行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

井口小学校 1学年親子学習会

2011-11-30 15:32:12 | 日記
 井口小へけんだま名人が登場された。2006年3月小学校教諭を退職され、けん玉師へトラバーユされた砂原宏幸先生は、これまでモンゴル・フィリピン・ハワイなどへもけん玉伝道に出向かれ、県内外あちこちで活躍されている。初めてお会いしたのは、当方が定年退職して2年目、旧平良小学校体育館だった。第3回廿日市市けん玉大会へ子ども達と混ざって初級の部に出場した。
 本日の親子学習会(写真)、保護者の参加率がよく盛況だった。講師の息子さん(4段)と当方(初段と紹介を受けた)の2人でサポートした。児童館へ月1回出かけているので何人か顔見知りだった。
 彼らは、つい先日も昔遊び集会でけん玉体験したらしいが、親御さん達には新鮮だったかもしれない。

「赤とんぼ」

2011-11-29 16:39:50 | 日記
 「夕焼けこやけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か、山の畑の 桑の実を こかごに摘んだは まぼろしか、15で姉やは 嫁に行き お里の便りも 絶えはてた♪・・」でしたかね?
 先日、お誘いを受けたコンサートに行けなかったが、新聞に様子が出た(写真)。紙上によると、音楽指導者 中田幸子さん(85)が率いる女性合唱5グループと安田女子中合唱部が歌声を披露、前者5グループは「翼をください」などを、締めは観客約250人と出演者全員で「赤とんぼ」などを合唱したそうだ。
 翼をくださいの歌詞「・・悲しみのない自由な空へ 翼をはためかせ 行きたい」のところが良いですよね!
 歌で癒されたかったな!

外地で生まれたこと

2011-11-28 14:40:39 | 日記
私の母は、大正7年(1918)12月4日中国青島で生まれ、もうすぐ93歳になる。戦争中の混乱で、父と別れ別れになり疎開先の大連で終戦。私たち3児を連れて「昭和22年2月13日の引き揚げ船に乗れるという連絡をもらって必死になったことや、荷物はいらないと言っても、便器と子どもの下着だけは揃えて広場に集合した事など」大変な思いで引き揚げたらしい。大連といえば、富永孝子著「大連空白の六百日-戦後そこで何が起たか-」を読んだことがある。「女学生が髪を切り坊主頭で男装したり、家財道具を売っては、その日その日の耐乏生活。(日本人の子ども買います)の貼紙。引き揚げ順をめぐる日本人同士の争い。引き揚げ後も外地で暴行を受けた女性の堕胎手術など」そんな戦後の大混乱の中を、残留孤児にせず、必死で守ってくれた母に心から感謝している。こんな時代があったことを伝えておきたい。

親子ウォーキング

2011-11-26 16:13:12 | 日記
 昨日の夕方、お隣から大根と「ひびけ歌声コンサート」(県民文化センター)の入場整理券を頂戴した。合唱コンクールで娘さんの活躍は新聞で知っていたが、お母さんが出場されるとかでビックリした。都合が悪く失礼したが、美脚の大根はすりおろし朝食でいただき、茎・葉も塩もみするとみずみずしく美味だった。
 本日の木材利用センター、廿日市市健康推進課が主催の「親子ウォーキング」でけん玉製造見学&遊びと技に約20名が訪ねてきた(写真)。市役所スタート後、三共ディスプレー(株)を見学して、同センターに来られて約50分過された。はつらつ!はつかいちのゼッケンをつけ老若男女皆さんお元気だった。前の企業から届いた集合写真を見せてもらうと、背後に巨大な怪獣が写っていた。

頑張る児童

2011-11-24 16:11:17 | 日記
 朝から昨日の小雪に合わせるかのごとく、木枯らし1号か冷たい風が吹いた。足腰を伸ばそうと午前中外に出る。
 まず、井口公園で鉄棒(子ども用があった)にぶら下がろうと立ち寄ったが、何と撤去されていた。先日町内の清掃で公園に集まったのに気付かなかった。今春JA井口農協が新築されて、公園側の入り口(以前井口保育園があった名残の表札を見た事を思い出す)が塞がれ、新たに公園への進入路が新設されたために取り除かれた。
 商工センター内、井口明神の公園は広く整備されているが、古くからのこの公園は実に狭い。子ども達がキャッチボールをしては、旧船溜りにボールを落としている。
 井口明神小学校そばを通ると、寒い中でも児童が元気に体育をしていた。車いすの児童も支援員とだろうマンツーマンで体操をしていた(写真)。頑張っただけ自分が変わるからね!