行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

人の褌(ふんどし)で相撲

2014-10-29 09:37:03 | 日記
 辞書に褌は、男子の陰部をおおう布とある。当方、生まれて一度も付けた経験無し。亡き父が、中国の青島から引き揚げる時、引き揚げ船に持ち込める荷物制限があって、荷物を減らす工夫として靴下6枚、6重の褌、襦袢3枚、ワイシャツ・洋服2枚重ねと無理して丸くなるほど着て乗船したと自分史に書いている。
 この度「あっぱれ!熟年ファイターズ」スペシャルブック ひろしま老舗物語が、ザメディアジョンと広島ホームテレビより発刊された。その書物の中に、2008年市役所に寄贈した父が撮った町の写真が何枚か使用され、編集にあたりどんな父だったかザメディアジョンのスタッフから取材を受け顔をさらす結果になった。
 早速、廿日市市木材利用センター木工ボランティア仲間の森隆さんの目に触れ、写真とコメントをいただいた。
 このように、自分の力でない事で目につくことを「他人の褌で相撲を取る」と聞いたことがある。
 思い出すのは、小学生の頃えんこう川できんつり(三角形の黒い布で陰部をおおうオールド水着)をして泳いだ経験があるので、褌に似ているといえばそうかもしれない。

ハロウィンオーナメント

2014-10-25 15:41:26 | 日記
 ハロウィンについてネットでみると、「もともとはケルト人の行事で、現在は色々な国でお祝いされています。ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていました。そのため身を守るために仮面を被ったり逆に子ども達がその精霊やお化けに変装してお菓子をおねだりするイベントへ変わっていったようです」とある。
 昨年10月26日廿日市市木材利用センターでハロウィンパーティーが開かれ、その後10月31日がハロウィンだと初めて知った。午前中の木工教室でカボチャのランプ作りをし、午後からのパーティーは変装してきてねとの呼びかけで、カッパに扮装した。後から考えるに場違いだったかなと赤面した。
 辞書によると、11月1日は諸聖徒祭(All Saints Day)キリスト教でこの世を去った諸聖人を記念するための祝祭、諸聖人の祝日、万世節とある。
 本日のハロウィンオーナメントの教室には、3人の男子児童が参加糸のこでオーナメント作りを楽しんでいた。

中広2西町内会「町民ふれあい広場」

2014-10-19 16:43:03 | 日記
 昔、当方が己斐公民館でけん玉遊びをお手伝いした時の職員が、三篠公民館へ異動され、その方が地元の町内会へ紹介されたらしい。けん玉は、廿日市市木材利用センターで借用されるように進言しておいた。
 1週間前、町内会長さんからファックスが届いた。会場は、西区中広第2公園から西へ30m、広島高速4号線東詰近くだとあった。当日の行事は10時~13時で、前半は産直野菜、事業所「ふたば」やお母さん手作り品バザー、そして健康相談コーナー、中半に「けん玉で遊ぼう」、後半にビンゴゲームが企画されていた。
 本日は、広電寺町電停から約20分で会場に入った。最初に持参した面白けんだまを紹介、続いてけん玉遊び(写真)ホタル・カブトムシ、けん玉積み木など、車いすのお年寄りも参加下さって老若男女世代を越えて笑いが起こっていた。最後に技のカードを配布して、皆様には初級の技に挑戦して貰い、中級の技はこちらのパフォーマンスで終了した。帰りは、中広通りを南に歩き日差しがあって汗ばみ観音町電停から乗車した。
 4時半過ぎ、担当の女性から皆さんが喜んでおられたとお礼の電話がご丁寧に入った。そして機会があったら広瀬小学校でもいつかと振ってくださった。

ハロウィンの小物入れ

2014-10-11 15:22:12 | 日記
 9時過ぎお隣高校の娘さんが弾くピアノに送られ廿日市市木材利用センターへ出かけた。広電車内では、他県からだろう中年2人の男性が楽々園を失楽園とボケていた。山陽女子大近くの田んぼでは稲刈りの真っ最中だった。町中は、しめ縄と御幣が飾られ祭りの前日の様子だった。
 本日の教室は、講師三上敬子さん「ハロウィンの小物入れ」(写真)で、7人の子ども達が参加していた。昨年は、10月26日ハロウィンパーティーを開かれ、初めてだったので印象深く心に残っている。お隣のお母さんも日本でもハロウィンが定着してきているようで、お店のディスプレイも凄いですとコメント下さった。
 そして丁度、アメリカの大学留学中の娘さんからもタイミング良く当地の様子をブログから学ぶことが出来た。アメリカでは最も人気の高いイベントのようで、Halloween当日大学の寮にも仮装した子ども達がお菓子をおねだりに来るそうだ。寮に住む学生が来客一人ひとりにお菓子を渡しておもてなすし、子ども達の笑顔を見たいからと廊下やドア入り口を飾り付けするらしい。
 町の商店は、ハロウィンが済むとすぐクリスマスの飾りに一変とか!!

新幹線&オリンピックから50年

2014-10-10 10:56:09 | 日記
 新幹線は、着工から5年半3,800億円の工費と最新の技術が結集され1964年(昭和39)10月1日東京ー新大阪間が開業。直後の10月10日より24日まで94か国5,541人の選手が参加して史上最大の東京オリンピックが開かれた。歌手三波春夫の歌「東京音頭」が華やかにうたわれた。実は、当方この年の4月神奈川県川崎市の高津高校へ赴任、初任給21,400円だった。就職直前の3月には、パスポートを取得して沖縄を初めて訪れた。日本の首相は広島県出身の池田勇人氏、1ドル360円の固定相場制だった。その池田首相は、9月9日国立がんセンターに入院、11月9日池田内閣総辞職、佐藤新内閣が発足。
 写真は、昭和40年クラスの生徒が作った新聞で、オリンピックマラソン選手エチオピアのアベベに似ているとA.B.B新聞と名付けたらしい。当時の印刷は、鉄筆を使いガリ版の上でロウ原紙に書いて謄写版で手を黒くしながら1枚1枚刷っていた。それから輪転機、コピー機、ファックス、パソコン、プリンターと技術革新が進み便利になった。