行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

10月端材教室

2015-10-31 16:02:14 | 日記
 ハロウィーンの本日、仮装での参加者を期待したが無理だった。もちろんボランティア5名と講師も誰一人としてサービス精神は持っていなかった。月1回の端材教室15名定員で参加費300円とリーズナブルで大人気だが今月は8名と少なかった。
 出かける時お隣のドア飾りにハロウィーン仕様の飾りがかけてあった。大学4年の娘さんが2013年アメリカ留学中に現地で求め持ち帰られたものと推察した。大学寮の部屋ドアに掛けて現地の子どもたちをもてなしたものだろう。14:00前町内の子どもたち数名が保護者に付き添われてお隣を訪問お菓子をもらっていた(写真)。
 さて本日の端材教室、幼児から小学校低学年とその保護者が中心だった。ボランティアが揃いマンツーマン状態でお手伝い、当方は5歳の幼稚園児の車と迷路工作のアシストを、姉は井口小学校2年生でお母さんと人形のベッド、丸椅子を工作していた。
 振り返れば、2013/10/26午前中に「かぼちゃランプ」作り、午後からはハロウィーンパーティーを仮装して集い、射撃・けん玉・駄菓子屋など遊びが準備、さらに講師の知り合いによるマジックなどで盛り上がった。当方はカッパにふん装して一人だけすべったことを覚えている。

井口児童館お手玉教室

2015-10-19 17:42:06 | 日記
 第一月曜日の行事が本日に変更になった。前回に続き追加お手玉を25個と緑・ピンク色のはがきカードそれぞれにお手だまの技を印刷したもの約80枚も持参した。
 難しいのを承知で、初段の技・・両手2個で15秒続ける  2段の技・・片手2個で20秒続ける  3段の技・・両手3個で20秒続ける と印刷したカードを終わり間際に配布した。
 本日の遊び、各自2個のお手玉を受け取り二つとも頭にのせて自分の位置まで落とさないように歩いて帰る。指回しのあと、手拍子入れてお手玉を受け取る。結んで開いての歌に合わせて上に向けたり・下に向けたりお手玉を移動、最後に頭において前後に両手でお椀を作り落とし込む遊びをして、初段の技を館長さんと児童の代表3人に挑戦してもらった。ともに何とかクリアー出来ていた。
 最後にフラフープの輪の中に男女対抗で投げ入れるゲーム(写真)で男子7個、女子14個とダブルスコア―で女子が勝利万歳で終了した。
 帰り夕日に映える鈴ケ峰を眺めながら、「里の秋」の歌詞を口ずさみながら帰宅した。

大歳神社秋祭り

2015-10-18 11:26:48 | 日記
 秋祭りのフイルム写真1993.10.16~10.17(平成5年)がアルバムに残っている。16日は大歳神社で神楽衣装が出され、境内では櫓準備中の写真が、そして17日は町内の祭りスナップ①旧井口郵便局と旧JA井口農協間の道路上に奉納横断幕が、②井口公園では法被姿の老若男女が集まり、③町内旧西国街道を赤鬼が先導し子ども神輿が練り歩く様子が写っている。
 井口村史によると、神輿は三基あり昭和27、8年(1952、3)ごろまでは、青年団の若者たちが大歳神社でお祓いを受けた後、これを担いで浜・揚・阿瀬波を巡った。現在は各地区から出る子ども会の俵神輿に代わっている。各戸の前でワッショイワッショイと俵もみをして巡回している(写真)。
 鬼にお祓いをしてもらった後、お隣のお母さんと久しぶりに立ち話をした。大学生に成長された姉妹、姉は4年生で就職が内定、妹は東京の大学1年生で夏休み返上でクラブ活動で忙しかったとか、そんな中わずかな休みを利用して、これから独立していく二人が一緒に旅行を楽しんだと話しておられた。

続四國五郎追悼・回顧展

2015-10-14 15:06:06 | 日記
 「四國五郎のシベリア抑留記」2015年10月12日~18日 広島県民文化センター展示室③ 入場無料
4月旧日銀広島支店で行った「追悼回顧展」(4/11ブログ参照)は多くの人のご支援を受け大成功を収めることができました。この間、新たに67点のシベリア抑留に関するスケッチを発見、持ち帰ったリュック・軍靴・絵と文章で改めてシベリア抑留を考えますとのはがきを頂いた。
 本日の回顧展に寄せて、長男の四國光さんは「戦争を起こす人間だけは絶対に許してはいけない」生前の父が私に最も繰り返し言った言葉だ。昨年(2014年)の春、父は静かに逝った。89歳だった。20歳で戦争にとられ満州で旧・ソ連で生きるか死ぬかの激戦を戦い、なんとか生きのびたと思いきや今度はシベリアの収容所で3年間の抑留生活を送る。マイナス50度の極寒の中での強制労働により、栄養失調と凍傷にかかり生死の境をさ迷う。その後1948年、やっとの思いで故郷の広島に復員したが、その時すでに広島は原爆により消滅していた。その上「もし戦争から生きて帰ったなら、一緒に絵を描こう」と誓い合った3歳下の最愛の弟は原爆により無念の被爆死を遂げていた。
 大きな軍靴が展示してあったが、靴の中に豆日記を忍ばせて帰還したためとあった(写真の右)。

10月けん玉教室

2015-10-11 15:22:44 | 日記
 午前中廿日市市木材利用センター砂原宏幸先生の「けん玉教室」へボランティアに出かけた。行きは、広島電鉄で廿日市駅へ、一つ手前の山陽女子大前駅近くの田んぼでは稲刈りが済んで端さ掛けにしてあった。
 駅近くの天満宮には幡が上がり当地域はお祭りだと判った。帰り昼過ぎには神輿行列に鬼も面をつけて準備していた。2~3歳の鬼も立派な衣装を着けて、何せ面が大きすぎて3等身位の可愛い姿もあった。
 けん玉教室は、今回も小研修室で部屋が狭く10人の定員で2家族の両親とそれぞれ2人のお子さん、豊平の小4男子と祖母の3家族が集った。
 2階の大研修室には、児童生徒たちの木工作品がたくさん集まっていて、今年も5年生女子のF.Sさんの物が金賞に輝いていた。
 帰路は、JR廿日市駅12:40-新井口駅を利用した。実は以前この10月に駅舎が改築完成と聞いていたので様子を見てきた。木材の街廿日市らしく木をふんだんに利用した駅舎(写真)で、エレベーターもついていた。
北口側は、ロータリーの準備が進行中でバスが発着するようになると便利になること間違いない。2008年から佐方小学校のけんだまゲストティチャーで3年間お手伝いしたが、南口から随分遠回りして出かけていた。