母が3月22日(水)県病院から古川医院へ転院して、初めて見舞いに出向いた。広島駅から仁保車庫行に乗車、比治山小学校裏で下車し、正門側に周り徒歩で約10分病院へ着いた。
事務所に声をかけ、エレベーターで3階に上がると車椅子でラウンジのテーブルに向かって座っていた。対面にやはり車椅子の入居者様がおられ、少しして別の方が歩いて出てこられ3人の巨頭会談が始まった。もう一方の車椅子の方は、82歳になられると看護師さんに教えていただいた。歩いて出てこられた方には、当方から母が98歳と紹介し、年を伺うと88歳米寿とのことだった。何せ皆さん耳が遠くて会話が成立しにくく、88歳が82歳に何を言っているかわからんから紙に書いてみんさい!と、当方がシャープペンシルとメモ用紙差し出したがミミズがはったような線が書かれていて、筆談も無駄だった。
見舞いは午前中で切り上げ、13:00前には帰宅し、昼食は自宅で済ませた。午後病院の様子をスナップ写真入りで妹に郵送しておいた。ポストから帰りツバメが巣作りをしている様子を見つけた。ゴミネットが破れていたので、妻と一緒に新しいネットと取り換えた。夕方近くの農家さんから差し入れがあり、生まれて初めての土筆の甘辛煮(写真)をあてに晩酌を楽しんだ。
事務所に声をかけ、エレベーターで3階に上がると車椅子でラウンジのテーブルに向かって座っていた。対面にやはり車椅子の入居者様がおられ、少しして別の方が歩いて出てこられ3人の巨頭会談が始まった。もう一方の車椅子の方は、82歳になられると看護師さんに教えていただいた。歩いて出てこられた方には、当方から母が98歳と紹介し、年を伺うと88歳米寿とのことだった。何せ皆さん耳が遠くて会話が成立しにくく、88歳が82歳に何を言っているかわからんから紙に書いてみんさい!と、当方がシャープペンシルとメモ用紙差し出したがミミズがはったような線が書かれていて、筆談も無駄だった。
見舞いは午前中で切り上げ、13:00前には帰宅し、昼食は自宅で済ませた。午後病院の様子をスナップ写真入りで妹に郵送しておいた。ポストから帰りツバメが巣作りをしている様子を見つけた。ゴミネットが破れていたので、妻と一緒に新しいネットと取り換えた。夕方近くの農家さんから差し入れがあり、生まれて初めての土筆の甘辛煮(写真)をあてに晩酌を楽しんだ。