K&A

kan-haruの日記

風景・風物詩(B4) 江戸三大祭 富岡八幡例大祭(その1)

2006年08月17日 | 風景・風物詩
深川八幡祭りは、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つで、3年に一度八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、昨年が本祭りで大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する他、大小あわせて120数基の町神輿が担がれます。
深川八幡祭りと呼ばれる富岡八幡宮の例祭は、毎年8月15日を中心の日曜日に行われ、今年は8月13日が当たりました。

深川不動堂
今年は、二の宮神輿の渡御しが13日に行われましたので、上野に午後出かける前に渡御し順路に合わせて大森町を出て、日本橋を経て門前仲町に9時半頃に着きました。
先ずは、東西線の門前仲町を出て深川不動堂参道「正門」から本堂へと進み、左右に立てかけられている大きな「わらじ守」を見て、「本堂」を参詣しました。

深川不動尊の由来は、江戸時代元禄年間に江戸町人を中心として不動尊信仰が広まり、成田山ご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運から、1703年に江戸でのご本尊の出張開帳(江戸出開帳)が行なわれました。このご開帳の場所が深川永代寺境内で現在の深川不動堂付近であり、これが深川不動堂の起りと云われている。
明治に入って神仏分離令によって、永代寺は廃寺になり境内は深川公園になった。1869年(明治2年)に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められ、1881 年(明治14年)には本堂が完成しました。


関東大震災・第二次世界大戦と2回にわたって本堂が焼失しましたが、ご本尊は焼失を免れました。1951年(昭和26年)に、当時千葉県印旛沼のほとりに建っていた龍腹寺を、1862年(文久2年建立)を深川に移築して本堂が復興しましたが、この時の建物が現在の本堂になっています。
しかし、江東区最古の木造建築のため痛みが激しく、平成4年の興教大師850年御遠忌を記念して平成の大改修を行い、諸伽藍も一新され平成3年に大改修落慶法要が盛大に行なわれました。

富岡八幡宮
富岡八幡宮へは、深川不動尊の境内から東へ出て、西側の鳥居を潜り境内に入りました。境内に入るとすぐ右側には手水舎があり、左側の鳥居の奥には、富岡八幡宮17末社の内、平成13年10月25日に改築された三社に富士浅間社、金比羅社、大黒社、恵比寿社、鹿島神社、大鳥神社の6末社が並んで鎮座しております。
御祭神 応神天皇(誉田別命)外8柱を祀られている「江戸最大の八幡様」を参詣すると、本殿前では朝早くから夕方まで、[江東区剣道連盟]の奉納剣道大会が開かれておりました。

正面参道を永代通りに向かうと、右手の神輿庫に日本一の黄金神輿(比較)の御本社一の宮神輿が鎮座してありました。御本社二の宮神輿渡御り順路は、例祭で午前7時30分に宮出しされ、最初の枝川から豊洲の神輿渡御り順路を終え、第二の神輿渡御り順路の釣舟橋を午前9時30分に出て、深川不動堂前でUターンして永代橋を渡り、亀島橋まで進みます。第三の神輿渡御り順路は、12時50分に区役所前を出て夕刻に宮入りをします。
宮出しと第一神輿渡御り順路、第一から第二神輿渡御り順路、第二から第三神輿渡御り順路のそれぞれ間は、神輿をトラックで運びます。

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(7月分掲載Indexへ)
<前回 風景・風物詩(B3) 夏の風物詩 川崎大師風鈴市 へ
次回 風景・風物詩(B4) 江戸三大祭 富岡八幡例大祭(その2) へ>
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大森町界隈あれこれ(K35) 手... | トップ | 風景・風物詩(B4) 江戸三大祭... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

風景・風物詩」カテゴリの最新記事