行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

まちぶら廿日市市

2021-08-31 11:20:07 | 日記
 朝日新聞広島総局 福井悠介記者からの記事
「コツコツコツ」。リズミカルな木の音が響く。カルビーの工場からほど近い県木材利用センターでは4月から始まったけん玉教室。講師を務める同センターボランティアの大段徳行さん(64)は「赤ちゃん以外は誰でもできる。世代を超えて輪を広げたい」と話す。
 呉市出身の江草濵次さんがフランスなどの剣と玉だけのおもちゃに皿をつけた「日月ボール」を考案。木工の盛んだった廿日市で製造を依頼し、昭和初期には子どもの遊び道具として大流行。70年代半ばまでは各地の地名などを印刷した観光みやげとして生産されていたが、需要は徐々に減少。98年には廿日市での生産が一時途絶えた。
 時をほぼ同じくして市のシンボルとして復活させようという声が関係者から上がった。同センターをを拠点に、元木工玩具会社専務の西村保宣さん(67)が製造を再開された。
 小学校の新入生にけん玉をプレゼントするなど、木工の町のシンボル再興に取り組む市となった。

芋畑の話し

2021-08-29 15:20:49 | 日記
 ご当地井口1丁目15の一角に、古くからの廃屋と大きな柿の木があった。暗渠になっていない井出筋の道路に沿っていて、治安上も芳しくなかった。秋になると柿の実が熟し、カラス・ヒヨ・スズメなど野鳥がつつき、道路上に落ち道を汚していた。冬は枯葉が落葉近くの住人が困っておられた。高さが十数メートル誰も手入れせず放置されていたが、昨年12月上旬重機が入りチェンソーで伐採された。その背後の荒れた草地に今年6月上旬小型トラクターが入り畑に整備され、6月9日井口小児童がイモの苗植えを体験していた。(写真)
 同じ日にもう一クラス児童が交代し植え付け完了していた。ちなみに畑は2丁目の鍛冶山さん所有らしく児童たちの指導をしておられた。その後は畑に近寄る人は見られず雑草が増え始めた、7月上旬7日の七夕・小暑の日様子を見たが放置が続き、7月25日(日)には雑草だらけになり、農業は結局雑草との戦いだということがよくわかった。
 どんなイモが収穫されるのか、秋まで1か月以上あるが結果を楽しみに待ちたいものだ。収穫後は、学校給食でふるまわれるのかもしれない。

処暑

2021-08-23 00:00:00 | 日記
 暑さもようやくおさまって、一息つくころ。涼やかな風が吹いてくる。穀物も実り始めるが、台風の被害を受けやすいころ。24節気の1つ、立秋と白露の間に位置し、太陽暦では8月23日頃にあたる。処暑とは暑気がやむという意味があり、今まで苦しめられてきた極暑のようやく衰える時節に入ることを意味する。
 丸い綿の実がはじけて、中から純白のやわらかな綿毛が顔をのぞかせる。中に含まれている種子は綿実油、綿は衣服の材料などに用いられる。くすぐると笑うかのように枝葉を揺らすことから「くすぐりの木」の異名を持つサルスベリ(百日紅)が長時間咲いて、夏の疲れをいやしてくれる。
 23、24日は子どもの守り神お地蔵様の祭り地蔵盆。浴衣を着るのは8月末までとされる。虫の声に秋らしさが出てきます。
 2016/8/23 のブログで今朝久しぶりにお隣の娘さんにあった。この春大学を卒業され社会人として会社勤め、すっかり魅力的に成られた。そして夕方にはこちらも超久しぶり大学2年生の妹さんが帰省、韓国土産を携えて顔を出してくださった。
 サルスベリは近所のお庭から拝借・・・・

雨に見舞われたお盆

2021-08-19 16:00:31 | 日記
 今年のお盆前後は、前線の停滞で全国各地あちこちで大雨が続いた。当地でも、田方・己斐上・安芸山本地区などで土砂崩れが発生し、3年前の西日本豪雨以上の降水量を記録した。
 お盆の天気予報が芳しくなく、8月11日の晴れ間を狙って午前中墓参りを済ませた。案の定、翌日からのお盆期間中天気がぐずつき、その後も含め1週間以上降り続けた。梅雨を思わせる湿気で、トイレの戸や座敷の障子など開閉がしにくくなったり、外の土砂降りで家の中にありが出没し、夜中寝ているのに首をさされたり安眠を妨害された。
 19日になってようやく前線が消えて、日差しが戻った。雨の少ない日々を耐えて秋冥菊が庭の隅に一輪開花した。中国原産で、高さが60cmぐらい、葉は3枚の小葉からなる複葉。淡紅紫色のキクに似た花を開く。

広島駅整備工事

2021-08-13 10:55:13 | 日記
 当方が大学卒業して社会人になった年の昭和39年10月、山陽本線全線が電化された。芸備線は当然まだですよ!
昭和40年12月には広島民衆駅が完成、さらに昭和50年3月山陽新幹線岡山~博多間が開通した。
 令和2年3月31日広島民衆駅の閉館が迫り、最後の雄姿を見ておきたいと広島駅に向かった。新井口駅10:19白市行きに乗車、己斐駅通過時には、西広島駅改修中と車内アナウンスがあった。広島駅到着前スピードが落ちたとき、防音シートの隙間から広島東郵便局解体中の様子が垣間見えた。
 広島駅ビルには、54年間ご愛顧に感謝と垂れ幕が下がっていた。思い返せば、昭和39年神奈川県川崎市に上京してから、段原の実家に帰省するたびに駅を見続けてきた。駅前広場には何度も歩道橋が架け替えられた。昭和63年3月には駅前広場地下道が完成驚きだった。
 只今解体がほぼ済んで、新しい駅には市電が広島駅前大橋から直接乗り入れるように改修される予定だ。