JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

けっきょくは触れてしまいます。

2007年12月30日 | p-r

やはり予報どおり、夕方あたりからグッと冷えてまいりました。地域によっては大雪の予報も出ておりますのでじゅうぶんご注意下さい。

この年末に来て訃報が飛び込んできたのは12月の23日、オスカー・ピーターソンが腎不全でお亡くなりになったというものでした。脳卒中も克服して最後まで演奏活動を続けたピーターソン、83歳であったそうですがご冥福をお祈りいたしましょう。

今日の昼、昼飯おごるから手を貸して欲しいと電話をしてきたS君と、その昼食を食べていたときでした、
「バブ、つい何日か前にジャズのピアニスト死んだろ」
とS君、
「オスカー・ピーターソンのこと?」
「そうそう、その人」
今日の地方紙に特集記事が載っていたのだそうで、残念ながらその地方紙を私はとっておりませんので内容まではわからないのですが、しばしピーターソンの話で盛り上がりました。

じつは、以前も言ったとおり、私は「ピーターソンを好んで聴いていた」ということもなく、あえてここでは訃報にも触れずにいようかとも思っていたのです。
しかし、今日S君と話していて、50、60年代を中心に紹介している『いちおうジャズ・ブログ』としては、やっぱり触れなくちゃいけないのではと・・・・・

オスカー・エマニュエル・ピーターソンは、1925年8月15日、カナダのモントリオールで生まれ、6歳の時にはすでにクラシック・ピアノを弾いていたそうです。その後地元のアマチュア・コンテストで入賞、ラジオ・ショーにも出演して、
1944年、カナダのジョニー・ホームズ・オーケストラで演奏、しばらくトロントのナイト・クラブで演奏をしていました。
その時、たまたまJATPでカナダを訪れていたノーマン・グランツの目に止まり、1949年9月にJATPのメンバーとなり、ニューヨークへ進出、初レコーディングはグランツのもとで1950年に行われています。
親しみやすいピーターソンのピアノ・トリオは、一時期『唯一客を呼べるピアノ・トリオ』とまで言われ、その人気はついに衰えることはなかったのだと思います。

いやぁ、ダメですねぇ、ピーターソンに関しては知識も聴き込み量も少なすぎます。
完全に真面目にピーターソンを聴き出した時期が私は遅すぎましたね。素直にもっと早くから聴いていれば良かったと反省するばかりです。
「優等生で、万人受けしていて、ちょっとだけ古いスタイル」的なことを考え敬遠するなど愚の骨頂でありました。
彼の死をきっかけに、改めて彼の功績を聴き返そうと思っています。

今年も多くのジャズメンの死がありました。マックス・ローチ、マイケル・ブレッカー、アリス・コルトレーン、アンドリュー・ヒル・・・・・・今となっては「古いスタイル」と言われる側となってしまった私としては、またひとつ、またひとつと灯が消えていくようでじつに寂しい思いです。

さて、今日の一枚は、もちろんオスカー・ピーターソンです。
1951年の録音ですから初レコーディングの翌年、二代目(初代はギターがアホビング・アシュビー)トリオにドラムのアルヴァン・ストラーが加わったカルッテトによる演奏で、「ヴァーブ不滅のジャズ・シリーズ」として企画発売になった一枚です。

ピアノで無理矢理ホーン的演奏をするのではなく、ピアノをピアノらしく弾くピーターソン、粒ぞろいの一音一音が余裕を持って奏でられるそのスタイルを聴き取れるアルバムだと思います。

ジャケット・デザインは「AMAZING TOSHIKO AKIYOSHI」のときに紹介したデヴィット・ストーン・マーチンの作です。

IMMORTAL JAZZ ON VERVE Ⅲ Vol.2 / OSCAR PETERSON QUARTET #1
1951年12月録音
OSCAR PETERSON(p) BARNEY KESSEL(g) RAY BROWN(b) ALVIN STOLLER(ds)

1.THE ASTAIRE BLUES
2.STOMPIN' AT THE SAVOY
3.BODY AND SOUL
4.OH, LADY BE GOOD !

おまけ、
一昨日、餅つきが出来ませんでしたので、本日朝一番に行いました。(機械ですよ)
まずは『鏡餅』用の餅を丸めましたが、杵つきほどの腰がないもので、どうにも形になりません。それでも昨年よりは良くできたように思うのですが、いかがでしょうか?