行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

4月ハザイ教室

2014-04-26 15:18:10 | 日記
 廿日市市木材利用センター、月1回のハザイ教室は家族連れに大人気で、今月もキャンセル待ちの状況にあった。広島市中区幟町小学校2年の男児と母親は、お兄ちゃんと2年位前参加以来久しぶりとの事だった。糸のこを使用してカブトムシやキャラクターをカットしていた。五日市小学校3年の住田勇樹君は、海が好きな児童で1年前の4月ハザイ教室に初めて参加した時は、クラゲの泳ぐ海を板に描き、その上に船を工作「水をだいじに」とコメントしていた。今回は、沢山の海の生き物を糸のこでカットしていた。
 帰り、事務員から先日の桜まつりのお礼だとノコギリとカナヅチを形とった親指大のブローチを貰った。2ヵ月ぶりだったか、若手ボランティアtomoroさんが同センターで求められていたさくらBath200円、4袋入りだったか1袋(写真)をいただいて帰宅した。説明には、「けん玉制作の行程で出るさくらの木の屑を入浴剤としてリサイクルしました。パックを洗面器に入れて、熱いお湯を注いで成分を浸出させてからバスタブに戻して下さい。・・(さくらチップとして燻製にもご使用いただけます。)」とある

4月けん玉組立&けん玉教室

2014-04-13 15:31:49 | 日記
 二日続きで廿日市市木材利用センターへ出かけた。昨日と変わり朝から花散らしの雨が降る中、井口電停そばの龍神山からは鶯の声がしていた。さすがこの天候で出歩く人も、グリーンムーバーの電車内も20数名のお客とまばらだった。
 同センターのけん玉組立とけん玉教室は、本館1階の小研究室に2家族3人の子ども達が参加、組立と色塗りを楽しんでいた。こちらの手伝いを済ませ、後半は2階の大研修室で砂原宏幸先生のけん玉教室を覗くと、老若男女ベビーカーの赤ちゃんからずっとイスに座りっぱなしのシニアの男性まで20数名でにぎわっていた。組立に参加していた2家族も帰り際に教室に加わってきた。
 小さい子ども達の中には、けん玉に飽きて研修室の隅に置いてある積み木遊び用の木片を持ち出してドミノ倒しに興じていた(写真の右寄り)。
 当方、中年・シニアの2女性に技を聞かれ指南さしあげ、片や金魚すくいを成功されて喜んでいただいた。

二段ミニシェルフ

2014-04-12 15:54:44 | 日記
 花曇りで花冷えの午前中、廿日市市木材利用センターの木工教室へ出かけた。先日の日曜日もそうだったが、広電宮島線は観光客が多く、今朝はアメリカからと思われる子ども連れ家族が大きな声で楽しそうに会話していた。帰りの電車もシニアの外国人夫婦を見かけ、同世代の日本の男性が婦人と隣同士英語で会話しておられた。デンマークからのようで、日本の男性が英語が上手だと婦人を褒め、thank youと応じられたのが聞き取れた。
 木材センター本日の教室には、4家族5人の子ども達が参加していた。作品の棚板・背板は、準備されており側板を糸のこでカット、さらに各自が好きな飾り付けもカットし組立・貼り付けた。最後の部分で個性が表れ見ていて実に楽しい。
 昼すぎ自宅まで帰ると、お隣の桜(写真)午前中の寒さに耐えているように見えた。今年も、外に出るたびに花見をさせてもらい心が和んだ。

廿日市さくらまつり

2014-04-06 20:48:50 | 日記
 3月30日広島市縮景園にある標本木の桜が満開になったと報じ、4月を迎えた。ところが24節気清明(4/5)の昨日、真冬並みの寒波に見舞われ朝ストーブをつけた。清明(せいめい)は、春先の万物が清らかで生き生きしていること。この時季は花々が開き、清明節は行楽にふさわしい。本日の廿日市さくらまつり、実は昨年も寒い日に巡り合った。
 今朝9時過ぎは晴れていたが、10時半過ぎから急な風雨に見舞われテント内でも足元がびしょびしょになった(写真)。午後からは晴れ間ものぞき、近くの中国醸造酒まつりからのほろ酔いお客も加わりにぎわった。
 ハザイ教室には、終了までに約50組の親子連れが参加、中にはこれまで廿日市市木材利用センターの木工教室を訪れた児童も挨拶に顔を出してくれて感激した。
 寒い一日だったが、心は温かくなった。

年度が改まったが

2014-04-03 11:16:20 | 日記
 4月1日が誕生日で、先日73歳を迎えた。この日に辞令を受け社会人として一歩を踏み出した人、もうすぐ入学式を迎える学生・児童の皆さんは夢を追って跳躍する文字通りspringまっただ中で羨ましい限りだ。
 当方、ここまで年齢を重ね体力と相談すると、なかなか先の目標を定めにくくなった。最近は、パソコンに向かい過去の思いにふけることが多くなった。
 還暦から古希までの10年を振り返ると、前半はオーストラリア・ニュージーランド・カナダと毎年海外旅行へ、広島国際平和マラソン(10km)も63歳までエントリー、国内は読売旅行のバスパックツアーで66歳までは度々出かける元気があった。
 後半、67歳の時父が他界し、段原再開発立退きのため実家のせいり・引っ越し準備を徐々に進める手伝いなど生活圏がすっかり狭まった。
 69歳右足膝じん帯を痛めてからは一層お宅度が進んできている。