行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

納骨

2019-11-29 16:32:34 | 日記
 
 11月25日(月)お墓の江坂さんへ納骨の相談、広島市保健所に連絡して書類申請するように教えてもらった。さっそく環境衛生管理係から届いた提出物を整えて、その日のうちに返送した。納骨日は11月29日(金)13:00予約、場所:東区馬木の天王墓園。
 足腰の鍛錬に公共交通機関を使用、JR新井口駅11:34で広島駅へ、12:11広島バス深川線に乗り換え惣の谷バス停で下車歩いて坂道をつめて墓地に向かった。
 箱に入った骨壺は、100%Polypropylene Bag 6GALLONCAPACTYの袋(1ガロン3.8リットルなので約20リットルの容積がある)を使用した。これはお隣の姉妹で、小さいころから競って回覧板を届けに来ていたが、ともに社会人に成長され「光陰矢の如しだ」。袋は姉が大学時代アメリカに留学されたお土産でいただいたもので、立体の荷物を運ぶのに重宝している。妹は高校時代ニュージーランドに語学研修に行かれた時、KIWIS NEXT 500KMと印字されたキーホルダーをいただきいつも持ち歩いており今回一人だったが、姉妹に付き添われている気持になった。
 2008年納骨した父の骨壺に並べて、母と11年ぶりやっと一緒に納まり一件落着した。

泣き笑い

2019-11-25 11:01:35 | 日記
 数少ない身内が集まって11月23日~24日に家族葬を行った。勤労感謝の日と日曜日、みんなが集まりやすいように亡き母が段取りをしてくれたように思えると長女が感心していた。お蔭で福岡県大野城市からもひ孫家族がはせ参じ「大きいばあちゃん」にマニアックな30枚以上の折り紙をはめ込んで球状にした、いわゆるミニお手玉2個を棺に入れてくれた。
 引揚げ後、内地で誕生した3女が段原再開発のため転居してから母と東雲を点・点「町・人・てん・てん」とし、亡き父が終の棲家で千の風になったのに比して、母はそれがかなわず最後は古川医院で看取っていただいた。
 葬式は、玉屋サンクスホール広島市南区霞1-5-8で行い、古川医院とサンクスホールは約900m、そのほぼ中間に実家が位置していたので淋しさが少しは安らいだなと勝手に思わざるを得ない。お通夜の夜は棺とともに一泊した。第1子として生んでもらったお返しは絶対に長男が引き受けなければならない。その後の納骨までとどこおりなく行いたい。
 めったに会うことがない身内で、本音をポロポロこぼし、たくさんの涙を流し、大笑いもした2日間であった。 感謝甚甚!! 合掌

母死亡

2019-11-23 10:10:53 | 日記
 深夜午前2時、妹から母危篤と連絡を受ける。22日午前中見舞いに行ったばかりだったので慌てた。急いで普段着に着替えてタクシーで駆け付け古川医院に入ったのは午前3時だった。写真は11/23 03:07当院の3階ナースステーションで静まり返っていた。病院で湯かんをしてもらって、葬儀社玉屋が3:30に到着、主治医・2人の看護師さんの丁重なお別れの言葉を頂き、寝台車で通夜・葬儀会場 広島市南区霞一丁目5-3玉屋サンクスホール(2年前にオープンとか)へ向かった。
 会場で日程等の打ち合わせを30分程度つめて、妹に残ってもらい当方はタクシーで2号線から西広島バイパスに乗り鈴が峰住宅を経由して、鈴が峰住宅西のバス停付近から井口の自宅に戻った。
 帰ってから着の身着のまま布団に潜り込み仮眠をとろうとしたが度々トイレに起きて寝れなかった。
 朝7時に起きて、土曜恒例の風呂洗いをして、洗濯機のスイッチを入れたが、間違って作動させ動揺のためルーティーン狂った。
 葬儀社が各種の手続き等助っ人いただくので本日の通夜18:00開始まで少し余裕があってブログをしたためることが出来た。母の死因は老衰でもう少しで101歳の誕生日を迎えるところだった。 合掌

追加見舞い

2019-11-22 14:58:35 | 日記
 どんな状態になっても当方の母には間違いない。今週は火・金と2回見舞いに出かけた。新井口駅9:16に乗車すると井口高校時代の落合先生に出会った、同じ数学だった金光先生と広陵高校に週3回勤務とか、今日は休暇を取って旅行へ出かけられるそうで広島駅で別れたが、奥様もご一緒だった。69歳になられるとかで、当方は幸運にも60歳で退職して年金生活に入った。
 先日火曜日には、無理して車椅子に座らせてみたが、座位がまっすぐにならず、やっとの思いで座らせたのにもかかわらず疲れるからベッドに戻してくれと徒労に終わった。体重は30数キロだが体幹がしっかりせず全体重をかけてくるので足腰がきしみ不安を感じた。
 本日は、もはや車椅子は片づけられ、酸素チューブなどの器具類で管理されていた。昼食も看護師さんにスプーンですべてジェル状になったものを食べさせてもらっていた。それぞれをスプーン一杯程度と食が細くなっていて、足元やおなか周りに湯たんぽを置いてもらっていた。当然のことながら意識ももうろうとしてきており、かろうじて拙者の名前を口に出してくれた。以前でも皆さんの前で弟だと息子と間違えて笑われたことがある。
写真は、広島駅前橋南東のセンチュリー21ホテルかどの歩道に新設されたマンホールの蓋。

母の容態

2019-11-19 15:27:14 | 日記
 これまで母の見舞いごと、ブログに写真をアップして入院生活の様子を記載してきた。母の姿をありのまま書き、老いを学ぶ一助になればと思ったからだ。先日妹の手紙で病院から看取る段階に入るからと知らされたらしい。2週間に1度の見舞いをあれ以来1週1度に変えた。
 11月12日の見舞いには孫やひ孫たちの手紙をアップして母の姿はかわいそうでアップをやめることにした。結果11月5日アップのブログ写真で打ち止めになります。
 今朝は9:24で見舞いに出かけた。新井口9:22下りホームで車椅子男子生徒が補助板を使用して最後に降車してエレベーターへと急いでいた。井口高校生徒推測した。思えば2001年定年退職時に車椅子生徒が卒業していった。入学以来エレベーター設置など教職員一同知恵を絞った。その当時はまだ新井口駅には設置してなかった。
 本日病院には昼過ぎまでお邪魔し、血圧82/56少し低め、昼食はほとんど口にせず、食べる量が劇的に落ちているらしい。ひいき目に見ても終焉が近づいてる予感だ。帰り八千草薫著「まあまあふうふう」主婦と生活社発行を購入した。母が若かったころ似ているとよく言われていたからだ。写真83歳
 蛇足 当方は若かりし頃王貞治似だと言われたことがある。