行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

廿日市市木材利用センター けん玉教室

2017-02-25 14:32:38 | 日記
 今日は「早春賦」春は名のみの風の寒さや♪♪・・谷の鶯もさえずり唄おうと思っているけれど、時にあらずと声を立てずの通りで寒い一日だった。午前中砂原宏幸先生のけん玉教室のお手伝いに出かけた。
 広電廿日市駅で下車、そばの踏切から北側を望むと今まで立退きが送れていた民家が無くなり見通しが良くなっていた。JR廿日市駅北側の再開発が進み、マンション・ショッピングセンターなどや背後の佐方小学校まで視界に納まっていた。
 けん玉教室には、何度かお目にかかっているシニアの女性や、安芸区矢野から小2くらいの双子の男児とお父さん、安佐北区亀山から小1くらいの女児とお母さん・祖母の家族など約20名が集った(写真)。当方2時間のうち半分は座った状態で戦力にならなかった。なぜか右足の調子が良くなかった。
 帰り電車内で花粉の影響が出たか、目がしょぼしょぼしてきた。乗り降りする乗客の中にもマスクを着用する方を何人か見かけた。
 帰宅すると郵便受けに井口児童館3月の行事予定をプリントしたじどうかんだよりが投入されていて、3月6日(月)の昔あそびの依頼メモが添付されていた。その日が最後で、けん玉・お手玉・コマの総集編でローテーションで一緒に遊ぶ予定になっている。

廿日市市木材利用センター ハザイ教室

2017-02-19 15:00:36 | 日記
 本日のハザイ教室、参加者数よりボランティア数(7名)の方が多く、前半は、自分で作品作りを楽しんだ。1本約40cmの長い棒を9等分にしてパズル(写真)を作り、後で唯一お母さんと参加の女児にプレゼントしておいた。写真のように5を中心に置いて、たて・よこ・ななめどの方向に計算しても15になるように配置するもの。もう一つは1~9まで縦に積み木していくつまで成功するかの遊びも紹介しておいた。後半は、その女の子が書いたハートやクローバーなど沢山の形をお母さんが糸鋸でカットされるのをお手伝いした。
 参加者の様子を写真に収めて、フェイスブックに紹介したが、近年廿日市木材利用センターから何度もクレームが入り、断念せざるを得なくなった。写真は同センターのみしか扱えなくなった。
 当センターに来る途中の廿日市港、只今護岸工事が進行中で、漁港の浚渫に続いてずいぶん港がきれいになった。
 終了後、けん玉教室も並行して行われていたが、参加者を聞くと11名とのことだった。実は帰り際に廿日市駅前通り商店会 会長 島谷 剛さんとお会いし、シニア層を対象にけん玉クラブを作りたいからとお手伝いを打診された。月2回程度ならと返事しておいた。
 さしずめ「けん玉で 若さを保つ シニア層」ぐらいに自分勝手に考えている。

53年前の広島駅正面

2017-02-14 15:18:55 | 日記
 写真は、1964(昭和39)年1月広島駅南正面、原爆で残った鉄筋と原爆後に作られた木造駅舎である。右手木造部分に駅長室、パーキングマークの下には送迎用自家用車に限る、広島駅長とある。遠景左には駅前郵便局が写っている。
 当方この年の3月大学を卒業し、4月神奈川県川崎市に就職した。実は卒業直前パスポートを取得して沖縄旅行をしている。そのパスポートが今も残っていて、顔写真には邪魔くさいほど髪の毛があったが、いまバリカンを当てるとスプーン一杯程度の乏しさになってしまった。当時の外貨は、1$360円の固定相場制の時代で、52ドルの旅費を持たせてもらい鹿児島港から3月4日出国、3月13日同港へ入国している。若い方は信じられないと思いますが、沖縄が本土に復帰し沖縄県が発足したのが1972(昭和47)年5月15日だった。
 昭和39年4月川崎市立高津高校に勤務したが、初任給は21,400円だった。この年に東海道新幹線が開業、10月10日より24日まで94か国5,541人の選手が参加して東京オリンピックが開かれた。後に体育の日祭日の誕生につながった。
 私の亡き父は、郷土の移り変わりを写真に撮り後世に残そうと、広島市はもとより郊外まで自転車で出かけ40数年頑張ってきた。写真は市へ寄贈したが、フロッピーにいくらか取り込んだものの1枚である。

如月寒波

2017-02-11 15:41:12 | 日記
 建国記念日の朝、今冬最も冷え込んだようだった。当方毎朝リビングダイニングの大きな窓ガラスの結露を拭くのが習慣で、今朝は上側三分の一を残し、下側全部が凍り付き一番ひどかった。
 パソコンを開けるとフェイスブックでの過去の思い出として丁度1年前のテレビ新広島「ひろしま満点ママ」の取材の様子が再アップされ懐かしく思い出した。廿日市市の3箇所取材のうち、木材利用センターでハザイ教室・けん玉遊びなどお手伝いした写真が掲載されていた。
 さて、毎週土曜日の朝日新聞別刷り「be」のみちのものがたりを楽しみに読んでいて、プレゼントにもよくハガキで応募している。本日は、東京隅田川にかかる両国橋が取り上げられていた。武蔵、下総の2國をつなぐからとあった。明け方のスカイツリーと遠景の富士山がマッチングした写真も掲載されていた。
 10時半過ぎ、井口郵便局前のポストに葉書を投函し、その足で井口公園(写真)へ寄ってみたが、この寒さで誰もいなかった。公園の片隅に老人集会所(元井口保育園)は、防水工事が行われていた。
 寒い中を靴下も履かず、サンダル履きで指先を赤くして歩いている姿を、すれ違う方が珍しそうに見て通り過ぎていかれた。

井口児童館昔あそび コマ

2017-02-06 17:11:09 | 日記
 午後から井口児童館昔あそびに出かけた。3回目のコマ遊び前日夜に持参品を準備した。
左上のポーチにはホイッスルとストップウオッチが入っている。ブリキ製のコマと紐、木の菓子盆は廿日市ウォークラリーで1等賞の副賞でもらったもの、ピーターラビットのプレートは妻が銀行でもらったもの、スティックと皿回しは東急ハンズで購入したものを持参した。皿回しは以前一度持参し館長さんが上手に回された。実は3つのタイプの異なる円に、コマを投げ入れるパフォーマンスを試みるつもりだった。
 本日の教室、珍しくお客様が来られた。井口3丁目町内会長さんの則本さん(68歳)も児童たちと一緒にコマ回しを手伝ってくださった。当方の準備したパフォーマンスは全て失敗、皿回しも館長さんにお願いし、お見事で写真を撮ろうとして、デジカメを落としてしまい電源が入らず、別れ際児童のみなさんの前で残念なお知らせとしてデジカメが壊れたと伝え、へこんで帰宅した。一足早いお雛祭りのタペストリー土産を頂いた。
 帰宅後、デジカメのバッテリーを出し入れするとラッキーなことに復元して安堵した。75歳握力も集中力も低下し、よく物を落とすようになり、今後一層注意していかなければならなくなった。