行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

廿日市市木材利用センター けん玉教室

2016-12-11 15:10:19 | 日記
 何か月ぶりになるか、久しぶりに木材利用センター砂原宏幸先生のけん玉教室に出かけた。途中廿日市港を覗くと港の浚渫のため漁船がボートパーク海域に移動していた。
 事務室を覗くと、11月から新しく、土・日を担当される田中さんに初対面した。講師の砂原先生が宮島街道の渋滞で遅刻されるとのこと、およそ15分程度当方がつなぎ役を果たして遊び方の色々を披露した。
 シニアの参加者も加わり講師を中心に子ども連れの家族約10数名が集い色んな技を一緒に習った(写真)
 帰り廿日市港近くで船主の方に伺うと、昨日土曜日浚渫が済んで漁船が帰港しているとのことだった。少し足を延ばし中国醸造を覗き正月用の酒と酒粕を購入した。丁度「弥山」という酒を造られた杜氏さんに会いフェイスブックUP許可の写真を撮らせていただいた。
 広電廿日市駅南側道路まで帰ると、北方向にJR廿日市駅舎の頭部、北口開発に伴い誕生したマンション、その背後に以前からの佐方小学校が望めた。

妻の大病後3回目

2016-12-09 15:11:04 | 日記
 午前中アルパーク天満屋1階の喫茶店で11:00~12:00の約1時間義弟と会った。彼は埼玉県和光市在住で、昨日高校時代のクラス会と府中町のみどり園で生活する母親に会って一仕事を済ませ、本日16時に広島空港から帰途につく予定だった。
 妻が2012年大病し退院したのち、2014/3/19日最初に会ったのも同店だった。翌2015/11/28日甥っ子の結婚式での集いが2回目、そして本日3年連続3回目となった。お互いの健康状態、身内の近況などを報告現実を理解し合いすっきりした気持ちで昼前見送った。
 お土産とクラス会でもらったとか広島市立中央図書館の企画展-没後100年、生誕150年-漱石と広島のパンフレット(写真)貰った。
 本日の朝日新聞、文化・文芸欄にも 100年前漱石が逝った日 と次のようにあった「ちょうど100年前の1916年12月9日、漱石は胃潰瘍で亡くなった。49歳という若さだった。その日の昼、自宅の病室に近親者や友人・門下生ら30人余りが集まった。わっと泣き出した小学生の4女愛子を妻鏡子がたしなめるも「泣いてもいいよ」と漱石。最後「顔が熱いから水をかけてくれ」と繰り返し、看護婦が水を吹きかけると「よし」と言って言葉が途絶えた。午後6時45分、主治医が頭を下げた。・・・」とある。
 当方広島県生まれの夏目鏡子の-漱石の思い出-文春文庫を読んだことがある。

鈴ケ峰

2016-12-08 11:15:57 | 日記
 2005/12/15(木)の日記に、広島市西区と佐伯区にまたがる鈴ケ峰は、格好のハイキングコースで山頂からの市街及び広島湾の眺望が絶景のビューイングだ。海抜312mだから登山というより、ハイキング地として年齢を問わず楽しめる。県が南側斜面を整備し、登山道を付け植林を進めてより身近な山として利用できるようになった。井口台中学校前から山道に入るが、復員もあり歩きやすく家族連れのコースとしてお勧めしたい。
 健脚向きには、西寄りのコースがある。広電車庫前から車止めの道を50m入ったら、すぐ登山道に入れる。尾根沿いで急なところが多い。以前山火事があり樹木が少なく、佐伯区や宮島方面の眺望が大変良い。東斜面にも鈴が峰住宅から登山道があり、途中には「鈴峰」の大きな石碑がある。さらに北側には、美鈴が丘団地からのルートもありこちらは樹木が茂り森林浴にも良い。
 写真は、井口1丁目16の畑から撮影したもので、中腹少し右手海抜約100m地点に井口台中学校校舎の先端一部のみが写っている。初冬の鈴ケ峰は、紅葉から山全体がぐんじょう色に変わってきている。
 私は、足腰を鍛錬することも兼ねて10年前の当時はよく登っていたが、今は麓から眺めるだけになってしまった。

井口児童館 昔あそび

2016-12-05 17:02:44 | 日記
 けん玉、お手玉に続き、今月から3回コマ遊びを体験する。師走に入りここ2~3日小春日和が続いたが、予報では明日あたりから気温が下がるらしいが、心地よい午後井口児童館へ向かった。
 来月には正月を迎えるので、「お正月」の歌を皆で唄い導入とした。ミニ凧とコマ、マリの代わりにゴムボール、追羽根を見せながら唄ってみた。追羽根は実際についてパフォーマンスして見せた。
 中国ゴマ・ブチコマや工作したけん玉の玉コマ・ブンブンコマ・ビー玉コマなどいろんなものを紹介、今年初めて持参した「おてもやん」人形はかんざし・顔・胴体・台座の4つがコマで組み立てられ珍しそうに見ていた。かんざしは小さなドングリ大の大きさでもよく回り、1,500円で購入した。写真左のツリーは井口母親クラブ・井口児童館の工作品で、まだ早いのですがといただき、合わせてよいお年をと館長さんから挨拶を受けた。写真の板は、ミニまな板で材質は青森ヒバ、独特の匂いがある。先日廿日市市木材利用センターボランティアのOさんからいただいたもので羽子板代わりに使用した。
 あまり時間が取れなかったが、最後10分程度みんなでコマ回しに挑戦、4回のうちトップは男児で1分54秒の記録だった。

共通のスポーツ

2016-12-04 15:20:38 | 日記
 硬式テニス素人の当方が妻を誘って始めたのは共に30代だった。加計在住の時で、中学校のテニスコートを無断で利用させてもらった。ウッド製のラケット(写真の右側2本)で面が小さく玉が当たっても相手のコートに打ち込めず苦労していた。その後一人で時間を見つけて太田川ローンのテニススクールに通ったが、初めのうちは玉がどこへ飛んでいくかしっちゃかめっちゃかだったらしい。少しずつボールコントロールができるようになり、次に諏訪ローンテニスクラブの会員になりはまって、10年以上仲間とダブルスなどの試合に出て、いくつかのトロフィーも獲得大切にケースに収納している。
 一緒に遠くは、大久野島や蒲刈島の県民の浜、宮島の包ケ浦、近くでは佐伯運動公園、晩年は近くのサンプラザ(ここは無料)で週2回のペースで体を動かしてきた。
 その後は10年余りお互いに体力がなくなり、ラケットを握る機会もなくなり、今回年末を機に廃棄することにした。
 個人的には、当方小豆島や岩国でのハーフマラソン、ハワイのホノルルマラソン以外に大柿町(江田島市)のみかんマラソン、宮島のクロスカントリー、岡山の山陽マラソン、福山市民マラソン、広島平和マラソンなど走ってきたが、勿論こちらも無理な体になってしまった。