行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

ハザイ教室

2014-08-30 15:26:42 | 日記
 廿日市市木材利用センター夏休み最後の木工教室になった。とは言ってもすでに学校が始まったところもあるようだ。今年の夏8月は、広島弁で言うとさっぱりわやだった。雨続きの不安定な天気に農家は野菜の生育にダメージが出て、海水浴場やかき氷屋さんはかきいれどきを失い、悲鳴を上げておられるに違いない。宮島花火大会も日程を変更したり、当地井口は盆踊りを体育館でやるなど各種行事にも影響が出た。
 本日のハザイ教室、何人かキャンセルがあり、宿題が忙しいのかもしれない。初めて参加が1家族おられ、当方マンツーマンでお手伝いした。大野東小学校3年の潮田侑璃さんで、本立てと鉛筆立てを作った。お母さんと弟は1時間位外出され、帰って来て残り30分未満で弟の町づくりを手伝った(写真)。急いで車もつくったが、タイヤが1つうまく接地しないと不満顔だった。
 なにはともあれ、ボランティアの忙しい夏休みも無事千秋楽になった。

パチンコを作ろう

2014-08-29 16:04:55 | 日記
 廿日市市木材利用センター午前中は、パチンコを作ろうで12名の子ども達が集まった。キットはメーカーが作ったものではなく、当センターのけん玉職人西村さんが準備されたもので、玉受けが三日月型の木片になっていて趣がある。
 参加者は70本余りの釘をひたすら板に打ち付ける作業に専念していた(写真)。2人は平良小学校1年生のちなちゃんとゆうとくんの双子さんだそうで同じクラスだと話してくれた。揃ったところで、その後枠組みの指示と講師がその都度集めては作業を進めていた。勝手知ったる小生がフライングをして先の作業を手伝い子ども達が叱られていた。つまり余計な事をしたボランティアの当方への注意と受け止め反省、へこんで帰途に就いた。
 昼すぎ井口農協に立ち寄り、井口産の"朝採りイチジク"1パック6ケ入り300円を購入した。1個口にしたが、いつ食べたって?そりゃー1時ですよ!だって「1時食う」て言うじゃない・・・こんな口調の芸人がいましたね・・知らないですよね、失礼しました!

緑井と八木地区

2014-08-24 15:07:30 | 日記
 当方73歳、比治山小学校時代(昭和28年卒)に八木の梅林へ遠足に出かけているかもしれない。地図は2万5千分の1地形図で、祇園昭和23年印刷で、大正14年測図なので地名が右読みになっている。
 昭和30年の人口を100として、緑井、八木を含む佐東町は昭和55年353と3.5倍に急増している。
 昭和42年祇園国道もラッシュ時は飽和状態、八木踏切でもマヒ状態、緑井の狭い道路もネックでバイパス工事に着工し緑井、八木峠に至るバイパスが建設中。
 昭和43年八木バイパスの緑井、八木峠付近の工事が進み、太田川橋西詰の陸橋工事中、また八木峠付近の跨線橋も工事中。国道54号線の混雑ひどく、祇園大橋南詰の右折、左折で大混乱を起こしている。
 昭和44年道路八木バイパス緑井3月開通、8月8日2車線(片側)開通。
 昭和45年12月より祇園の国道54号線を朝ラッシュ時一方通行にする(古市以南)。
 八木は、地形図を見ると阿武山586mが南東裾野海抜100付近に扇状地をつくっていたところに宅地開発がされたようだ。

ドミノを作ろう

2014-08-23 15:24:58 | 日記
 曇天続きの8月、くわえて広島市での土石流災害、楽しいはずの夏休みが台無しになった。小さいお子さんを助けようとして殉職された消防士さん2人とも命を落とされ涙を誘われた。同所に出ておられた方は首まで埋まって助け出されたと聞き、まさに紙一重の運命としか思えない。
 今日になって、やっと夏らしい青空が出て思わず空に向ってデジカメシャッターを押したくなる気分だった。広電廿日市駅から住吉公園のそばでは、セミの大合唱が響いていた。
 本日の面白ドミノ作り教室は、木工ボランティア堀江さんの発案で、今までにない初めての教室だったかもしれない。参加者は、お父さん、お母さんと一緒の6家族の子ども達で1家族のみ姉妹の女児、以外は男児達だった。
 9cm×約100cmの板を、9cm平方にノコギリで10枚カット、それぞれに各自で絵を描き糸のこでくり抜く作業をした。男児達は、複雑なポケモンを沢山描きカットに苦戦していたが、女児の方は比較的カットしやすい絵を描きいくらか手伝ったが、お母さんと一緒に挑戦して貰った。

ミニチュアハウス

2014-08-22 15:35:52 | 日記
 昨年は幼児~小学生対象で8月21日に開催されている。今回は小学生のみで10家族13名の男女が集まっており、初めて参加の児童が多かった(写真)。2階建のハウスの外観は、廿日市市木材利用センターの三上敬子さんが各パーツを準備され、それを組立全員同形の物が出来上がった。
 そこから先は、それぞれが自分の世界を創造、保護者のアドバイスを得ながら端材を利用して室内を飾る調度品を作っていた。ベッド、テレビ、システムキッチンや中にはトイレを設置した男児もいた。また中に入りきらないほど沢山作り、友だちにおすそ分けする女児もいた。
 発想は奇抜で、中にブランコを取り付けたり、はしごをかけたり、屋根に煙突をつけたりさまざまだった。
 昨年と違って、裏板が無かったので、板をつぎはぎに張って戦後のバラックのようなハウスになった男児もいた。思えば、小生が子どもの頃はテレビやシステムキッチンなどなかった。