行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

泉美術館

2016-09-27 16:06:00 | 日記
 午前中、泉美術館(商工センター内)での昭和の写真展を見に出かけた。呉市出身の写真家明田弘司(あけだこうし)1922-2015さんの追悼写真展で、懐かしい昭和の時代がよみがえった。パンフレット写真に写る子ども達のキャプションに「明田は、なぜか子供に警戒心を抱かせない写真家だった。1954年(昭和29年)11月17日矢野町とある。草津町での子どもを写した写真にも「いつでもどこでも子どもたちは元気、子守も遊びも上手だった」昭和29年(1954)8月 女の子はおかっぱ頭にシミーズとズロース、男の子は上半身裸かランニングに白の短パンで坊主か坊ちゃん狩り姿で貧しくても屈託なく明るい表情で写真に写っている。
 当方戦争が始まった1941年(昭和16)に中国青島で出生、1歳10ヶ月で中国青島神社で鳩と遊ぶ写真が残る。昭和29年は、比治山小学校卒業で修学旅行は別府十方地獄で集合写真に保護者有志3名が写り、当時は米を持参した記憶がある。クラスは男子・女子27名ずつ計54名だった。その後段原中学も皆実高校も共に50数名と人の中に埋もれて、隠れるように学生時代を過ごした。ずっと木造校舎で過ごし高校3年生の時に鉄筋校舎に入れた。昭和は遠くなりにけり!!

秋冥菊と月下美人

2016-09-26 10:57:24 | 日記
 家の周囲に幅1mほどの庭がめぐらし、その一角に秋冥菊(写真)が咲いている。玄関側の門扉の内外に、秋分の日をはさんだ3日間で2鉢から何と計17個の月下美人か咲いた。2013年には11月2日に開花したこともありまだ花をつける可能性は残る。
 秋冥菊は、広辞苑によると「キンポウゲ科の多年草、中国原産、我が国の各地で観賞用に栽培、またしばしば野生化している。高さ60~90cm茎に細毛あり、葉は3枚の小葉からなる複葉。秋、淡紅紫色のキクに似た花を開く。キブネギク。漢名秋牡丹」とある。
 月下美人は「サボテン科クジャクサボテン類の一品種。茎は平らで葉状、夏の夜純白大輪の美しく香りの良い花が咲き、4時間くらいでしぼむ」とある。
 我が家では、2005年夏に初めて開花し、その時は義母がわざわざ拙宅に泊りがけで足を運び、鉢を室内に運び込んで、妻と一緒夜遅くまで花を見ながら談笑していた。

9月ハザイ教室 B

2016-09-24 14:46:38 | 日記
 井口電停から見える商工センター西部埋立第2公園では、幼児たちのミニ運動会が行われている様子だった。広電山陽女子大駅近くの田んぼはだいぶ稲穂が黄金色になっていた。廿日市電停そば保育園の向こう側丘陵地がだいぶ削られていた。廿日市港北交差点から中国醸造に寄り道し、9月10日広島カープ優勝した時の菰樽(写真)を見せてもらった。廿日市港を覗くと干潮で枯れ草などのゴミが浮遊し、塩とドブが混じったような匂いがした。
 廿日市市木材利用センターに着くと講師がお休みで、事務員の細井雅子さんが代役を務められ、ボランティアは当方1人で始まり、遅れて橋口さんが登場された。毎回参加の6年生女子を含む5家族が集い、子どもが椅子を作りたいとお母さんから頼まれ70年後輩の5歳男児を手伝い、その妹には糸鋸で彼女の手形をカットして記念にプレゼントしておいた。お母さんはペン立てを作っておられた。
 暑さ寒さも彼岸までと言うが、季節は秋分も過ぎドングリの土産が届いており持ち帰った。

おりづるタワー

2016-09-23 16:06:35 | 日記
 広島商工会議所ビル跡地に「おりづるタワー」がオープンしたとばかり、ビルに入り受付嬢に聞くと道の向こう側だった。帰宅して平成5年発行の住宅地図を見ると「東京海上ビル」跡地だった。
 実はホームページに9月23日から3 日間無料開放するとあり出かけてみた。フェイスブック上には、登録者の意見の1つに全体的に料金(1,700円)が高すぎるとあった。
 グランドオープン記念イベント「まだ未だ来てくださっていないお客様には"おりづるタワー"から見る復興をとげた広島の街並みの素晴らしさを知って頂きたいという思いから催行します」とある。平和公園・原爆ドーム、晴れた日には宮島の弥山まで望める?らしい。
 10時20分ころ現地に到着したが入場待ちの人が多く(写真)、時間稼ぎにシャレオの地下街を歩く、11:00オープンの店が殆どで閑散としていた。立町で地上に上がり東急ハンズの2階バラエティーコーナーを覗いてみた。何も買わなかったが10,000円のけんだまにはびっくりした。立町電停から宮島行き電車で11時ころもまだ行列の状態は残っており、あきらめてそのまま帰宅した。25日まであるが、土・日なので今日以上の混雑が予想され、今回は見送りいずれの日にか訪れてみたい。

9月ハザイ教室A

2016-09-18 15:36:48 | 日記
 大雨警報が出ている中、ゴム長靴を履き大きいジャンプ傘で廿日市市木材利用センターへ向かった。自宅から井口電停までの往復は、ともに強い雨の中を、廿日市電停からセンターまでの往復は傘をささないでも移動できたが、履きなれないゴム長は痛めている右膝にダメージとなり徒歩でいつもの1.2倍位時間を要した。
 悪天候でも3家族が、毎回お母さんと参加の6年生女子、低学年男児もお母さんと、年長の男児はお父さんと参加だった。あまり手伝うこともなく暇を利用して自分の手形を糸鋸でカット持ち帰った。実習館で工作中、バケツをひっくり返したような雨が降った(写真)。
 ボランティアは、黒田さんと2人で只今は稲刈りで一番忙しいそうで、雨だったから来られたとのこと。すでにいくらか済ませたとか、籾殻のホコリが舞い上がり肌がかゆくなって大変だと農業の厳しさを吐露された。
 実は、この方から2015.12.5キャベツ・大根・カブを頂いた事がある。
 帰り、電車から山陽女子大前駅近くの田んぼを見ると、まだ穂先が黄色になっているものがほとんどなく、早稲の品種との違いがあることに気付かされた。