行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

今年度最後のハザイ教室

2016-03-31 15:43:02 | 日記
 本日、三度目の復帰をされた谷口泉さんが講師のハザイ教室、昨日は立体アート教室に5名の児童たちが参加していた。コルクボードと紙粘土が共通の教材で、それ以外は講師が準備されたありとあらゆる材料を貼り付けたり・積み上げたり各自自由にアートづくりを楽しんでいた。
 本日のハザイ教室は、従来の延長でこちらは木片を主体にした工作教室で、出来るだけ形を生かして創造する。定員15名一杯の参加者でにぎわった。当方が14年前ボランティアになった頃からずっと参加費が300円と変わっていないのが人気の一大要因だと思う。本日は平日でボランティアの方は少なめだった。
 佐伯区海老園から初めて参加の高木さん親子を主にお手伝いした。息子さんは卒園されて、この四月から五日市南小学校へ入学とか、船と車を楽しそうに工作していた。緊張しているんですよとお母さん、そういえば恥ずかしそうにもしていた。今日の教室のように少しずつ慣れていけば心配ないと思った。お母さんの方は工作の本を参考に2作品仕上げておられた。
 時間の終わりごろに今度5年生になる女児が糸鋸をしてみたいとの要望で手伝ったが、上手に魚をカットしていた。それぞれの体験が春休みの思い出になっていたらうれしい。

マドンナたちのララバイ

2016-03-30 14:45:26 | 日記
 当方が2002年に廿日市木材利用センターボランティアに登録した時の事務員は真田さんで、次に高田泉さんが着任された。
 2003年現江田島市津久茂の国立青年の家へボランティア仲間、堀江壮さんの車で「けんだま指導」に3人一緒に出かけている。
 2004年四季が丘中学校へ「けん玉巡業」や海老園一丁目の楽々園公民館へ「けん玉組立・あそび」にも3人で出かけた。
 2005年夏、阿品公民館への出張木工教室には、高田さん沖縄の色をのせた巻きスカートを身に着け、当地で運転免許を取得され、初めてマイカーでハザイや工具を運搬された。そのマイカーで翠町児童館での工作教室に出向かれ、帰り同乗を誘われたが丁重にお断りしたことを思い出す。
 2006年4月の桜まつりには原詩織さんが登場され、5月のはつかち木工まつりでは完全に交代された。
 2008年再び高田泉さんが勤務され、10月には金剛寺小学校「交流学習会」へけん玉組立・あそびの指導にご一緒した。
 2009年には次の事務員、細井雅子さんにバトンタッチ2度目の退任をされた。
 2013年から4年間、三上敬子さんが勤められ、本格的に大人の端材教室も手掛けられた。
 2016年本日より、結婚され谷口泉さんになられて、なんと3度目の復帰を果たされた(写真)。

お手玉の効用

2016-03-28 17:49:56 | 日記
 本日の朝日新聞29面Reライフコーナーに、「昔あそびを通して、住民交流やシニアの方の体力維持のお手伝いをしています。お手玉について詳しく取り上げてほしいです。」兵庫県加古川市・木村ちひろさん(48)に応える記事が掲載されていた(写真)。
 日本のお手玉の会会長宮中雲子さんは、お手玉は言葉、国境、年齢、人種を超越するコミュニケーション媒体になるのです。作る楽しみもあります。外国に持っていくと評判がいいのが、形も色合いも美しく、日本らしさが出る「ざぶとん型」です。何人かで集まってワイワイ作ると童心に戻れます。
 専門家の実験で、脳を活性化するというデータもあります。楽しく、体に良いお手玉をやらない手はありません。
 実は当方も以前廿日市市木材利用センターでお手玉教室を開いたことがあり、ざぶとん型のお手玉を参加者と一緒に作ったことがある。写真に写っているものは、木工教室リピーターの藤井さんからプレゼントされたもの。なお箱の中は約90個のミニ俵型のお手玉で、井口児童館で節分の時、豆代わりに鬼にぶつけるために用意したもので、当方鬼の面をつけて標的になったが、当たっても痛くはなかった。

鈴が峰陸橋

2016-03-26 15:32:11 | 日記
 2013年5月7日午前6時15分ころ、広島市西区商工センター入口交差点で国道2号(宮島街道)上にかかる「鈴が峰陸橋」の裏側からコンクリート片(50センチ四方、厚さ5センチ、重さ約20キロ)が落下し、走行中のワゴン車の屋根にぶつかった。けが人はなかった・・・(記事のまま)
 この橋は、1971年(昭和46)12月に完成、当初西部埋立商工センター造成のため鈴ケ峰南東部の山を削り土砂を運ぶために作られた。井口・草津沖を埋め立てるためにJR(国鉄)・広島電鉄・国道2号を一緒にまたぐ跨線(こせん)橋として1日延べ3千台のダンプカーが通過したらしい。
 埋立完成後は、そのまま商工センター出入り口の要路となり現在に至っている。1985(昭和60)3月には、この橋と連絡するユニークな橋上駅舎の新井口駅がオープンした。
 架橋から44年、広島市は今年度約4,300万円かけて、陸橋の歩道・車道を合わせて舗装(メンテナンス)を3月中旬までに仕上げた(写真)。

マラソンコースのウォーキング

2016-03-25 09:55:36 | 日記
 1994(平成6)5月15日アジア大会開催前に、マラソンコースを歩こうというイベントがあった。約束として42.195kmのコースを決して走らないで歩くという条件。休憩は自由で広域公園ビッグアーチをスタートした。その日は朝から雨で拙者の場合は、傘をさして長靴で歩き始めた。マラソンコースとして整備された石内通り五日市に出る道はまだ新しかった。五日市で国道2号に合致、そこから廿日市方面へ確か地御前付近で折り返し、そこから又国道2号(宮島街道)を広島方面へ引き返した。折り返しあたりで雨もやみ井口まで歩いた時点で休憩、運動靴に履き替えカッパなどを脱いで着替え、昼食を取って午後再び歩き始めた。
 後半は歩きやすいスタイルに変わって気分は前へ前へと一生懸命だったが、だんだん足が重くなり時間ばかりが経過した。コース最後が平和公園だが、いったん平和公園を通過して鯉城通りをくるっと回って平和公園へ戻るもので、最後の市内での周回が最高にしんどかった。
 朝7時にスタートしてゴールしたのは16時30分だった。写真はビッグアーチのメインスタンドを背景に移したもので、約200名で1班のプラカードやゼッケン番号179の数字も写っている。