午前中アルパーク天満屋1階の喫茶店で11:00~12:00の約1時間義弟と会った。彼は埼玉県和光市在住で、昨日高校時代のクラス会と府中町のみどり園で生活する母親に会って一仕事を済ませ、本日16時に広島空港から帰途につく予定だった。
妻が2012年大病し退院したのち、2014/3/19日最初に会ったのも同店だった。翌2015/11/28日甥っ子の結婚式での集いが2回目、そして本日3年連続3回目となった。お互いの健康状態、身内の近況などを報告現実を理解し合いすっきりした気持ちで昼前見送った。
お土産とクラス会でもらったとか広島市立中央図書館の企画展-没後100年、生誕150年-漱石と広島のパンフレット(写真)貰った。
本日の朝日新聞、文化・文芸欄にも 100年前漱石が逝った日 と次のようにあった「ちょうど100年前の1916年12月9日、漱石は胃潰瘍で亡くなった。49歳という若さだった。その日の昼、自宅の病室に近親者や友人・門下生ら30人余りが集まった。わっと泣き出した小学生の4女愛子を妻鏡子がたしなめるも「泣いてもいいよ」と漱石。最後「顔が熱いから水をかけてくれ」と繰り返し、看護婦が水を吹きかけると「よし」と言って言葉が途絶えた。午後6時45分、主治医が頭を下げた。・・・」とある。
当方広島県生まれの夏目鏡子の-漱石の思い出-文春文庫を読んだことがある。
妻が2012年大病し退院したのち、2014/3/19日最初に会ったのも同店だった。翌2015/11/28日甥っ子の結婚式での集いが2回目、そして本日3年連続3回目となった。お互いの健康状態、身内の近況などを報告現実を理解し合いすっきりした気持ちで昼前見送った。
お土産とクラス会でもらったとか広島市立中央図書館の企画展-没後100年、生誕150年-漱石と広島のパンフレット(写真)貰った。
本日の朝日新聞、文化・文芸欄にも 100年前漱石が逝った日 と次のようにあった「ちょうど100年前の1916年12月9日、漱石は胃潰瘍で亡くなった。49歳という若さだった。その日の昼、自宅の病室に近親者や友人・門下生ら30人余りが集まった。わっと泣き出した小学生の4女愛子を妻鏡子がたしなめるも「泣いてもいいよ」と漱石。最後「顔が熱いから水をかけてくれ」と繰り返し、看護婦が水を吹きかけると「よし」と言って言葉が途絶えた。午後6時45分、主治医が頭を下げた。・・・」とある。
当方広島県生まれの夏目鏡子の-漱石の思い出-文春文庫を読んだことがある。