行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

瑞穂町 子ども会

2017-07-28 17:26:48 | 日記
島根県邑南町(旧羽須美村、瑞穂町、石見町の三町村合併・・平成16年10月1日)のマイクロバス2台で瑞穂町の子ども会が引率者と合わせ45名が廿日市市木材利用センターへ社会学習に来られた。到着が予定より30分遅れ、11時前にバスが入った。到着後荷物・弁当は本館2階研修室(クーラー設備あり)へ持ち込み、午前中は蒸し風呂のような実習館でけん玉製造見学と組み立てを当館職人の西村さん、鍋谷さんが担当された。6班に分かれ剣の削りだしなどを見た後、けん玉の歴史を学び、各自がそれぞれ組み立てをして午前が終了。昼食休憩をはさんで、午後はけん玉遊びと技を担当のボランティア大段が指南した。13時から15時の2時間お付き合いをした。
 普通でないけん玉を披露したり、遊び方を紹介、モシカメの上手な男女にパフォーマンスしてもらいみんなでプリントを見ながら歌って調子を取った。カードに印刷した初級の技を班の先生に見てもらいチェックしてもらった。
 最後皆で輪になってろうそくグリップで赤い球(聖火)リレーをして、三三七拍子で手締めをして終了(写真)。帰りはほぼ定刻に出発、無事に帰られることを祈りバスを見送った。

けん玉ワールドカップ

2017-07-23 20:19:18 | 日記
 初日は、廿日市市木材利用センターでの子ども会木工教室のお手伝いで断念する。2日目最終日、午前中はフェイスブックでアップされていた記事を楽しんだ。新聞では2万5千人が出入りしたとあったらしい。記事には全国・世界から聖地廿日市へ参集した面々の写真がアップされていた。大会終了後に「とめけん」の技でギネスに挑戦するイベントが設定され、大会前に1,000人を集めたいと標榜したが、初日には100人程度しか申し込みがなかったと2日目少なくとも500人は集まってほしいと悲痛な呼びかけをしていた。
 早昼を食べて、様子を見に行こうとけん玉・並びに2014年第1回の時にお会いした外国の女性ブログ写真を持参、もし会えたら一声かけてブログ記事を渡したいと出かけた。年甲斐もなく刺激を求めてそわそわ、会場に入ってまずギネス挑戦に1,000円支払い手続き、幸運にも会場内で礼の女性に会え、再び写真をゲットした(写真)。
 さて、ギネスへの挑戦では会場移動、人数確認など思わぬ時間待たされ、都合2時間くらい缶詰め状態に置かれた。結局は1回目で559人、過去の記録568人を越えられず、2回目挑戦し結果を待たず会場を離れ、帰宅したら19:00を過ぎていた。

もみじ子ども会 木工教室

2017-07-22 16:04:53 | 日記
 廿日市市木材利用センター夏休み最初の行事になった「もみじ子ども会」のお手伝いに出かけた。20名余りの佐方小児童とその保護者が集われた。6年生まで含まれており、2年生の時に転校してきて6年まで活動してきたとか、多くの場合高学年になると止める者が増えると聞いていたが、よく頑張れたと感心する。また世話をされている保護者代表の横山俊子さんにも頭が下がる。
 実は、当方佐方小へは2008年から2011年の3月末まで3年間、けん玉クラブのゲストティーチャーとして月1回のペースで出かけていた。廿日市駅北口の再開発が始まった頃で、3年間で学校前の景観が著しく変貌していった頃に重なる。
 本日の木工教室、親子揃っての家族も多く、口出しをすることは控え、頼まれごとのみに終始したが、なかなか困難な作業もあった。薄いベニヤ板でお家を作る6年生の女子、板を鋸で切らないで、糸鋸でカットしているため微妙に波打ち、さらに釘を打って組み立てようと何度もいたが割れて往生しました。
 代表の横山さん全体を見渡してアシストしてほしいとよく気が付く方だった。最後の締めで、子ども達へ「ジュース」がありますからと挨拶後、ありませんとボケられ思わず笑っちゃいました!!。

虚無感にさいなまれ

2017-07-20 16:03:19 | 日記
 昨日梅雨明け宣言が出された。本日夏空の午前中、2つの会場に足を運んだ。1つは、原爆小頭症 生の証しと題した写真や絵を見てきた。これは母親の妊娠初期に胎内で被爆し、原爆小頭症となった被爆者たちの写真や彼らが制作した絵などの作品を並べた展示「きのこ雲の下に生まれて」が広島市中区袋町の合人社ウェンディひと・まちプラザで今日まで開かれていた。原爆小頭症被爆者家族らでつくる「きのこ会」の主催。会場で川下ヒロエさん(写真)にお話を伺えた。お母様は3年前93歳で死亡され、ご本人71歳は未婚だと言われた。日常絵や詩を書かれ本人の作品を指さされ説明下さった。また最近書かれた絵を別に持参されていて見せていただいた。
 その2は、広島市中央図書館に移動し、2階展示ホールで「橋と樹木のものがたり」企画展を見学した。被爆した木、橋が紹介されていた。広島の樹木の絵から「被爆の翌年の早春、がれきの下から緑が萌えているのを見た。熱いものがこみあげ涙があふれてきた」 鶴見橋のものがたり「お乳を飲ませていたのか胸をはだけたまま赤ちゃんをしっかり抱きかかえて死んでいた母親」 猿猴橋のものがたり「橋桁にはたくさんの死体がたまっていた。兵隊が舟に乗りとびくちを使って死体を引き上げていた」 平和大橋のものがたり「動員学徒の死体でいっぱいの土手や川、橋から我が子の名を呼ぶ母親」 これらは全て体験者が描いた絵のキャプションである。 原爆を知らない引揚者が虚無感にさいなまれ足が動いた。

山陽女子中等部2年 木工実技

2017-07-15 16:48:46 | 日記
 昨年7月13日のブログに、未明から激しい雷雨だったが、午後小雨に変わり出かけた。・・山陽女子大前駅近くの田んぼ稲が緑色を深め、早くもヘルメットをかぶったかかしが田んぼの中に立っていた。・・定刻の13:30に木材センターに到着したが、事務員から休校だと聞きすぐ帰途についた。朝当方のメールへ連絡が入っていたようだが見ていなかった。結果この日の表題を「空振りのボランティア」とした。
 さて、本日は蒸し暑い1日になり、13時10分前には講師からの説明があるからと聞いていて、時間通りに実習館に入ったが、すでに山陽女子中2年生は席について材料を前に開始を待っていた。
 何とボランティアが10名余り集合し、丁寧なお手伝いができた。生徒それぞれが設計図を描いてユニークな作品を仕上げていた。中等部2年は1クラスだそうで、出身小学校を2~3名聞いてみた。一番最初は古田台小(2回も同じことを聞いて失礼した)、八幡東小(自転車で通学)、大野東小(JRで通学廿日市駅から徒歩)、地元の佐方小(とにかく明るく笑い声が絶えず礼儀正しい)卒業生で広域から通学している様子だ。
 みんな違ってみんないい作品を作って満足そうだった。中でも当方が気に入ったのは「賽銭箱?」に見えるもので、小銭を出して投げ入れてみたが面白い逸品だった。作者は写真中央のキャップをかぶった小柄の生徒、講師の満足な作品ができた人?の問いかけにはみんな挙手をしていた。