行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

夏休み特別企画 親子でハザイ

2015-08-29 16:39:31 | 日記
 月1回の端材教室(10:00~12:00)は、いつも人気で参加費も300円とお手頃、勿論殆どが親子で参加でも中には子どもだけを預ける親もいてそれも受け入れている。
 今回の特別企画「親子で端材」(10:00~13:00)は、参加費1,500円と普段の端材より上等な板材を準備しておられた。当方、13時終了の時間は帰宅すると14時でそれから昼食はリズムが崩れるので、第1回8月8日(土)は遠慮した。今回は夏休み最後だし意を決してボランティアに出てみた。
 お母さんと参加が2家族、お父さんとが2家族、両親とが1家族の計5家族の参加だった。両親との家族は初めてだそうで、障害があり車椅子で登場の廿日市小学校4年生の兄と2歳くらいの弟も一緒で、兄用の座机(写真)を作っておられた。工作中お子様への愛情がそこここへ溢れていて表題にぴったりの光景だった。兄は、鉄道が大好きらしく、只今JR廿日市駅が改築中で10月にはこの駅にもエレベーターが設置されるとかで大変楽しみだと話していた。今は手動だが、いくいくは電動車いすの生活に変えなければいけない時が来るとお父さんも思案中の様子だった。心洗われる家族に会えて今日のボランティアは実にすっきりだった。

段原公民館「かっぱの学校」

2015-08-26 15:53:07 | 日記
 この学校に釣られた因縁について自問した。元井口公民館長藤井孝行さん(最後段原公民館長で退職)から比治山小学校1年生の昔あそびへ何個か剣玉を持参して地域のお年寄りと同行してほしいと昨年12月9日に出かけた。そのお年寄りが公民館の「かっぱの学校」けんだま大会を企画提案、おまけに9月6日の東雲レンコン祭りまで頼まれるはめになった。
 午前中JR新井口駅9:14-9:30広島駅、バスで段原南停留所、徒歩で5分会場入りの予定だった。実はギリギリで館長さんが心配され出迎えに出てこられた。
 10:00~11:00 あいさつ代わりにかっぱにふん装、けん玉の種類を紹介、あそび(写真)と中級の飛行機・とめけんまで一緒にトライした。
 11:00からおもしろけん玉で遊び、その間スイカ割りの行事が準備されていた。このお楽しみ会が目当ての幼児たちもいて、楽しそうだった。しかしすべての行事が終了するあいさつで双子の兄弟の一言で切れてシバキあげた。2人なら怖いものなし何でもできると思わせたくなく一括した。すいか割もそうだが好き勝手に動き秩序をわきまえない、公民館指導員から今どきの子はこうなんですからと言われたが、頑固な年寄りもおるからと兄弟に話して別れた。

実習館 解放日

2015-08-18 15:22:06 | 日記
 午前10~12、午後13~15の2時間 各6名限定で廿日市市木材利用センター初めての試みが開催され、午前の部を覗いてみた。結果は1家族のみだった。会費は200円と各種木工教室の中で最も安く魅力的なのだが、周知徹底がうまくいかず午後の部も参加者がゼロと聞いた。
 実習館にある工具が自由に使用でき、ただし電動のものは糸鋸のみが使用可、材料は各自が調達し思い思いの工作ができる。ボランティアとして何かお手伝いがあれば当方のスキル内で、なければ当方持ち込みのA4サイズの合成材(古いもの)をカンナ掛けを自習しようと出向いた。物づくりではなく材料をリペアするだけが目的で、最後にペーパーをかけて終了(写真)。
 暇に任せて、木工教室用の見本棚の整理と清掃をしておいた。当方の作品も何点かほこりをかぶっていた。
 明日は、パチンコを作ろう教室で、参加者は定員いっぱいのようで準備をしておられた。このキットはけん玉職人西村さんが作られたらしく、帰り広電廿日市駅まで送っていただいた。

「あの頃のひろしま」展

2015-08-15 15:21:08 | 日記
 午前中、被爆70周年記念展示を広島市中区袋町の旧日本銀行広島支店へ見に出かける。JR新井口駅10:05-広島駅10:19、駅前10:30発の被爆電車に乗車して紙屋町から会場に入る予定だった。この電車は、土・日・祝日 1日2便 10:30、14:00広島駅-原爆ドーム-西広島(己斐)-広島駅を8月30日(日)までの特別運転プロジェクト。ところがRCCへ予約を取らないといけないらしく残念ながらアウトだった。
 実は70周年記念展示は、広島市市民局文化スポーツ部文化振興課から通知を受けたもので、亡き父が撮った戦後復興の写真を寄贈しており、今回何点か展示されていた。会場地下1階では、広島平和記念資料館の収蔵資料展も合わせて見学できラッキーだった。
 そこから会場移動し、合人社ウェンディひと・まちプラザ(旧広島市まちづくり市民交流プラザ)で、原爆の絵画展 高校生が描いたヒロシマ(写真)を見る。12:00前で準備中だったが見せていただき、こちらは広島市立基町高校創造表現コースの生徒が、被爆体験証言者と共同で創作したもので平成19年度から今までの63作品が展示してあった。

宮川啓五さんの被爆体験

2015-08-09 16:48:39 | 日記
 本日は長崎原爆の日、午前11時2分井口町のサイレンでなく遠方からのサイレンに合わせて、拙宅の2階から西を向いて1分間黙とうをした。午後からは廿日市さくらぴあに被爆体験を聞きに出かけた。
 朝日新聞(2015/7/15)で、日本画家の宮川啓五さん(88)は、18歳の時爆心地から約3kmの広島市大芝町で被爆。3日後、行方が分からない叔父2人を捜すため、自宅近くを流れる太田川を船で下り爆心地に入る。川面を流れる遺体、橋のたもとで息絶えていた赤ん坊、炎上した船や壊れた牛車等「地獄の惨状」だった。1962年院展に入選、モチーフは地元の田園風景や仏像などが中心で被爆の情景は「生き残ってしまった恥ずかしさ」などから避けていたとか。だが被爆50年を迎えたころから「生き残った者の責任として記録しよう」と原爆に向き合い始められる。
 先生は、不動院が古里で川船で広島に入る。途中死体が船に当たり、雁木にも折り重なって使用不能、相生橋の欄干が壊れて垂れ下がっているのを利用して昇ると赤ん坊が死んでいた。満潮の時は死体が不動院あたりまで流れ着いたらしい。
 水の都広島の太田川にこんな惨事があったことを知る人が年々少なくなっている会場に小学校高学年くらいの女児がお母さんと来ていた。