JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

良いお年を

2007年12月31日 | y-その他

いよいよ大晦日、おかげさまで、本年も駄ブログを一年間続けることが出来ました。これもこんな酔っぱらいオヤジのくだらない話にお付き合いいただいた皆様のおかげと、心より感謝いたしております。本当にありがとうございました。
懲りもせず、来年ももうしばらく続けていく予定でおりますので、見捨てずにお付き合いいただければと思います。

「バブ、ところでJATPって何なんだよ?」
別件で電話をよこしたO君、彼もまた我が駄ブログを読んでいてくれているようで、昨日のオスカー・ピーターソンの話をはじめ、我がブログにも幾度となく出てきたJATPとは何なのか知りたいというのです。
「今日のブログを読んでみて」

そこで、そこそこのジャズ・ファンであれば改めて説明するほどのことでもないかと思いますが、今日はJATPを簡単に紹介しようかと思います。

JATP(Jazz At The Philharmonic)は、1944年、クラシック専用の演奏会場であった「フィルハーモニック・オーディトリユウムを貸し切って行われたジャズ・コンサート名であり、この公演の一切を仕切ったのがノーマン・グランツその人でありました。

ノーマン・グランツはご存じジャズ・レーベル「ヴァーヴ」の創始者であり、ジャズ界の名物プロデューサーでもありますが、他の多くのジャズ・レーベル創始者同様、最初は熱心な一ジャズ・ファンにすぎませんでした。「ただ、一つ違ったのは、奥様は魔女だったのです。」ってそうじゃなくて、彼はもともと企業家的、あるいは興行師的資質を多分に持ち合わせていた男であったのだと思います。それが、この公演に多大な利益を生む影を見出した理由だったんじゃないでしょうか。

当時のアメリカでのジャズはどんな環境下にあったのか?
著作権者・出版社協会(ASCAP)と放送音楽協会(BMI)との間で大きく成長したメディアとそこで利用される作品の権利保護をめぐる闘いが勃発、1942年の8月1日にはアメリカ音楽家協会(AFM)が、ミュージシャンを保護するという目的でストライキを宣言、これによってアメリカ中のスタジオ音楽家がレコーディングをボイコット。このストは1944年11月まで続きました。レコード業界はこういったいざこざの中で大きな混乱を起こしていた時期なのです。
この時代背景は、ジャズメン達に決まった仕事しかはいらないという状況を生み出し、その仕事は商業化されたダンス音楽、スイング・ジャズ・バンドでしかなかったわけです。
これが一部若手のジャズメン達の不満をあおり、正規の仕事を終えた後、夜な夜なハーレムの店に集まり、ジャム・セッションに不満をぶつける、つまりはビ・バップの創世へとつながるということになります。

話を戻しましょう、それまでのジャズ・コンサートといえば、ほとんどがスイング・ジャズ・バンドのものであったのは、これでおわかりかと思います。「ハーレムで行われていたジャム・セッションのコンサートをやっちゃおう!」というのが、JATPだったわけです。

「興行的にこれはいける」というグランツの思惑と、ビ・バップを一般の人の前で演奏したいというジャズメンとの思いが一致し、JATPはノーマン・グランツのもと全米、あげくは全世界を巡るジャズ・コンサート・ツアーへと変貌していったのでした。

グランツは企業家的資質があるといいました。とうぜん、JATPでの演奏も録音しレコード化していきます。
最初の1944年時点でヴァーヴはまだ創設前でした。この時の録音はASCAPやBMI、AFMらの争いのために、国防省(当時、軍向けの放送媒体としてレコード化の権限を持っていた)にありましたが、一度他のレーベルに売却されてしまいました。1946年以降は、マーキュリーがシリーズ化(もちろんプロデュースはグランツです)、当のグランツは1951年自身のレーベル「クレフ」を立ち上げ、1954年には「ノーグラン」を立ち上げました。そして三度目に立ち上げたのが「ヴァーヴ」ということになりますけど・・・・・
少々ややっこしいのは、「クレフ」「ノーグラン」で発売されたJATPの12インチLPも後に「ヴァーヴ」で発売になっており、ほぼこの三レーベルは同じものだと考えても良いのかもしれません。(レーベルを追い続けている方には文句を言われそうですが)

結論を言いますと、JATPは1944年のコンサートが発端であり、グランツしいては「ヴァーブ」の根幹を成すビック・ジャズ・コンサート・プロジェクトとでも言いましょうか、そういうものです。

だははははは、これで説明になっているのでしょうか?
ともかく、O君、こんなもんで勘弁してください。

ちなみに初期のJATPの様子を知りたいのであれば、12インチのLPを探すのは大変でしょうから、「NORMAN GRANZ' JAZZ AT THE PHILHARMONIC '40's-'50's」なんていうLP・・・・これも難しい、それじゃ「COMPLETE JAZZ AT THE PHILHARMONIC CONCERTS ON VERVE 1944-1949」なんていうCDも出ていますので参考までに

さて、今日の一枚ですが、JATPの1953年ジャパン・ツアーです。
オスカー・ピーターソンが、秋吉敏子を発見(笑)したその時のJATPですよ。

この時のジャパン・ツアーも、前年に来日したジーン・クーパーが
「グランツさん、グランツさん、アメリカじゃJATPも少々落ち目になりつつありますけど、日本じゃ今がまさにビ・バップ革命のまっただ中、うけますぜぇ」
と進言して、儲かるならとグランツが決めたという話がありますけど、ほんとですかねぇ?

ともかく、熱狂した日本でのコンサートの様子がよく伝わってくるアルバムだと思います。

ちなみに、私は三枚組で発売されたLPは所有しておりません。本日はCDでの紹介です。

J.A.T.P. IN TOKYO
1953年11月4, 7, 8日録音
ROY ELDRIDGE, CHARLIE SHAVERS(tp) BILL HARRIS(tb) WILLIE SMITH, BENNY CARTER(as) FLIP PHILLIPS, BEN WEBSTER(ts) OSCAR PETERSON, RAYMOND TUNICA(p) HERB ELLIS(g) RAY BROWN(b) J.C.HEARD, GENE KRUPA (ds) ELLA FITZGERALD(vo)

DISC 1
1.TOKYO BLUE ・・・・ All-Stars
2.COTTON TAIL ・・・・ All-Stars
3.THE NEARNESS OF YPU / SOMEONE TO WATCH OVER ME / FLAMINGO / I SURRENDER DEAR /SW ・・・・ All-Stars 
4.THAT OLD BLACK MAGIC ・・・・ Oscar Peterson Trio
5.TENDERLY ・・・・ Oscar Peterson Trio
6.UP ・・・・ Oscar Peterson Trio

DISC 2
1.SUSHI BLUES ・・・・ Oscar Peterson Trio
2.ALONE TOGETHER ・・・・ Oscar Peterson Trio
3.SWINGIN' TILL THE GIRLS COME HOME ・・・・ Oscar Peterson Trio
4.(Back Home Again In) INDIANA ・・・・ Gene Krupa Trio
5.COCKTAILS FOR TWO ・・・・ Gene Krupa Trio
6.DON'T BE THAT WAY ・・・・ Gene Krupa Trio
7.STOMPIN' AT THE SAVOY ・・・・ Gene Krupa
8.ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
9.BODY AND SOUL ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
10.WHY DON'T YOU DO RIGHT ? ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
11.OH, LADY BE GOOD ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
12.I GOT IT BAD (And That Ain't Good) ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
13.HOW HIGH THE MOON ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
14.MY FUNNY VALENTINE ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
15.SMOOTH SAILING ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
16.THE FRIM FRAM SAUCE ・・・・ Ella Fitzgerald & Her Quartet
17.PERDIDO ・・・・ All-Stars

追伸、
正月料理の準備もほぼ終わり、あとは盛りつけのみです。
明日その出来映えは発表したいと思いますので、こうご期待。
えっ?誰も期待してないし、見たくもない?
そうおっしゃらずにお付き合い下さいよぉ(笑)

とにもかくにも、皆様も良きお正月をお迎え下さい。良いお年を。