行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

広島市植物公園

2021-02-23 15:34:22 | 日記
 天皇誕生日の本日、妻に誘われ「春の特別ラン展」へ出かけた。(写真)
事前にバスの時刻表をネットで調べるも、平日の時刻で祭日用でなく鈴が峰西バス停でしばしルートの変更をして波出石交差点で下車約2km程度歩いたが、田んぼの畔の水仙や土筆など春が見つかったので、これはこれでよかった。
 当園入口は、当方と同じシニアの夫婦連れが目立っていた。シニア特別料金170円、しかも朝自宅で簡単な昼食を準備して同園のベンチで食べ、ケチケチ見学をしてきた。
 展示は、大温室を使用して密にならないように工夫されていた。室内には疫病退散の「あまびえ」の制作展示もあった。沢山のランが個人・企業そして広島県花卉園芸農業協同組合などが出展「広島・山口の愛好家・生産者による珍しいラン展示や西日本最大級の装飾は必見で!」とPRしていた。2/20~2/28の9日間になっています。
 帰りも植物公園バス停から13:03発バスセンター行きで鈴が峰西バス停に戻り、13時過ぎに帰宅、花好きの妻は鉢植えルピナスを一つ購入していた。

2月ハザイ教室(2)

2021-02-21 17:08:13 | 日記
 12月12日ハザイ教室1回目を最後にボランティアの休業要請が入り、令和3年の1月2回と2月の1回も断念し、2回目の本日のこの教室に顔出しをしてきた。本日をもって広島県は緊急事態宣言を解除した。2か月ぶりの木材利用センターになった。
 本日のボランティアは、当方を含め3人だった。松井さん、黒田さんには肩をたたかれ元気でしたかと親しく声掛けをしていただいた。5組の参加者で初めての参加者のお手伝いをした。2歳の男児はまだおぼつかなく手がかかった。
 女児3人を連れて参加のお父さん、特に一番下の女児のドールハウスには丁寧にアシスト(写真)されていた。女児もお雛様の歌を口ずさみながら楽しそうに 工作していた。「おはなをあげましょもものはな ごにんばやしのふえたいこ きょうはたのしいひなまつり」

雨水

2021-02-18 16:18:37 | 日記
 春の節気は、立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨の6つがある。
本日は立春から数えて15日目の雨水にあたる。順調に春に向かっていると思ったが急ブレーキがかかり積雪した。
 
 それでも午後3時過ぎには日差しが戻り、椿の花も開花準備を始めたようだ。
 

瀬戸内から山県郡加計町へ

2021-02-16 16:06:20 | 日記
 1974(昭和49)33歳から加計町に住み、家庭訪問では筒賀や澄合へも自転車で回ったことがある。1981(昭和56)40歳で安西へ転勤になるまで7年間加計町上調子の職員住宅で生活。その間
 1974(昭和49)8月7日~8月16日 沖縄旅行へ(39年にパスポート取得し1度旅行済み)沖縄は1972年5月日本に復帰し、5月15日沖縄県が発足した。
 1975(昭和50)7月29日~8月2日 飛騨路・御嶽山・木曽路旅行 御嶽山は2014/9/27噴火した
 1976(昭和51)8月7日 金沢・能登半島輪島へ
 1977(昭和52)8月22日 青海島・仙崎・黄波戸へ
 1978(昭和53)7月25日 松江から隠岐の島へ
 1979(昭和54)8月16日~8月21日 富士登山9合目でリタイヤ、鎌倉・城ケ島へ
 1980(昭和55)12月4日 小豆島ハーフマラソン出場、21.08kmタイム1時間51分27秒 禁酒・禁煙でランニングに目覚めた
 1981(昭和56)3月28日 戸河内町上殿駅へ折り返し約13km、70分 写真が上殿駅付近。
可部線は2003年(平成15)12月1日に廃線となる。

千両

2021-02-12 16:55:16 | 日記
 拙宅の狭い裏庭に千両の木があり2月上旬まで赤い実をたくさんつけていたが、ヒヨドリがついばみ丸裸にしてしまった。正月の花として、南天・千両を他の菊などと一緒に花瓶で玄関に飾っていた。その千両を梅の木に結んでやると(写真)1時間もしないうちに食べつくしたので、2~3回時間をおいて同じように提供した。
 言葉の知識大辞典によると、日本では留鳥として全国で繁殖し、昭和35年ころから都会周辺を中心にめっきり増え始めた。北方のものは冬に南に移る。全長28cmくらい、体は灰褐色で尾は長く嘴は細くて鋭い。冬は低地や低山帯の林に住むが、秋・冬には市街地の林のある公園などに多い。鋭い声で「ピィーヨ、ピィーヨ」と賑やかに鳴き、木の実、花の蜜、昆虫などを餌にする。
 留鳥(りゅうちょう)とは、季節的移動を行わず、1年中ほぼ一定の地域にすむ鳥。わが国ではスズメ・カラス・カワセミ・キジなど。→渡り鳥の対語