行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

霜月から師走へ

2016-11-30 11:39:28 | 日記
 11月最後の今朝、近くの農家さんから果樹・野菜を頂戴した(写真)。ベランダ越しに伺うと、肥料を購入されたり暑い日も・寒い日も手間をかけて作物を作っておられ、本当にありがたく恐縮している。
 当方が1987(昭和62)年井口へ転居したときは、農家さんの当主楠四方一(大正7)様は存命だった。この方が所蔵の賞状が井口村史(p406)に掲載 お父さんと思われる楠大槌の名前で、第2回農産物品評会 大根 4等賞 昭和3年12月23日 広島県佐伯郡井口村農会長 村上清太郎 とある。
 ふるさと井口の歴史には、井口村では戦後サツマイモ・麦・米・野菜の順に多く「井口のいも」は市場で人気を集めた。果樹では桃・みかん・ビワ・イチジクなどの出荷が多く、昭和24、5年頃は販路を県外にも求めていたとある。
 1987年農家さん宅を通して鈴ケ峰を撮影した写真を見ると、麓の山林が伐採され、井口台の開発が始まっていて、開発以前はみかんや桃の畑で花の咲くころは桃源郷だったと史料にあった。

祝ご結婚

2016-11-28 16:56:10 | 日記
 今秋に結婚されたOさん、廿日市市木材利用センターボランティアでお会いして10余年が過ぎる。今年34歳になられ、これまでハザイ教室や木工イベントなどで同席してきた。同センターが過去に夏休み出張ハザイ教室を実施したときは友和児童館などへ工具を運びこんでお手伝いしたこともある。
 近年はセンター内での木工体験が中心になり活動範囲は狭くなったが、月に1回程度は顔を合わせている。
 彼は旅行好きで、癒しを求めて毎年どこかに行かれている。そのたびにお土産を頂き、食べてしまったものを除くと、「けん玉人形」コマの形をした「けん玉サターン」クリスマス仕様の「スノーマンけん玉」ヨーロッパ発祥のけん玉「ピルボケ」「お手玉セット」サハリン土産のけん玉で現地語の「ポイマイミャチ」などが手元にある。
 今年2月28日井口公民館で弦楽四重奏コンサートがあった日に、女性を連れてこられたのを見かけ、結婚相手と推察していたが見事的中していた。新婚旅行は西方面へ出かけると聞いていた。そして2~3日前フェイスブックにチェコの写真をUPされており、本日午前中自転車で拙宅まで土産を届けて下さった(写真)。

市街探索

2016-11-25 14:58:06 | 日記
 午前中広島市街へ出かけた。原爆ドーム前電停で下車、旧市民球場跡地横電車道側にカープの森がある。今年のリーグ優勝の日付が刻まれたモニュメントを確認した。それには過去のリーグ優勝や日本一の記録も一緒に見ることができカープの聖地だ(写真)。
 優勝後11月2日朝日新聞に、広島カープと黒田博樹投手、新井貴浩選手に広島市民賞が授与されたこと、広島カープが広島市へ5億円の寄付をしたこと、それから来年のキャッチフレーズが「カ舞吼!」(かぶく)に決まったことなどが報道された。キャッチフレーズは、歌舞伎の語源となった「傾く」(かぶく)になぞらえ、他チームの目を気にすることなくカープらしく戦うという意味だそうだ。
 次に足を延ばしたのは、広島市立中央図書館で、11月末まで吉田初三郎氏の鳥瞰図が展示されていると聞いていたので覗いてみた。
 最後にそごう百貨店8階へ、東京メガネから葉書が来てそれを持参サービスでメンテナンスをしてもらった。来場記念にくじ引きがありB賞でハンディーなステンレスフードポットを頂き13:00前帰宅した。

佐方小けん玉クラブの思い出

2016-11-22 16:21:13 | 日記
 2008.6.25木材利用センターを通して、佐方小学校からけん玉の指導依頼を受け、前日になって担当の先生と連絡が取れ初めて当校を訪れた。けん玉クラブのゲストティチャーとして地元シニアの方お2人と一緒に4年~6年生10数名と触れあった。姉妹でクラブ員の児童もいた。当校は以前から地域のお年寄りと交流するクラブがあり、今年になって鈴木先生がこのクラブを立ち上げられたと聞いた。
 小学校は、JR廿日市駅裏手の山側にあり、表を迂回して西の踏切を渡り上りホーム沿いを途中から裏山を越えて徒歩で約15分を要した。写真は、当時の廿日市駅正面で、現在は2階造りの駅舎に改築され、木造張りに見違えり元の面影はない。
 2011年3月までの3年間お手伝いをして辞退した。この間当地では廿日市駅北口再開発に伴い、山が削られ新しく道路や宅地が整備される光景を見ていた。
 個人的には、2010年2月右膝を痛めて足をひきづりながら出かけていたこともよい思い出になっている。

「証言 江波に生きる」

2016-11-17 10:42:04 | 日記
「この世界の片隅に」の映画公開に合わせ、映画の舞台の1つ江波地区の当時の生活や戦争の記憶を伝える冊子「証言江波に生きる」が発刊されたと朝日新聞に掲載された。
 証言は94歳大岡喜美枝さんの半生をまとめたもの。市民団体「ヒロシマフィールドワーク実行委員会」代表中川幹朗さんが再構成した。映画にも登場するノリ作りやアサリ漁、サンマイと呼ばれる船などを紹介「捕まえておっぽを持ってぶら下げて帰ると、父親が調理して食べさせてくれたんです」というカブトガニの話も載っている。
 実際はお父さんに「もう捕らん方がええ」と、当人は珍しいから持って帰ったとか、その子(卵)がおいしかったのそれはもう忘れられません。天満川・本川にもいた。食べたのは私ぐらい、みんなが捕って食べているといったものじゃなかったと思いますと証言。
 冊子は税別800円、問い合わせは実行委員会(082.255.1923)
写真は、脱皮したカブトガニとA5の冊子で、前者は当方が大崎上島に昭和44年から49年まで在住してた時、大串海岸で見つけたと頂いたもの。