていく習慣が生まれました。現在でも、事業繁栄・工場安全、選挙必勝などの目標達成の祈願の縁起物として親しまれています。

 縁起物の厄除・開運だるま

・川崎名物
仲見世通りを歩いていると、飴をまな板の上で軽快なリズムで切り刻む音があちこちから聞こえてきます。これが、川崎大師名物の「とんとこ飴」(さらし飴)ですが、「せきどめ飴」とともに人気の飴です。最近では、飴の種類も増えて、アンコの入ったあんこ飴、きな粉をまぶしたり、黒ゴマをねったりとバリエーションが豊富になりました。

 大師名物とんとこ飴

飴と並んで川崎大師の土産品の雄はくず餅です。製造の元祖は、表参道に面した住吉屋総本店で、1887年(明治20年)に片手間で始めたのが最初で、クズの根からとるでんぷんで造られ、川崎が製造・販売の中心で全国の50%程度を占めるそうです。
今回の参詣では、1週間程前に知り合いの方から、くず餅のお土産を頂きましたので、いつも寄るくず餅店は素通りとしました。

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風景・風物詩 初詣風物詩 上野五條天神社、不忍池弁天堂と飯田橋東京大神宮

2009年01月11日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009 縁結びの神様 

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正月三が日の神社・仏閣への人出は、警視庁のまとめによると、昨年より121万人多い9921万人で、2003年以降7年連続の増加とのことで、明治神宮の319万人が最も多く、以下成田山新勝寺、川崎大師の順でした。

初詣り
昨年から地元の氏子神社の元朝参りに出かけていますが、その他東京近辺のこれまでにお参りに行ったことのない神社に初詣に出かけています。今年は、4日の祝日に上野に出かけた折に、精養軒で食事後、上野恩賜公園内にある神社を散策し、五條天神社、不忍池弁天堂をお参りしました。
初詣参詣後時間がありましたので、たまたま当日の読売新聞朝刊に掲載の記事「縁結び神社」が紹介してありましたので、ここ2~3年来若者の参拝客が沢山お参りにくるスポットの飯田橋東京大神宮を探訪してみました。

上野恩賜公園の神社

 上野恩賜公園地図

午前中に東京都美術館を見てから、東照宮の冬のボタン園公開の案内広告を目にしながら池の端方向に進むと精養軒です。1872年(明治5年)創業の夏目漱石などに愛された草分けの洋食店で昼食時間であり、休日で混んでいましたが20分ほど待って不忍池が見える軽食堂の「カフェランドーレ」でランチをとってから、上野公園通りを南に進みと五條天神社の隣接地に、創祀が不祥の古くから陳座の花園稲荷神社があります。花園稲荷神社は、石窟の上にあったことから穴稲荷と云われ、幕末の彰義隊では穴稲荷門の戦いの激戦地として知られたところです。

 上野恩賜公園(:上野東照宮、:花園稲荷神社 、右:上野精養軒)

・五條天神社
五條天神社(台東区上野公園4-17)は、第12代景行天皇時代(約1900年前)に日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡を通った際に薬祖神の御加護に感謝し、当地に祀ったのが創始といわれている大変と古い神社で、創祀以来、天神山瀬川屋敷(アメヤ横丁付近)の他幾度か変遷を経て、1928年(昭和3年)9月に創祀に最も近い花園稲荷神社の隣の現在地に御遷座されました。御祭神は、大己貴命(大国主命)、少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。

 五條天神社(写真拡大)

五條天神社では、6月末と12月末に大祓いを行い、大祓い式を挟んで1週間ほど社殿前に茅の輪がお目見えします。
大祓いは、罪穢れを祓い清める神事で、紙を人形に切り抜いた形代(撫物、人形)に、氏名を書いて身を撫でて、息を三度吹きかけて神社に持参してお祓いを受けます(地元大森町諏訪神社の大祓い参照)。

 五條天神社の神事(:茅の輪、:大祓い,茅の輪説明、:鷽替えの神事説明)

・不忍池弁天堂
1625年(寛永2年)に、天海僧正は比叡山延暦寺になぞらえて寛永寺を創建しました。
不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島に因んで池中に中之島(弁天島)を築き、のちに竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請し、弁天堂を建立しました。
現在の弁天堂(台東区上野公園2-1)は、1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、1958年(昭和33年)に再建されたものです。

 不忍池弁天堂(左上・中上右上・左下・中下・右下写真拡大)

江戸の昔を忍ぶことが出来る不忍池弁天堂は、江戸最古の谷中七福神の一つで、人気が高く多くの参拝者が訪れてテント張りの社務所で七福神巡りの印を受けていました。記念にご朱印を受けてきました。
当日は、天気も良く温かい日でしたので池のボートが満艦で、池の周辺には越冬のカモが陽浴びをしていました。

 不忍池(写真拡大)

飯田橋東京大神宮
不忍池弁財天から池の南北を連なる歩道を通り、池乃端1丁目からタクシーを拾い、目白通から1本横道に入り飯田橋東京大神宮へ直行しました。
東京大神宮(千代田区富士見2-4-1)は、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として1880年(明治13年)に創建されました。創建当初は、日比谷に陳座したことから日比谷大神宮と称していましたが、1928年(昭和3年)に現在地に移り飯田橋大神宮と呼ばれていましたが、戦後に東京大神宮と改められました。

 飯田橋東京大神宮地図

現在、神前結婚式は広く行われていますが、神前においての結婚の伝統的な儀式は東京大神宮が創始したものです。東京大神宮には、伊勢内宮と外宮の御祭神である天照皇大神と豊受大神が祀られ、さらに倭比賣命を奉斎しております。また、天地万物の生成化育つまり結びの働きを司る造化の三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)が併せまつられていることから、近年縁結びに御利益のある神社としても知られ、良縁を願う若い人たちのご参拝も年々と非常に多くなっています。

 大神宮通りからの東京大神宮(左・中・写真拡大)

裏道から大神宮通りに出て、正面の入口の鳥居には大変な数の参拝者が何列にも並びお参りを待っておりました。さらに、大神宮通りの境内の先の四つ角の向こう側にも、参詣の人が多数行列を作っていました。参詣者の行列を見ると、友達と見られる若い女性だけでのグループが圧倒的多数を占め、その中に交じって恋人同志のお参りがちらほらと見られました。

 縁結びのお願の参詣者は長蛇の列1(:参詣者は本殿から数珠つなぎの行列、:本殿からの行列は門前まで続く、:門前からの行列は鳥居の前から境内の左へと続く)

大変な混雑状況でのお参りは諦めて、境内に入って見るとおみくじ売場にも女性グループが長い行列を作り、おみくじを購入していました。また、ご祈祷受付所も若い女性で一杯で、ご祈祷待ちをしていました。
大神宮の参詣はできませんでしたが、記念にご朱印を頂き、帰りがけに神社前の鳥居の前でお参りさせて頂きました。

 縁結びのお願の参詣者は長蛇の列2(:鳥居の前の参詣者の列は境内の出口へと続く、:さらに参詣者の列は道路上に長蛇の列、:詣が済むと今度はおみくじに長蛇の列)

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風景・風物詩 深川八幡宮水かけ祭 神輿55基連合渡御の3年に1度の本祭り

2008年08月21日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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深川八幡宮水かけ祭
連日のうだる様な暑さのなか、深川の富岡八幡宮水かけ祭は、神輿が通る沿道の町会祭礼社務所やお店、住民などから、神輿と担ぎ手を清めるための「清めの水」を浴びせられることが醍醐味ですが、生憎と今年の本祭り連合渡御の8月17日日曜日に限り曇り空の涼しい日で午後からは雨天となり、江戸三大祭りの熱気にマッチした水かけ祭りには似合かない日となりました。しかし、3年に1度の本祭りで、しかも、町会神輿の連合渡御には、平泉の世界文化遺産登録を祈念しての神輿が特別参加して、55基の神輿が連なりましたので、午前中に見に行きました。

富岡八幡宮の例祭は、2006年に二の宮神輿の渡御を見ておりますが、御由緒、日本一の黄金大神輿などと共に祭りの模様をその時のブログに掲載(「風景・風物詩(B4) 江戸三大祭 富岡八幡例大祭(その1、2)」)してありますのでご参照ください。

3年に一度の神輿連合渡御
江戸三大祭りの一つの深川八幡祭りは、徳川時代から続いていると云われる由緒あるお祭りです。3年に一度の本祭りでは54ヵ町会の町会神輿が、列を組み氏子町会を練り歩く連合渡御が行われます。特に、今年は初めて県外の平泉の神輿も参加しました。

 神輿連合渡御駒番

神輿連合渡御の順路は、富岡八幡宮前を先頭神輿が7時30分に出発し、再後の神輿が出るのは9時頃となります。永代通りを東へ進み、大門通りを北に折れて江戸資料館通りを西に曲がり、清澄公園から清州橋通に出て墨田川を渡り南に進みます。そこから、日本橋箱崎町を経て新川で昼食休憩後、再び永代通りに出て永代橋を渡り、八幡宮前への到着が13時頃となる渡御コースです。

 神輿連合渡御が進む永代通り深川不動参道入り口付近(写真拡大)

深川八幡宮神輿連合渡御の見物には、大森町から都営浅草線日本橋駅で東西線に乗り換え、門前仲町駅の八幡宮に近い前方の出口から出ると、近雑のため1番出口は閉鎖中で、2番出口の永代通りの深川不動の参道入り口とは反対方向の歩道に出てからの見物で2時少し前でした。

 「清めの水」が浴びせて神輿と担ぎ手を清める水かけ祭り1(写真拡大)

永代通りには、八幡宮前へと進む町会の連合渡御神輿行列の見物者で一杯です。着いたところが、八幡宮と反対の側なので神社に向かう術がないので、神輿渡御の見物に徹して神輿が対面して進んでくる清澄通り交差点方向へと歩き、あちこちで「清めの水」を浴びせている光景を見ながら交差点を渡りました。

 「清めの水」が浴びせて神輿と担ぎ手を清める水かけ祭り2(写真拡大)  

水かけには、町会消防隊のホースで放水の水の洗礼もあり、当日の陽気では水を浴びても乾かず寒さを感じた夏祭りでした。

 54ヵ町会の町会神輿渡御(写真拡大)

過去の八幡宮の例祭の写真で、永代通りが見物人で道一杯の混雑な風景を見ましたが、17日は天候のせいか歩行車道を歩くのは楽に進める状態でした。

 永代通りの連合渡御(写真拡大)

渡御神輿の見物は、永代通り仲町一の町会祭例社務所前で引き返し、清澄通り交差点角の地下鉄門前仲町の4番出口から大江戸線で、大門経由で帰宅しました。

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風景・風物詩 東京の花火 明治神宮外苑を彩る光と音の競演

2008年08月19日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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花火大会
夏の風物詩はなんと云っても花火で、最近7、8月に全国で開催される花火大会の数は大変に増えており、開催地により特色のある花火の観賞ができます。
多くの花火大会も、その中で知名度の高い大会は、歴史のある隅田川の花火大会と、長尺物を打ち上げる長岡花火が群をぬいています。

花火観賞には殆ど出かけていないのですが、最近見に行った花火大会はブログ開始時の2006年に、一度は見たいと思っていた正三尺玉を打ち上げる長岡の花火大会(「旅ものがたり 長岡花火大会と奥只見・八海山 その1、2」参照)が再近の見物です。

過去の花火見物といえばかなり古く、1950~70年代に両国花火を数回見たことと、現在は中止の丸子多摩川花火大会に、その後には いたばし花火大会、茅ヶ崎花火大会、大田区平和都市宣言記念「花火の祭典」に出かけた程度です。

今年の7月20日の午後、横浜みなとみらい万葉倶楽部に出かけたところ、埠頭方向に沢山の浴衣姿のペアーやグループが移動しており、横浜開港記念みなと祭国際花火大会であることに気が付きました。この雰囲気を見て、当日の花火の見物はできませんでしたので、夏の風物詩花火大会の感触を味わいたくなり、8月に入って開催の都心の花火大会のなかで、7日開催の神宮外苑花火大会か、10日開催の東京湾大華火大会のどちらかを観賞することにしました。

 神宮外苑花火大会(右:国立競技場客席配置図)

神宮外苑花火大会の見物
間際の花火大会参加ですので、入場券は東京湾大華火大会の入場整理券は無くなっており、神宮外苑花火大会も指定席券は売り切れで、自由席券は多少残っていました。
神宮外苑の見物席は、神宮球場、国立競技場、秩父宮ラグビー場、神宮軟式球場の三会場です。入場券は、まだ入ったことのない国立競技場を選択して、インターネットで申し込み、セブンイレブンで受け取りました。

 8月7日入場の明治神宮外苑花火大会の国立競技場

開場は17時ですので、大森町からは都営地下鉄浅草線大門で乗り換えて、大江戸線国立競技場駅には16時半頃着いて、国立競技場入口の自由席券入場列の後尾に並びました。
入場は、指定席券の観客から入り始め、自由席入場の行列は後方のため座席位置はホーム側で、バックスタンドの近くとなりました。客席の位置は、入口通路から昇り降りをしない通路前面の席を選びましたので、グランド面からは1/3位の高さのところです。


国立競技場では18時30分から、Berryz工房、℃-ute、Buono! 他のゲスト出演のアトラクションがありましたが、自由席からは仮設舞台の出演者の姿は豆粒で、表示ボードの大画面を振りかえって見えるだけなので、音声の歌声を聞くだけで時間の経過が大変長く感じました。


当日の天気は、薄曇りの晴れで気温が高く、満員の会場の熱気で蒸し暑い日でしたが、日が暮れて来て、競技場のバックグランドの競技場と無人の観客席への放水により、少しばかり涼風が感じられてきました。薄暗くなり、競技場の間引いたライトが点火されると、周囲の空はすっかり暗くなりました。


19時30分になり、最初の花火が打ち上げ開始され、連発して切れ目なく花火が開き観客席から歓声があがりました。当日の花火は、1万発がうたいの打ち上げですが、号数の最大が4号玉なので開く輪が小さいのを、多数の同時打ち上げにより繕うのですが、尺玉の大輪には敵わず豪華さがなくやや期待外れでした。ただ、打ち上げ音だけが大きく、さらにそれが競技場の観客席に反射して、花火の打ち上げ音は大変と賑やかでありました。
ただ、花火大会では、多量に打ち上げの花火の彩のあやと、周囲にこだまする音は、会場に来た者だけが実感できます。


20時30分に打ち上げが終わり16万の人が一斉に帰りますので、混雑を避けるため20分前には会場を出て、国立競技場駅から帰宅しました。
都心の花火を見ての感想は、大輪が天空いっぱいに開き、色が変化する尺玉の花火のお腹に響く打ち上げ音の感触が醍醐味であるとの感じ方は、4号玉以下の連発打ち上げのスマートさやテクニックを理解できない古い感覚なのでしょうか。


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風景・風物詩 夏の風物詩 川崎大師風鈴市2008

2008年07月28日 | 風景・風物詩
>kan-haru blog 2008 

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川崎大師風鈴市
今年も夏の風物詩の川崎大師の風鈴市を迎えて第13回となり、7月17日から21日まで開催されましたので、梅雨明け後の猛暑にうだる3連休を風鈴の音に涼感を求めて、2年振りの21日祝日に出かけてきました。


大師駅前では、和太鼓とかフラダンスとかのイベントをやっておりました。今日の表参道では交通止はなく車が通っており、仲見世の飴売りの呼び声はいつもの通り賑わっています。

 表参道から仲見世へ

山門前に浴衣姿の友達同士で風鈴を見に来ていました。浴衣姿は、夏の風物詩によく似合います。

 川崎大師大山門

風鈴市の展示場は、山門を潜り大本堂前境内左手で開かれており、その先の不動堂参詣路には風鈴市を盛り上げる露天が出ています。風鈴や露天を楽しんだ参詣者は、熱い屋外での疲れをとるのにベンチはいっぱいです。幸い、21日は前日ほどの猛暑でなく、境内を吹く風が心地良く感じ、山門脇では、冷たい麦茶をサービスしており、風鈴の涼風とともに暑さが凌げました。

 風鈴市が開かれている大師境内

オリジナルの厄除けのだるま風鈴をはじめとして、今年は全国47都道府県から820種類、2万8千個の風鈴を展示販売しており、2年前の風鈴市(「風景・風物詩 夏の風物詩 川崎大師風鈴市」2006年参照)に比べると種類・個数とも増加して人気が出ているようです。

 込み合う風鈴市

展示の風鈴は、前回と同じようでしたが数が多くてとても見きれませんが、前回掲示していない「一楽、二萩、三唐津」と茶陶の誉れ高い「萩焼」の風鈴と、洋風のアール・ヌーボの代表的芸術家の創ったパウダー状の色ガラスを何層にも重ねた諏訪ガラス風鈴を載せてみました。

 萩焼と色ガラスの和洋陶器の風鈴

今年の風鈴の極め付けは、毎年、金製・銀製の風鈴を出展している田中貴金属が初めて出展した、18金が80グラム、0.5カラットのダイヤを散りばめた「ウインドベル」で、価格が100万円の風鈴です。来場者は、立ち止まって見入ったり、写真を撮ったりしていました。
また、この他に金箔短冊つきの金製風鈴が24万5千円、銀箔短冊つきの銀製風鈴が1万円で販売していました。

 田中貴金属の金製風鈴「ウインドベル」(金製風鈴写真拡大)

高価な風鈴を見て、のどが渇いたので仲見世の珈琲茶房 餅陣住吉(川崎区大師町4-45)に寄り、「くずもちサンデー」を食べて帰りました。

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風景・風物誌 夏の風物詩 入谷の朝顔市2008

2008年07月24日 | 風景・風物詩
>kan-haru blog 2008 

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入谷の朝顔市
例年の入谷の朝顔市は七夕の頃開催(「風景・風物誌 夏の風物詩 入谷の朝顔市」2006参照)されますが、今年の朝顔まつりはサミットのため7月18から20日の開催となり、20日の日曜日に見てきました。
今年の朝顔市に出かけたのは、初めての七夕をずらせての開催であることと、入谷には遠い昔の七五三の頃住んでいた微かな記憶が残っている、下町の懐かしい我が家の想いがあるところなので、身近なまつりに感じるためです。

 七夕よりずらせて開催の朝顔まつり

・朝顔市と七夕
七夕の頃に朝顔市が開かれるのは、奈良時代末期に遣唐使が朝顔の種を薬用植物「牽牛子(けんごし)」を持ち帰り、その後江戸時代には七夕の頃に咲く朝顔の花を牽牛にちなみ「牽牛花」と呼ぶようになり、夏の風物詩として鉢植えの朝顔を牛が牽く荷車に積載されて売り歩かれるようになったようです。
入谷の朝顔市は、江戸後期頃から入谷界隈で盛んだった朝顔栽培を人々に見せるために、真源寺(入谷鬼子母神 台東区下谷1-12-16)の敷地内で栽培農家が披露したことがその起源であると云われます。明治時代には朝顔作りが盛んになり数十件が軒を連ねて、見物しに多くの人でごったがえしたといわれたが、大正時代には宅地化の流れにより栽培が難しくなり、朝顔市は廃れてしまいました。

戦後の1948年(昭和23年)に、地元の有志と台東区の援助の元で、再び入谷の朝顔市が復活することになり、現在では例年の七夕の前後3日間(7月6~8日)に真源寺の敷地内で開催され下町の夏の風物詩として定着しております。

 朝顔市で賑わう真源寺

朝顔市の観賞
入谷の朝顔まつりは、今年で60周年を迎え言問通りの南面に120軒の朝顔業者の露天と、北面に縁日の露天100軒が並びます。開催期間中は18日が17時から、19・20日が12時から言問通り開催エリアで車両通行止めにして、40万人の人出で賑わいます。

 言問通りの朝顔まつり露天(車両通行止め前)

例年、朝顔市には朝行くのが習慣になっており、20日は朝8時半頃メトロ日比谷線入谷駅に着き、何時もの様に人込みの入谷鬼子母神(説明)を参拝し、境内に並んだ朝顔を眺めます。

 真源寺境内展示の朝顔鉢

この時間帯の朝顔の観賞は、言問通りはまだ解放されていませんので、朝顔の露天は歩道から見るだけで、しかも歩道の露天側は根岸方向からの歩行者の通路となっており、入谷からは露天と離れた側を歩くと云うより人に押されて移動させられる状態で、大変な混雑の人出でゆっくりと観賞することはできないのが、毎回の通例です。

 大混雑の言問通り歩道の朝顔市露天

朝顔露天の歩道を入谷から根岸まで、やっとの思いで通り抜け、出口付近の露天で朝顔鉢を2000円で買いました。

 今年はどの鉢を選ぼうかな

ここからは、言問通りを反対側に渡り、午後のため準備中の縁日の露天を横目で見ながら昭和通り入谷交差点に戻りました。

 今年の朝顔行灯

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風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭2008とおいらん道中(その2)

2008年06月23日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008 
 
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おいらん道中の行列は新馬場北口通りから
高架の新馬場駅は、1904年(明治37年)の京浜電鉄の開通時に目黒川を挟んで設けられた北番場と南番場の両駅を、1975年に環状6号線の立体化工事と合わせて新設高架ホームに切り替えて統合されて新馬場駅となりました。
新馬場北口通り<サクセス品川>(北品川2丁目 地図参照)は、新馬場駅より北品川寄りの品川神社前にあり、旧北馬場駅の出入り口であった元の北番場商店街通りです。
新馬場北口通りを東に200mほど進むと旧東海道が通っており、この辺り一帯は江戸時代には日本橋に始まる東海道五十三次の第一番目の宿場町の品川宿(「風景・風物詩 旧東海道品川宿 タイムスリップまち歩き北品川宿(その1~4)」参照)で知られています。

 品川神社前の新馬場駅と新馬場北口通り(左:第1京浜国道を帰還する町会神輿、中:第1京浜国道に並ぶ新馬場高架駅、右:旧北番場商店街通りの新馬場北口通り)

・新馬場北口通りを帰還する町会神輿
北二丁目町会神輿詰所に帰還する神輿が通る7日の新馬場北口通りは、両側の択山の露天と出店の間を神輿の後に続く祭り見物客と、北二丁目祭例協賛会主催のおいらん道中を見にきた人で埋まりました。

 北二丁目町会神輿詰所に帰還する神輿を追う見物人(写真拡大)

・おいらん道中見物
町会神輿が帰還した後の19時から、おいらん道中の出発点の旧東海道に近い北二祭例協賛事務所前の新馬場北口通りは、大勢の見物人が押しかけ動きが取れないほどです。

 おいらんがお出ましする北二祭礼協賛事務所付近に集まる見物人(:多数の出店と露天が出て混雑する新馬場北口通り、:おいらんがお出ましする北二祭礼協賛事務所)

おいらん道中開始の少し前には、おいらんが歩く道路幅を樹脂被覆の長い金属棒で確保して、見物人はその両脇で見る整理が行われ、道中の先頭を行く提灯行列が待機しました。

 おいらん道中の開始前(左:赤い高張り道中提灯、中:おいらんの登場、右:見物人で満員のおいらん道中)

おいらん道中は応募した7人の選ばれた若い女性が、きらびやかな衣装を着けて高いげたを独特の歩き方で優雅に進み、旧東海道の品川宿場町が江戸情緒で醸し出され観客を魅了した地元町会の祭りに合わせた毎年開催の催しです。

 おいらん道中(写真拡大)

神幸祭神輿渡御
6月8日の品川神社例祭には、午前8時に本社惣町神輿宮出しの神幸祭神輿渡御を見に行きました。

 品川神社参詣(左:石造りの鳥居から見る本殿、中・右:間宮社中奉納の里神楽)

午前の惣町神輿の渡御の見物は、巡行図に示す様に12時頃神輿が休息する御殿山通りのホテルラフォーレ東京(地図参照)で見る予定で、10時に神社に着き参詣して間宮社中奉納の里神楽や宝物殿などを見てから、品川女子学院の脇を通り御殿山の公園でベンチに腰かけて、ゆったりと神輿渡御を見物しました。

 御殿山の神幸祭神輿渡御(写真拡大)

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風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭2008とおいらん道中(その1)

2008年06月21日 | 風景・風物詩
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品川神社例祭2008
品川神社例祭は、6月6~8日に行われました。昨年の例祭の本社大神輿と中神輿の合同渡御(「風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭 (その2)」渡御準備参照)は都合がつかずに見られませんでしたので、今年は7日の夕方に町会神輿の連合宮入とおいらん道中を、8日の午前中に神幸祭神輿の渡御を見てきました。今年も、午後渡御の宮神輿は、残念ながら見られませんでした。


町会神輿の連合宮入
品川神社は、京急新馬場駅を下車して第1京浜国道に面してあり、高架橋を通る電車の窓から急な石段と富士塚(「風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭 (その1)」参照)が見えます。新馬場駅に着いて間もなくの17時半頃、宮入の最初の町会神輿が品川神社に到着して、本殿に向かい53段の急な石段を上りはじめました。

 宮入最初の町会神輿が品川神社に到着

・石段担ぎあげる宮入神輿
神社参道の石段前の龍が巻きついた鳥居を潜り、階段の踊り場から左手には品川富士と呼ばれる富士塚への道があり、石段を登り詰めると末社の浅間神社を左に見て、最初の宮入の神輿は石段の最上段まで3分ほどで一気に担ぎあげました。

 本殿へと一気に担ぎ上げた町会宮入神輿(左中右中写真拡大)

石段を担ぎあがった神輿は、本殿前の境内で所せましと練ります。品川神社の神輿の特徴は、「天下一嘗の面」のお面を屋根に付け、締め太鼓と篠笛によって奏でる「品川拍子」で練り歩きます。神輿の担ぎ棒は、台座下の2本の縦棒の前後に付けられた横棒を担ぎます。

 境内を練る宮入神輿(:天下一嘗の面付けた神輿、:締め太鼓と篠笛で奏でる品川拍子、:所せましと練る神輿)

・勢揃いした町会連合宮入神輿
境内に担ぎあげてきた神輿は、本殿前の正面にある1648年(慶安元年)に堀田正盛公奉納の石造りの鳥居はサイズが小さいため潜って通過できず、鳥居の脇を回って本殿前へと進みます。

 石段を次々と担ぎあげてくる町会連合神輿(:石段を担ぎ上がってきた二番手神輿、:石造り鳥居脇を通る二番手神輿、:同鳥居脇を通る三番手神輿)

四基の神輿が本殿前に勢ぞろいすると、さすが広い境内も担ぎ手と祭り見物客で一杯に埋まりました。神楽殿では、四基の宮入神輿の前で祝三味線の奉納演奏をしていました。

 本殿前に四基勢ぞろいの宮入神輿(:同鳥居脇を通る三番手神輿、:本殿前で練る四番手神輿、:四基勢ぞろいの宮入神輿)

・連合宮入神輿の各町会へ帰還
連合宮入が済んだ神輿は、各町会への帰還です。急な石段の担ぎ降ろしでも締め太鼓と篠笛の品川拍子で、龍が巻きつけている鳥居を潜って帰還します。

 連合宮入が済んだ神輿の町会帰還(:宮入が済んで最初の神輿が石段を担ぎ降りる、:担ぎ降ろしも締め太鼓と篠笛の品川拍子、:石段を下ると龍が巻きつけている鳥居を潜る)

第1京浜国道に出た神輿は、それぞれの町会に向かってご帰還です。

 連合神輿は宮入が済んでそれぞれの町会へご帰還(:町会2番神輿、:町会3番神輿、:町会4番神輿)

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風景・風物誌 つつじと森林浴 神木山等覚院(つつじ寺)と県立東高根森林公園

2008年05月05日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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つつじ寺の満開のつつじをテレビの放映(4月25日)で見て、その素晴らしさに近くの従兄夫妻を誘い、同30日にJR川埼駅で待ち合わせて見に行きました。

神木山等覚院
通称つつじ寺は、神木山(しぼくさん)等覚院長徳寺(川崎市宮前区神木本町1-8-1 地図参照)と称し、山門からの石段脇左右の斜面に丸く刈られた、オオムラサキやキリシマツツジなど樹齢100年を超すつつじは見事で真っ赤に染まり、「神奈川の花の名所100選」に選ばれています。
等覚院は、比叡山延暦寺天台宗の末寺で関東36不動霊場第6番の札所です。本尊は不動明王(1尺5寸)の秘仏と、童子の計子爾(けいしに)童子が祀られております。
また、関東薬師91霊場第16番の札所でもあり、室町時代の木造薬師如来坐像は川崎市の重要歴史記念物で本堂に合祀されています。


・縁起
昔、日本武尊、東夷(えにし)征伐のおり、疲労困ぱいし激しき渇きを覚えたり。とき、たまたま鶴の舞い降りるを見たまえり。鶴は水辺を好むものなれば、とき、探ねて、その冷水を飲む。疲労忽ちに癒えて、英気まことに漲りたりと。
武尊は、深く神助の霊水ならんと感じ、一本の木を植えたしと云う。代々その木を神木と崇めたり。後に、智証大師円珍(814~891年)その神木を以って、当本尊不動明王を刻みたりと云う。通称、この地を神木と云うは、以上の因縁によるものなり。

等覚院へのアクセス
待ち合わせのJR川埼駅から南部線にて武蔵溝口駅南口で下車して、バスの行き先は何れでもよく、乗車約10分で神木本町バス停(地図参照)にて下車し、バス通りを進んで四つ角を右に曲がり東名高速道路を潜ると、徒歩10分ほどで「つつじ寺」の立札があるので右に曲がります。

等覚院の入口には、明治10年代に建立の幾多の風雨に耐えてきて古色蒼然としたわびしさが漂う山門が建ち、山門の両脇には仁王様が鎮座しています。

 古色蒼然の山門(写真拡大)

山門を潜り、三十段の石段の両脇は満開のつつじで、境内を華やかに彩り埋めつくしています。

 境内石段両側のつつじ(写真拡大)

石段の上には、宝形の屋根の本堂があり、不動明王像写経奉安法要のご開帳で、平成19年4月に入仏開眼奉修した新刻木彫りの不動明王像が安置され、拝観自由で公開されていました。

 等覚院本堂(写真拡大)

色鮮やかなつつじに別れを告げ、裏参道の坂道を下り次の行先の県立森林公園へ向かいました。

 等覚院を後に(写真拡大)

県立東高根森林公園
県立東高根森林公園(川崎市宮前区神木本町2-10-1 地図参照)は、広さが10.6ヘクタールもあり、弥生時代の集落跡が発見された公園です。県指定史跡の「東高根遺跡」(1.3ヘクタール)の周囲2.8ヘクタールのシラカシ林(樹齢約150年と推定)は県指定天然記念物に指定されている他、湿生植物園、古代植物園、ピクニック広場、芝生広場、自然観察広場、子供広場やビジターセンターなどの施設があります。

 森林浴に絶好の東高根森林公園(写真拡大)

丁度、ゴールデンウィークの森林公園は、木立の緑が若草色で目の写りに良く、陽光を遮る若葉の下での森林浴には絶好の時期でしたので、公園のベンチで持参の弁当で昼食を取り、公園の見学は次の機会としてたっぷりと森林浴を浴びて、バスで武蔵溝口駅から帰途につきました。

 公園風景                                ビジターセンター                          

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