当方昭和44年神奈川県川崎市から広島県豊田郡大崎町(当時)に異動転居してきた。荷物は衣類・書籍
以外大部分を処分して仲間に引き取ってもらった。数個のリンゴ箱(木製)と布団ズックを軽トラック1台分程度の荷物だったと思う。
大崎高校(当時)へ赴任、島の民家笹原さん宅に間借りして生活が始まった。昭和46年5月30歳の時結婚、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁♪」に祝福されて妻が嫁いできた。実はその時に下宿のお婆さんがお祝いとして布団を作ってもらったのがボロボロ(写真)になり、昔を思い出しながら処分した。
結婚するにあたり家が見つからず、蜜柑山の中の古びた民家を借り、昭和48年8月1日に教職員住宅が新築され、島を離れる1年弱まで居住する幸運を得た。
定年退職した年の平成13年7月30日、妻の車で大崎町を訪ね新婚生活をスタートさせた民家を見に行ったが、建物は朽ちて廃屋に、離れの風呂場だけがかろうじて形を残していた。その日は、木江町の清風荘に宿泊し、翌日芸予諸島めぐりをして戻ってきた。
以外大部分を処分して仲間に引き取ってもらった。数個のリンゴ箱(木製)と布団ズックを軽トラック1台分程度の荷物だったと思う。
大崎高校(当時)へ赴任、島の民家笹原さん宅に間借りして生活が始まった。昭和46年5月30歳の時結婚、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁♪」に祝福されて妻が嫁いできた。実はその時に下宿のお婆さんがお祝いとして布団を作ってもらったのがボロボロ(写真)になり、昔を思い出しながら処分した。
結婚するにあたり家が見つからず、蜜柑山の中の古びた民家を借り、昭和48年8月1日に教職員住宅が新築され、島を離れる1年弱まで居住する幸運を得た。
定年退職した年の平成13年7月30日、妻の車で大崎町を訪ね新婚生活をスタートさせた民家を見に行ったが、建物は朽ちて廃屋に、離れの風呂場だけがかろうじて形を残していた。その日は、木江町の清風荘に宿泊し、翌日芸予諸島めぐりをして戻ってきた。