午前中、母の入院する古川医院へ、10時に入ったがベッドではなくテレビのあるラウンジへ出ていた。母は椅子に座っており、両隣は車椅子の方で右側の方を移動させて席を空けて下さり、今日は家族写真で昔を振り返ってみたが忘れていることが多く根気よく説明しておいた。
2017年3月28日に戻すと「事務所に声をかけエレベーターで3階に上がると車椅子でラウンジのテレビに向かっていた。対面にやはり車椅子の患者様がおられ、少しして別の方が歩いて出てこられ3人の巨頭会談が始まった。もう一人の車椅子の方は82歳になられる現役時代大きな幼稚園の園長先生だったと看護師さんに教えていただいた。歩いて出てこられた方には当方から母が98歳と紹介し、年を伺うと88歳米寿とのことだった。何せ皆さん耳が遠くて会話が成立しにくく、88歳が82歳に何を言ってるか判らないから紙に書いてみんさい!と、当方がシャープペンシルとメモ帳を差し出したがミミズがはったような線が書かれていて筆談も無駄だった」
今日母の右傍で話すからか、左側の幼稚園の先生だった方が自力で車椅子を動かし離れようとする姿に、お茶を入れてケーキを食べるからと看護師さんがとどめられた。これ以上いたら邪魔になると思いベッドに飾っていたミニクリスマスツリー(写真)を持ち病院を後にした。
2017年3月28日に戻すと「事務所に声をかけエレベーターで3階に上がると車椅子でラウンジのテレビに向かっていた。対面にやはり車椅子の患者様がおられ、少しして別の方が歩いて出てこられ3人の巨頭会談が始まった。もう一人の車椅子の方は82歳になられる現役時代大きな幼稚園の園長先生だったと看護師さんに教えていただいた。歩いて出てこられた方には当方から母が98歳と紹介し、年を伺うと88歳米寿とのことだった。何せ皆さん耳が遠くて会話が成立しにくく、88歳が82歳に何を言ってるか判らないから紙に書いてみんさい!と、当方がシャープペンシルとメモ帳を差し出したがミミズがはったような線が書かれていて筆談も無駄だった」
今日母の右傍で話すからか、左側の幼稚園の先生だった方が自力で車椅子を動かし離れようとする姿に、お茶を入れてケーキを食べるからと看護師さんがとどめられた。これ以上いたら邪魔になると思いベッドに飾っていたミニクリスマスツリー(写真)を持ち病院を後にした。