行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

カボチャならぬ河童のコスプレ

2020-10-26 14:29:48 | 日記
 6年前の記事より、妻にハロウィンパーティーにはカッパは不似合いだと言われた。自分なりに苦労して衣装を準備した(写真)。
 ズラは、妹が糸で編んでくれた帽子に細工した。頭の皿は、鶏型鍋つかみをばらすと円い布が取れ緑の布と合わせて縫い付けた。キューリは緑の布で肩パットの一方をまるめて芯にして縫った。
 コスチュームは、不用の布を東雲の母の所で貰いベストと腰巻にした。前者は50cmx140cmを半分に折り首穴をあけ被る簡単なもの。後者も70cmx160cmの布をバンドも紐も使わず東南アジア風に腰に巻き付けるだけ。
 履物のわらじは、宇品にある郷土資料館でわらじづくりに参加してゲットしたもの。ベストの下に着る半そでのTシャツは、1987年ホノルルマラソンの参加賞で思い出深い品だ。
 どちらにしても、けちけち爺がいろんな所から寄せ集め試行錯誤した衣装になった。木材利用センターでもらったカボチャの置物も雰囲気がある。ズラを被らなくても、生の禿げ頭が河童だよねと子どもに聞いたら笑っていた。その女の子は藤井秋桜ちゃんと言っていた。

霜降

2020-10-23 15:55:33 | 日記
 霜は、夜間気温が下がった際、空気中の水蒸気が地物に触れ凍ってできる細かい粒。南北に長い日本は、地域によって違いがあるから広島ではまだ早い感がある。でも今日は24節気の霜降で、霜初めて降るとある。
 秋の節季は、順番に立秋・処暑・白露・秋分・寒露そして最後が霜降になる。霜は農作物にとっては害になる、昔から88夜の別れ霜といい、立春から数えそのころから農家の方は忙しくなる。霜が降りる心配がすっかりなくなると稲の苗がすくすく育っていくことになる。
 午前中、皆実町のゆめタウンに買い物へ。以前そこには専売公社があったが、名残惜しく残るのは猫田記念体育館だ。御幸橋からその体育館と商業施設が連なり広大な敷地で歩き疲れた。橋の上から市街地方向を見ると広代跡地に当たるところに高層ビルが完成している様子もよく見えた。西たもとには、原爆投下直後の写真が掲げられ、丁度そこには千田町巡査は出所があり爆心地から2.2km地点で、被爆者たちが逃げてきて放心状態の様子に写っていた。(写真)

10月ハザイ教室2

2020-10-18 15:04:22 | 日記
 朝お隣の金木犀の香りに送られて廿日市市木材利用センターへ出かけた。広電井口電停から第二埋立公園をのぞくとシニアの方々がグランドゴルフに興じておられた。
 山陽女学園前電停近くの田んぼは残っていた稲が完全に刈り取られ、はさがけにし濡れないようにビニールで覆われていた。
 廿日市電停ではボランティアの堀江さんが親切にも車で待っていてくださり、帰りも広電五日市駅まで送迎くださり、おんぶにだっこで恐縮した。
 本日のハザイ教室たくさんの参加者で、ボランティアも久しぶりの方を含め8名が集結していた。当方、前半は3歳児の車づくりにかかわっていたが、後半に6歳の双子女児のお母さんに相談され、ドールハウスづくりのお手伝いをした。同じものを二つ作る大変さを学ばせてもらった。一人だけに声をかけるともう一方がかまってほしいという様子を見せて、絶対に同じように接しないといけないことがよくわかった。(写真)
 午後日差しが強く2階の窓を開けると心地よい風が入り、金木犀の甘い匂いがただよい眠たくなる目をこすりブログを書き留めた。