行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

雨天決行の廿日市木工まつり

2011-05-29 20:34:20 | 日記
 関係者は、晴れを願って準備され不運だった。フリーマーケットは中止、木材利用センター施設内の催しのみで終止した。関係者の挨拶では、東日本被災地を気遣う言葉が並び、廿日市市職員からも50数名が支援に出られた事、自然の強大な力を知らしめられ、反面自然をどのように利用するか、再生可能な木材と触れ木を利用して成長する社会の創造、今日の天気についてはいつもよい日ばかりではない!こんな日もあるなど話された。
 拙者まつりでは、前半は2階大研修室で遊びのコーナーに詰めていた。12畳位のブルーシート上に、輪投げ、木片積木、けんだまなど親子連れが興じていた。
 後半は、実習室に移動し、木工工作、動物のイスやキットの組立、糸のこなどの手伝いをした。実習室の後片付けをすまし、大研修室に戻ってみると誰もいなく、けん玉が籠の中で悲惨な状態で突っ込まれ愕然としながら、20数個のもつれた糸を10数分かけてもくもくとほどき帰宅した。
 行きは足元がかなり濡れ、帰りは風が強くて傘がさせず小雨にぬれながら廿日市電停へ歩いた。天候のため気分は高揚しなかった。

好きになれないカラス

2011-05-28 10:45:13 | 日記
 朝から雨で、井口小児童ランドセルを背負って登校していた。楽しみにしていただろう運動会、ホームページ予定表には29日予備日、30日代休となっていた。明日に順延だが早い梅雨入りと台風2号の接近でこれまたビミョウだ。
 拙宅2階から見通すと(写真)、グランド一角にテントはスタンバイしてあり、児童達のために天候の回復を願う。
 さて、写真に写るカラスだが、近くの電柱に巣がありヒナが誕生している。一辺が20~30mの三角形それぞれの頂点にあたる位置に、2羽の親鳥が残りの頂点のヒナを見守り、巣の近くの屋根にネコが現れようものならガアー・ガアーと威嚇追い払い懸命に子育てしている。
 しかし、カラスは御免だ。①色がよくない ②たまたま糞をかけられた ③ゴミ収集日ゴミを荒らす ④スズメ・ツバメのヒナを狙う ⑤車にひかれた動物の死骸をあさるなど良い印象は無い。
 双眼鏡で巣を見ているとときどき親鳥が餌を運び、ヒナが羽根をばたつかせている。

運動会

2011-05-25 17:08:14 | 日記
拙宅から、地図上では殆ど等距離に井口小学校と井口明神小学校がある。午前中遠回りしてアルパークへ後者小学校のそばを通った(写真)。フェンスに「あいさつは 友達づくりの だい一歩」と横断幕が掛っていた。校庭では児童が体操着姿で、低学年はグランド内、高学年は周囲の石・ゴミ拾いや草抜きをしていた。フェンス越しに聞くと28日(土)が運動会、見に来て下さいと返された。
 振り返ると、2001年夏休み同校で児童有志と学区の地図作りをした事がある。その縁で翌年、運動会を見学し新聞に「9月最後の日曜日、近くの小学校運動会を見に行った。校庭には開花前の菊と子ども達がバケツで育てた黄金色の稲穂があり、スズメがついばんだようなあとがあった。・・2学年合同のソーラン踊りでは、鳴子の赤が青い空に見事に映えていた。・・」と投稿が残る。運動会と言えば秋の風物詩だったが、近年様変わりしている。
 前者井口小学校も28日に予定され、今日も15時過ぎ応援の練習か太鼓の音が響いている。拙宅とほぼ同じ高さ(海抜30m)にあり、グランドからモロだ。
 両校のために当日雨だけは降らないでほしい。

ヒスイカズラ

2011-05-21 14:43:39 | 日記
 引きこもりすぎだと妻に植物公園へ誘われた。天気予報では、曇りのち雨とかで9時半過ぎに出かけた。持参物はデジカメ、はずせない入場無料になる健康手帳だ。長い間履いていなかった山歩き用靴を出した。これは在職中同僚から足幅に合わないからと貰ったもので長い間履いていなかった。
 植物公園には、4/24、5/7、5/21と2週間毎に意識せず足を運んでいる。妻のお目当ては、ホウノキの花とヒスイカズラのようで、前者一点咲きの撮影をねらっていたものは遅すぎたようであったが、高い所には咲いたばかりの花がいくつもあり、あたりはバニラの甘い匂いが漂っていた。後者大温室のヒスイカズラ(写真)は満足していた。説明板にフィリピンのルソン島に自生するマメ科のツル性植物、さながら熱帯のフジといった感じとあった。
 バラ園2週間前は、つぼみだけで緑一色だったが、本日は白・赤・ピンク・黄色などなど乱れ咲きで、重厚なカメラで撮影するお年寄りがたくさんおられた。
 土曜日は、小・中・高校生は無料で何人かの小学生にはであった。入園前の兄弟を連れた家族、6歳くらいの弟が「ここに魚釣りがあるか」とすかさずお父さん「あるかい」と返していた。

昭和46年(1971)井口の写真

2011-05-20 11:15:34 | 日記
 井口高校(昭和53年開校)北側に、西部埋め立て第二公園がある。その一角に小己斐島があり、島は埋立で景観が変わるため、昔の面影を残そうと周囲約400mの海面を残した。その小己斐島の上から昭和46年(1971)亡き父が撮影した写真がある。父は明治44年(1911)生まれで60歳、この当時の井口漁港は防波堤で島と繋がっていたようで上に上れたようだ。
 写真の左に国道2号線、トラックが通行中で港に下りる雁木や石垣の一部は、現在も残っている。右手前の建物が井口漁協で、今は漁協ビルが建ち石垣は土台を強固にするためコンクリート打ちに変わっている。
 背後の鈴ケ峰、山肌が薄くなっているところは、西部埋め立てのために削り取られる部分で、後鈴が峰町が誕生する。中腹左右に白っぽい横筋が見えるところが西広島バイパスの位置にあたる。
 昭和46年 西広島バイパス開通。県が西部開発海面埋立の免許。12月井口跨線橋(鈴峯高架橋)開通。西部開発漁業補償まとまり起工式。と開発のピストルが鳴った。