行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

母の見舞い

2017-03-28 21:20:05 | 日記
 母が3月22日(水)県病院から古川医院へ転院して、初めて見舞いに出向いた。広島駅から仁保車庫行に乗車、比治山小学校裏で下車し、正門側に周り徒歩で約10分病院へ着いた。
 事務所に声をかけ、エレベーターで3階に上がると車椅子でラウンジのテーブルに向かって座っていた。対面にやはり車椅子の入居者様がおられ、少しして別の方が歩いて出てこられ3人の巨頭会談が始まった。もう一方の車椅子の方は、82歳になられると看護師さんに教えていただいた。歩いて出てこられた方には、当方から母が98歳と紹介し、年を伺うと88歳米寿とのことだった。何せ皆さん耳が遠くて会話が成立しにくく、88歳が82歳に何を言っているかわからんから紙に書いてみんさい!と、当方がシャープペンシルとメモ用紙差し出したがミミズがはったような線が書かれていて、筆談も無駄だった。
 見舞いは午前中で切り上げ、13:00前には帰宅し、昼食は自宅で済ませた。午後病院の様子をスナップ写真入りで妹に郵送しておいた。ポストから帰りツバメが巣作りをしている様子を見つけた。ゴミネットが破れていたので、妻と一緒に新しいネットと取り換えた。夕方近くの農家さんから差し入れがあり、生まれて初めての土筆の甘辛煮(写真)をあてに晩酌を楽しんだ。

廿日市市木材利用センター ハザイ教室

2017-03-25 15:46:55 | 日記
 2月19日以来の木材センターハザイ教室へ出かけた。出かける9時過ぎ風が冷たく晩冬の感じ、でも井口電停近くの龍神山まで近づくとウグイスの鳴き声が聞こえ、春の忍び音はそこまで来ている。
 広電廿日市駅からセンターに向かっていると、市議会議員選挙候補者の車が連呼しながら通りすぎていった。廿日市港の近く住吉堤防グランドでは、4月2日(日)桜まつりが開催される。堤防沿いの桜はボンボリがすでにスタンバイしていた。港湾の胸壁工事は、1か月ちょっとの間に見事に完成歩道も整備されていた。
 本日のハザイ教室初参加10人弱の低学年児童たちで、ボランティアは初参加も含め8人が揃いマンツーマンだった。当方は安芸区矢野東から両親とこの春1年生になる双子の男児とその弟のお手伝いをした。3兄弟共に車づくりで、弟はお父さんがアシスト、双子の兄たちは当方とお母さんで頑張った。それぞれ個性的な車になり「みんなちがってみんないい」作品だった。
 帰り廿日市電停南のYumeに寄って、当店の細井雅子さんとそこで写真展をしている金本君に初めて会ってツーショット写真をゲット、さらに彼女がイラストしたKururin(写真)を購入して帰宅した。

クイーンエリザベス号

2017-03-18 15:53:07 | 日記
 午前中、妻を誘って五日市港のクイーンエリザベス号を見学に出かけた。9時半過ぎ自宅を出て、井口電停から2駅の広電五日市駅で下車、南口から無料のシャトルバスにすぐ乗れ埠頭まで10数分だった。歩くと30分以上かかるだろう。船は韓国のプサンから午前7時ごろ入港し、夕方には高知へ出港するらしい。岸壁からの船は想像以上に巨大でどんな方向からも1枚の写真に収めるのはかなわなかった。船首部分や船体部分を背景にお互いのスナップを2、3枚程度撮影した。当方2回目なので、妻が満足した時点で約20分程度の見学で終了した。
 帰りは、アルパークへのシャトルバスを利用し、天満屋で買い物をして昼前に帰宅できた。
 前回1人で出かけた時は、ミニ自転車で自宅から商工センターを通り、八幡川橋を渡りはつかいち大橋のたもとから普段利用されてない側道を自転車を押して、橋の下をくぐり五日市港側へ出た。その時は巨大な船体を背景にミニ自転車を記念に撮影したが、ゴミのようなちっぽけな存在だった事を思い出す。
 帰りのバスで八幡川橋-はつかいち大橋間の新道が開通していることに気付いた。
 午後、近くの井口台住宅に上がり、宮島を背景に遠くから見納めをした(写真)。

朝日新聞からプレゼント

2017-03-09 14:44:41 | 日記
 前略 いつも朝日新聞をご愛読いただき、ありがとうございます。
この度は、2月26日付紙面「まち歩き部 遺構めぐり編 宇品線(広島市南区)」の読者プレゼント[「宇品天然温泉ほの湯」で販売する温泉水を配合した「酒粕Q10洗顔石鹸」]にご応募いただき誠にありがとうございました。
 厳正なる抽選の結果、貴方様が当選されましたので、商品をお送りいたします。今後ともよろしくお願いいたします。 草々 2017年3月8日
 手紙と商品が同封されて届き、切り抜き記事と合わせて写真をアップした。
記事には、通勤通学の足としてにぎわった宇品線だったが、バス路線の整備などに伴い客が減り、72年には旅客営業が86年には貨物列車も廃止されて歴史に幕を閉じた。
 当方の実家は段原山崎町にあったが、段原再開発で立退きになったのは2008年末だった。亡き父は同年2月解体前に「千の風」になった。当方学生時代南段原駅を何度か利用しているので、懐かしい記事だった。
 亡き父が生前撮影した宇品線の写真をフェイスブック大段徳行の写真欄に数点掲載していますのでご覧ください。

WBC2017 キューバ戦

2017-03-08 10:09:29 | 日記
 昨晩テレビで侍ジャパンとキューバ戦テレビで放映され、11-6で勝利した。夕方18時過ぎお隣のお母さんが、24分ころ娘さんがオープニングセレモニーで青のコスチュームを着てダンス出演するからと連絡に来られた。
 東京の大学に進学されて、2年が過ぎようとしている。高校時代からダンスに取り組み、大学でも継続したいと上京された。昨年の夏には、韓国に遠征されお土産を届けて下さった。
 数十人の集団かと思いきや、4色(赤・緑・黄・青)それぞれの衣装で総勢約400人位のマスゲームだった(写真)。東京ドームの広さからすればこれくらいの人数でなければ釣り合わないことが分かった。勿論各個人の顔は判るはずもなかったが、同じ学生仲間と集団で練習した経験は貴重だと思う。多くの学生が春休みを楽しんでいる中、練習に明け暮れしたものと推察する。親御さんはむしろ安堵されていたに違いない。
 実は、当方テレビの「さんま御殿」を見ていて、野球は時々結果だけを追っていた。風呂から上がった23時にまだ試合が続いていて、最後牧田投手が三振を取っての勝利を見届けて就寝した。